科学の重要性を個別のテーマ別に説くのではなく、科学一括りに説くことについて
.@fuku33 「科学一般はやっぱり人類一般のためになる可能性がある知識獲得の試みですよね」という言い方が良くないということでしょうか、それともこれの強調が足りないということでしょうか?
2010-04-02 00:02:00.@fuku33 議論を続けるために確認したいのですが、「科学一般はやっぱり人類一般のためになる可能性がある知識獲得の試みですよね」という主張が良くないというのがfuku33さんの主張ですよね。
2010-04-02 09:46:48RT @fuku33 その強調がもう良くないんです。「私の研究は他の人のと比べてここがすごいんです」といえるぐらいに人ばかりに投資したいと思うのは当たり前じゃないでしょうか。独自性のみならず、そのくらいの自負心がなければ、横並びに見えます。
2010-04-02 23:13:02RT @fuku33 いくら事実として科学史に「ひょうたんからこま」の事例が多くても、あの人からも私からも駒が出るかも知れません、という人は、社会のために資源を節約する気が丸でない人ではないかと思います。「まだしも私の方が駒が出る確率が高いです」と胸を張る人でなくては。
2010-04-02 23:13:27RT @fuku33 その主張に異論はないのです。ただし、その言い方は全然マーケティングのことを考えていない。競馬場に行って、「数打ちゃ当たるですから全部の組み合わせを買いましょう」という予想屋さんに良い印象は持てませんでしょ。これは確率論の問題ではなく、ブランド論なのです。
2010-04-02 23:13:47RT @fuku33 それでも「この研究」をすることに意味があるので投資をして欲しい、そのときに、病んだ子供が救えるのか、飢えた地域を救えるとか、人と人が対話できるとか、そんな具体的な価値に話をブレイクダウンする手間を惜しむ「一般論」はかえって寒々しいのです。
2010-04-02 23:14:01RT fuku33 そしてもちろん、人文で「昔の人が考えていたことを推測するのは楽しい、面白い」でもいいのです。それも価値なんですから。でも、人は具体的な価値については想像力が働き、共感する人は共感しますが、「価値っていいよね価値があるよね」というのは、正しいけれどただの同語反復
2010-04-02 23:14:54RT @fuku33 結局は、「世間がなかなかわかってくれないほど難しいことやっている自分たちを認めろ」というようなナルチシズムがそこにはありませんでしょうか。それでも別によろしいでしょうが、それは自腹でやれば?と社会が思うのも無理がないことでしょう。
2010-04-02 23:16:10RT @fuku33 わたくしはわたくしが考えること、わたくしの説、それを世間の企業の方、企業にいない方、いろんな方がわかってくれてこそ価値があると思い、説明を心がけてきました。理系のポスドクの方で、講義録を公開された方はどこかにいらっしゃいますのでしょう。
2010-04-02 23:16:33RT @fuku33 社会を説得することと、学界で議論することは、全く違った行為である。論理性ではなく共感性の話であるのに、それをわざと見ない振りをするかのような一部の自然科学の方の姿勢は、小生からはなんだかサボりのように見えます。
2010-04-02 23:15:14.@fuku33 了解しました。マーケティングの観点から言うと、「科学一般はやっぱり人類一般のためになる可能性がある知識獲得の試みですよね」という言い方を繰り返しても、買い手である社会は競馬場のたとえのようにうさんくさく感じてしまうということですね。
2010-04-02 22:07:02.@fuku33 「社会を説得することと、学界で議論することは、全く違った行為である。論理性ではなく共感性の話である」は賛同できません。事実としてはそうでしょうが、共感ベースの社会は面倒なので論理ベースで話が通じるように変えてしまいたいです。
2010-04-02 22:28:26それは自然科学に限ったことじゃなく全ての専門分野の人たちに共通の性質では? @fuku33 「世間がなかなかわかってくれないほど難しいことやっている自分たちを認めろ」というようなナルチシズムがそこにはありませんでしょうか。
2010-04-02 22:29:47.@fuku33 論理的に説得できない相手を共感持たせて丸め込むというのは私の感覚ですとちょっとずるい行為なので、あまりそうしたくありません。もちろん、導入としては使いますが、ラストは理詰めで納得して欲しいのです。
2010-04-02 22:33:49この話は私に向けられて困りますとしかいえません。fuku33さんが素晴らしい行為を続けられただけで他がダメだというわけでもないと思いますし。 @fuku33 わたくしはわたくしが考えること、わたくしの説、それを世間の企業の方、企業にいない方 …
2010-04-02 22:35:48「ずるく感じであまりしたくない」に同意。一方で「相手にとって共感がベストなら、その選択肢もありだろう」とも思い、揺れる。 RT @next49: .@fuku33 論理的に説得できない相手を共感持たせて丸め込むというのは私の感覚ですとちょっとずるい行為なので、あまりそうし///
2010-04-02 22:37:24RT @fuku33 「変えてしまいたい」お気持ちはお察しします。しかしそれは結局、どれだけ言っても論理的には説得されることができない相手を、視野から排除するだけでしょう。世界の誰もが論理的に追体験できる範囲以上のことをやるならばこそ、先駆的な研究なのでは?
2010-04-02 23:16:48RT @fuku33 たとえば、科学の研究と関係がないベンチャービジネスを考えて下さい。「この列車の終着駅前に遊園地があれば素敵ではないですか?儲かると思いませんか?」必ずしもデータは使いませんね。さてこうした説得は不純でしょうか。ずるいでしょうか。
2010-04-02 23:17:07@fuku33 その例はまだ論理も共感もどちらも使っていませんので判断できません。素敵な根拠や儲かる根拠を説明したら論理。イメージやロマンで推し進めたら共感でしょう。前者なら誠実、後者ならずるいと思います。
2010-04-02 22:41:56RT @fuku33 それでは後者だけを使うとしましょう。それでも心動かされる人はいますよ。問題は、どの手段を使って説得できる対象にまで協力を期待するか、ということではないでしょうか。論理だけを使いたいならそれで動く相手だけが協力してくれる、それ以上でも以下でもないような。
2010-04-02 23:17:23RT @fuku33 そして、経営史の事例を挙げましょう。最初に遊園地と鉄道を結びつけた阪急の小林一三は、周囲を説得するのになんの論理的裏付けも使えませんでした。前例がないので、周辺人口の何%が家族で週末に出かけるかとか、なんのデータもなかったからです。
2010-04-02 23:17:36RT @fuku33 もちろん、ある程度の論理的推測はできたでしょうが、それだけではやはりフロントランナーにはなれない。夢やロマンで動く人をも説得して動かせたから、それだけの大仕事ができるのではないでしょうか。
2010-04-02 23:17:51@fuku33 私は、理性に対して理屈を説くのが論理ベースな説得、感情に対して「理解している」という感覚を埋め込むのが共感ベースな説得だと理解しています。
2010-04-02 22:48:45はい、そうだと思います。 @fuku33 問題は、どの手段を使って説得できる対象にまで協力を期待するか、ということではないでしょうか。論理だけを使いたいならそれで動く相手だけが協力してくれる、それ以上でも以下でもないような。
2010-04-02 22:50:06