マスメディアの「無言の禁忌」について
- shu_cho0118
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新聞やテレビが記事/番組の禁忌を守るのは、報道や事実のためでは決してありません。紙面の「きれいさ」「美しさ」「清浄ぶり」を維持するためです。「商業的判断ではない」と記者や編集は言いますが、それは自分の媒体の商業的性格を自覚していないだけの話です。
2011-03-20 02:58:11こうした「明文化されていない禁忌」が報道に持ち込まれていることは、非常に深刻です。なにしろ明文化されいない、場合によっては言語化すらされていないので、規制している管理職ですら「何となく」「ほら、ウチの社はアレだから」という無自覚なレベルで記事をボツにする、修正するなどします。
2011-03-20 03:09:13最近では「住民運動/「反対運動/環境保護運動/労働組合/市民運動」に組みする記事」も、こうした「無言の禁忌」の仲間入りをしています。
2011-03-20 03:10:36記者たちはこうした「無限の禁忌」を勤務数年で体得して、先読みするようになり、次第に「そういう記事は提案しない」「そういう記事は取材すらしない」「話を聞いただけで記者が自主ボツにする」ようになります。
2011-03-20 03:11:25最近では、私はスラップ訴訟を「裁判制度の欠陥」として取材していますが、朝日など全国紙の記者が来て話を聞いても「市民運動や反対運動に組みするものはちょっと…」「(同じ理由で)デスクが難色を…」「労働組合はちょっと…」と言って自主ボツにします。
2011-03-20 03:13:07こうした「無言の禁忌」を先読みせず、ボツになるのを理解できずに提案をしていると「あいつはわかっていない」という評価が下ります。「何を」わかっていないのでしょうか。「無言の禁忌の領域」です。
2011-03-20 03:14:12しかし、市民や住民が反対していると「禁忌の領域」に入ってしまうとすると、反対が起きる=公的議論になっている公的な問題=はその時点で新聞/テレビには掲載されないことになります。これは壮絶な矛盾です。「公的論争になっているものは報道されない」のです。
2011-03-20 03:15:44禁忌が明文化、言語化されていないので、記者たちは議論の対象にすらできません。ですから、日々「見えない壁」にぶつかり、消耗していきます。
2011-03-20 03:17:44そうやって新聞/テレビが無原則に「禁忌」を拡大した結果、「禁忌」は周辺部メディアに押しやられ、「マイナー」になります。昔は「噂の真相」「週刊金曜日」などがその領域をカバーしていました。最近はインターネットですね。
2011-03-20 03:19:33もちろん、マスメディアとしてのインターネットは、商業価値維持のために独自の「禁忌の領域」を持っているのですが、それは今回は立ち入りません。
2011-03-20 03:21:17