いわゆる分裂病関連の現象(もしくは反動としてのポイエーシス発動)に対する脳機能局在論からの類推 (仮)

<統合失調症もしくはアスペルガーなどのいわゆる分裂(偏執)病的な症状というのは言語野の統制がゆるむ(異常に緊張が高まる)ことからの通常とは異なった機構のドライブではないか?>、という仮説から。   統合失調症については<従来の言語野への遍重が緩むことによって、言語・音・色などのフォルダ分け以前の生データとしての共通感覚プールへの意識移行ではないか?>と仮説される。   統合失調症は言語野へ偏重が緩んだものであると思われるのに対して、アスペルガーは逆に言語野(あるいは特定の野)のみに特化する感じ。 続きを読む
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m_um_u @m_um_u

@ShinChan831 そこから情動を中心とした言語以前のパルス生成になっていくとオレの「アオイショウメイの連鎖モデル」が肉づいてくるんだけどねw まあ、哲学だと悟性といわれてる領域だよ

2011-05-05 03:08:35
m_um_u @m_um_u

@ShinChan831 ああ、アドレナリンとノルアドレナリン辺りまではおぼえが( ^ω^)・・・ いちお前に新書で読んだ。とりあえずいろいろあるわけだの

2011-05-05 03:09:33
せらさん @que_sera

@m_um_u 前後をわきまえず横からレスするけど、心とか信念みたいなものは目に見えないからそれを測るための行動が他者においては重要な物差しになるんだよね。行動心理学的な考え方。

2011-05-05 15:45:30
m_um_u @m_um_u

@que_sera そうですね。その辺りの「変数多そうな複雑系はとりあえずおいておいて」というのが機械論→システム論的考え方の前提です。あれは情報理論だとシャノン=ウィーバーモデルと似た考えを基盤としてそうなので

2011-05-05 15:48:33
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u いちおう、僕は統合失調症は言語の統制が緩むのではなく、言語の縛りのルールがずれる病気だと考えてますけど。意味の意味が違ってくるというか。統合失調の人に聞くと、言葉が意味を持ちすぎて支配される感覚があるとか。

2011-05-05 15:53:25
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u なので、機能局在論に関してはコメントできる立場にありません。ウェルニッケ・ブローカ野は統合失調とはあまり関係ないはず、位の常識的なことしか。統合失調症と言語に関しての考えは以前まとめたので、ご参考までに。 http://togetter.com/li/72155

2011-05-05 15:57:02
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga とりあえずご覧いただき、またコメントいただいて感謝。ところで、「なので」の文脈が分かりませんがあとで追うとして、とりあえずまとめもみてみますね。あとで

2011-05-05 16:03:40
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ああ、その辺りは描写がビミョーだったかもしれませんが、体験的実感としては同じです。明晰夢の異常なリアリティですし、それが日常自動モードになるでしよ。きちんと症状がでると

2011-05-05 16:05:44
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u ああ、「言語の変調」を疑うということは、「脳の機能局在」には原因があるとは思えないし関心もあまりない、というような意味で「なので」といいました。分かりにくくて失礼。

2011-05-05 16:05:56
東郷正永 @TOGO_Masanaga

そうなのかもしれないしそうじゃないかもしれません。すいません、体験者ではないのでよくは分かりません。否定してる訳じゃないです。 @m_um_u 体験的実感としては同じ

2011-05-05 16:07:36
東郷正永 @TOGO_Masanaga

まだ変ですね。「僕が言語の変調論」をとっている以上、機能局在にあまり関心がもてない、というようなことです。 @TOGO_Masanaga 「言語の変調」を疑うということは、「脳の機能局在」には原因があるとは思えないし関心もあまりない @m_um_u

2011-05-05 16:10:56
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ええ、その辺は分かります。まあ、自分としても体験したものが認定された糖質(常時状態)と同じ程のものなのか?という疑いはあるので、そこは慎重に詰めて行きたいです

2011-05-05 16:11:13
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ああ、機能局在って見方がなんかマルクスの上下構造みたいなベタな規定性の議論で「ちょっと恣意的な先見性(偏向)があるのではないか?」という疑いは自分でもあります。なので、これも可能性の一つ(考え易い型の一つ)として提示、です

2011-05-05 16:26:07
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga 言語の変調はおっしゃるように(脳という物質的構造(ハード)が基底にあるにしても)、その上にくまれたソフトウェア内部のシステム、OSの故障みたいなものですから「すべてを脳に」というのはびみょー、というのはわかります。しかし脳が基底である可能性も否めない

2011-05-05 16:27:34
東郷正永 @TOGO_Masanaga

実際問題、病気のメカニズムはドーパミン過多ですから、もちろん脳の問題です。ただその結果心(言語)がどうなるのか、というのが僕の関心なんですよね。興味が狭くてすんまそん。 @m_um_u 脳が基底である可能性も否めない

2011-05-05 16:34:28
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ああ、「心」というのはちゃんと定義しておいたほうがいいですね。あれは意味の系と感情の系の統合的な器のはずです(魂の座)。部位的にはクオリアがうんたら言っている辺り(意味の統合)+感情統合ですね。記憶なんかも関わる

2011-05-05 16:37:46
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga で、わたしの仮説ですが、物質的にはドーパミンドライブで感情が燃焼しそれが意味系をオーバードライブさせる(従来の「言語」「音」などといった区分けを廃するほどに)。だから共通感覚につながる場合もある。

2011-05-05 16:39:26
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga 共通感覚につながる場合は「腑分けされる前の元データ」ということですから「意味以前」ですね(もちろん「言語以前」です) ここで自由な編成の可能性が広がる。ただ、オーバードライブで当人の自制を離れていると意味の系が異常に混ざったりする

2011-05-05 16:41:16
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga また、「意味統制への過剰な希求」はこれらを踏まえた「反動」的なものとして仮説されます。個人的な類推としては生命危機的な発動ですね

2011-05-05 16:42:30
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ああ、こちらだいたい拝読しました。エクリチュールとか「シーニュ自体の操作といえる。 語用論的にいえば、デノテーションもコノテーションも同時にずらしてしまう訳で、」当たり良さそうですね http://bit.ly/k7lOAb

2011-05-05 16:45:01
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga エクリの場合は(まあ、まだつかんでないので朧気なんですが)「書き文字における既存の言葉の型」および「そこからの慣性」ですから、意味の系がオーバードライブした場合、そういったものを超えるか/過剰になぞるか、という議論になる

2011-05-05 16:46:36
東郷正永 @TOGO_Masanaga

言い方は色々ありますが、それでいいと思います。 行動を入れるか入れないかは、趣味w @m_um_u 、「心」というのはちゃんと定義しておいたほうがいいですね。あれは意味の系と感情の系の統合的な器

2011-05-05 16:46:51
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga で、先程から論じていますように、私的実感としては「既存の言葉の型を突破」の方向で働くはずです。どういう突破の仕方かというと、換喩・隠喩のところで少し触れられてますが、意味のリンケージのホップが上がるんです。よりメタで処理できるようになる。で、高速化

2011-05-05 16:48:21
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga まだ仮説ですが、この「リンケージの飛躍的な延び」「意味の延び」「突破」の過程がベルグソンの言っていた「純粋持続」ではないか、と期待しています

2011-05-05 16:49:49
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga わたしが最近ちょこちょこ「悟性」といっているのはそういう状態です。理性・知性・精神(感情と複雑系情報に対するセンス(感性)の3つの系の統合、及び既存の意味系の情報処理を突破した高速化、が悟性です

2011-05-05 16:51:49