ライトノベル作家・扇智史のつぶやき連作短編「ミッドウィンター・ログ」:エピソード1
- mizunotori
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らっこが冷めたカフェオレを飲み干すのを待って、「ごちそうさま」「ありがと、ね」あたしたちは頭を下げて、サンレインを出る。びゅっ、と冷たい風が、暖房とカフェオレで温まったあたしたちの意気を削いでしまう。あたしは首をすくめ、「雪、強くなってる?」「雪山並み」
2011-05-19 21:53:11あたしが見るといつもと同じようだけど、顔や手の甲をかすめる冷たい感触は、まさに吹雪という感じだ。足元を見ると、道路は黒く濡れていて、そのうち積もるんじゃないかと思う。ほんとの雪が積もるのなんて、何年ぶりに見るだろうか……と感心してる場合じゃない。
2011-05-19 21:54:20「駅まで戻る……?」おずおずと、あたしは訊く。もちろん否定を期待してのこと。「面倒だね。バス使おうか、たまには」さすがのらっこも、この寒さは堪えたみたいだ。「バス停、こっちだっけ」横丁の建物同士の狭い隙間を抜けて、高架の向こう側に出る。
2011-05-19 21:55:49雪雲の下、見慣れない町を歩くのは少し勇気がいる。街角に浮き上がる年代物のホロキャラも、掲示板の古びた道案内も、灰色の街中では異様に浮き出ていて、それがよけいに不安にさせる。足元も危ういし。「らっこ、大丈夫? 滑らない?」「人の心配なんかしないでいいの」たしなめられた。
2011-05-19 21:57:12そりゃ、あたしの方がよっぽど転びやすいけど……「大丈夫。道くらい分かるし」スマホと街並みを見比べて、らっこは横断歩道の向こうにあたしを連れて行く。と、歩行者信号が点滅しはじめ、足元から「注意! 注意!」とサイレンを鳴らす警告灯がにょきにょき伸びる。
2011-05-19 21:58:30あたしは自然と足を速め、らっこは「危ないよ」と言いながら並んで走る。自転車レーンを疾走するMTBを危うくかわして、何とかバス停近くまでたどり着いた。「バス、まだかな」「だいぶ時間かかるんじゃない?」言いながら、あたしとらっこはそれぞれに時刻表を見る。
2011-05-19 22:00:04塗装のはげたスチールの時刻表の横に、次のバスの時刻と、バスの現在地が浮き出る。あと五分はありそうだ、そんなに焦ることなかったかな……「ふう」ため息が、白く空中に溶けていく。それを目で追い、あたしは、停留所のベンチに人影を見つけた。
2011-05-19 22:01:22うちの制服を着た、白い肌の、小柄な女の子……だけど、何か、違和感がある。じっ、と、あたしはその女の子を見つめる。姿勢正しく腰を下ろして、頭に雪を積もらして……「どうしたの?」らっこが首をかしげる。「え? ん……」曖昧に答えながら、あたしは少女から目が離せない。
2011-05-19 22:03:03黒髪に積もった雪は、山裾の積雪みたいだ。白と黒のコントラストが、灰色の雲の下で、世界から切り取られたように際立っている。その存在感が、ぎゅっと、心を捕らえる……「ん?」不意に、少女が振り向いた。
2011-05-19 22:04:22一瞬、呼吸が止まった。少女は、首をかしげて立ち上がる。あたしはその一挙手一投足を、唖然と見つめて……「あ」違和感の正体に気づいた。少女の長い髪は、その所作に合わせてふわっと揺れる。なのに、髪の上の雪が、落ちなかった。
2011-05-19 22:06:04はっとする。バス停のベンチは、透明なプラスチックの屋根の下だ。その屋根には白い雪が、かすかに積もり始めている。そして、屋根に守られているはずの少女には……別の雪が降っている。あれは、ホロ雪。現実のものには触れるはずのない、積もるはずのない、雪。
2011-05-19 22:07:21少女は、かすかにあごを上げ、あたしを見た。「何? わたしにご用?」あたしは答えられないまま、少女の透き通るように黒い瞳と、積もるホロ雪を見ているだけ。まさか、彼女も、ホロなんだろうか?
2011-05-19 22:09:05「あの子がどうかしたの?」隣でらっこが不審げに言う。今は、彼女はスマホをしまっている。つまりホロなら、らっこには見えない。逆に言えば、らっこがあの子を認識しているってことは、あの少女は、実在する。
2011-05-19 22:10:26「ひょっとして」少女が、至極楽しそうにまばたきをした。そして彼女は、あたしの凝視しているその頭部に、白い指を伸ばし――ホロ雪を、掻き落とした。「見えるの?」
2011-05-19 22:11:32