Carlos Rodrigues(@fever7777)による「戦後政治史」【第十一章】清和会支配と国民生活(2001~09)小泉内閣から麻生内閣まで

【参考】「戦後政治史」【第一章】http://togetter.com/li/108740 【参考】「戦後政治史」【第二章】http://togetter.com/li/109443 【参考】「戦後政治史」【第三章】http://togetter.com/li/113219 【参考】「戦後政治史」【第四章】http://togetter.com/li/113959 【参考】「戦後政治史」【第五章】http://togetter.com/li/123490 続きを読む
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fever7777 @fever7777

今回の戦後政治史は、米国・マスメディアの強力なバックアップを得て長期政権となった小泉内閣から、自民党最後の麻生内閣までを一気に振り返ります。21世紀初頭は、第七章に記した新自由主義が日本を席巻し、社会の格差を生み出した時代です。なお、文中は敬称を一切省略しています。

2011-05-22 20:30:54
fever7777 @fever7777

【バックナンバー1】第一章→ http://bit.ly/hqlRZS (1948年までの戦後のゴタゴタ時代) 第二章→ http://bit.ly/gKoPxf (日本の独立) 第三章→ http://bit.ly/eTJk9E (55年体制と日米安保の闇)

2011-05-22 20:31:27
fever7777 @fever7777

【バックナンバー2】第四章→ http://bit.ly/g8fZSJ (高度成長) 第四章補足→ http://bit.ly/e1Ezrd (子供の視点からの高度成長) 第五章→ http://bit.ly/dITthc (三角大福・前期)

2011-05-22 20:31:56
fever7777 @fever7777

【バックナンバー3】第六章→ http://togetter.com/li/125274(三角大福・後期) 第七章→ http://togetter.com/li/126825(新自由主義の萌芽)

2011-05-22 20:32:26
fever7777 @fever7777

【バックナンバー4】第八章→ http://togetter.com/li/130259 (ニューリーダー時代) 第九章→ http://togetter.com/li/133144(55年体制崩壊)

2011-05-22 20:32:56
fever7777 @fever7777

【バックナンバー5】第十章→ http://togetter.com/li/135483(経世会支配の終焉)

2011-05-22 20:33:16
fever7777 @fever7777

【第十一章】清和会支配と国民生活(2001~09) 小泉内閣から麻生内閣まで

2011-05-22 20:33:37
fever7777 @fever7777

1. 2001年4月、森内閣の退陣を受け、橋本龍太郎、小泉純一郎、亀井静香、麻生太郎の4人で自民党総裁選が争われた。最大派閥の橋本の再登板の可能性が濃厚ななか、一般党員を対象とした予備選で優位に立った小泉が勝利し、小泉内閣が始まることになる。

2011-05-22 20:34:22
fever7777 @fever7777

2. 小泉はそれまでの慣習を壊し、閣僚や党役員について派閥の推薦を一切受付けず、官邸主導の流れを作った。と言うと革新的なように思えるが、実際は自らに敵対する勢力や派閥、特に橋本派を徹底的に潰す人事を行っていったのである。内閣発足以来、小泉の虚像だけが独り歩きする。

2011-05-22 20:34:52
fever7777 @fever7777

3. メディアの内閣支持率は70〜80%を超えているように報じられたが、事実上の支持率はどうであったか疑問が残る。小泉内閣もまた、中曽根内閣と同様、米国追随のネオコン・ネオリベ的傾向の強い内閣であり、長期政権となった。小泉は、内閣の要職に竹中平蔵を起用してゆく。

2011-05-22 20:35:21
fever7777 @fever7777

4. 竹中は米国の代理人と見られており、経済政策および郵政関連は竹中の手に委ねられることになる。竹中は不良債権処理を進める。小泉内閣の外交姿勢は、中韓を刺激しつつ、米国の厚い信任を拠り所にしていた。北朝鮮の拉致被害者5名を帰国させたが、同時に経済援助も約束している。

2011-05-22 20:35:51
fever7777 @fever7777

5. いわゆる「9・11」後は、英国とともに徹底して米国を支援し、テロ特措法やイラク特措法を成立させ、アフガニスタン、イラクに自衛隊を派遣する。内政では小泉は「聖域なき構造改革」を打ち出し、経済評論家植草一秀と政策を巡り激しい口論を繰り広げるなど、強硬さが目立った。

2011-05-22 20:36:21
fever7777 @fever7777

6. 小泉は、在日米軍に対する「思いやり予算」については、放漫な支出を行ったのに対し、医療や雇用、公共事業などは徹底した削減を行っている。小泉・竹中は、改革の目玉は「郵政民営化」にあると公言していた。それに反対する議員を「抵抗勢力」のレッテルを貼っていった。

2011-05-22 20:36:51
fever7777 @fever7777

7. 抵抗勢力とは、亀井静香や平沼赳夫のほか、野中広務、鈴木宗男、綿貫民輔などの橋本派を指すことは明らかであった。2005年8月に参議院本会議で、郵政民営関連法案が否決されると、小泉は何と衆議院を解散してしまった。ここでいわゆる「小泉劇場」の幕が開くことになる。

2011-05-22 20:37:22
fever7777 @fever7777

8. 小泉は郵政民営化反対の自民党議員には公認を与えず、その議員達の選挙区には片山さつき、佐藤ゆかり、堀江貴文などの刺客を送った。そして総選挙には、飯島勲やスリード社の唱える「B層狙い」の戦術を展開した。B層=都市部に住む情報弱者向けに、派手なパフォーマンスを行う。

2011-05-22 20:37:52
fever7777 @fever7777

9. 小選挙区制のマジックで、小泉は自公で327議席を獲得し大勝利する。これを受け、9月には郵政民営化関連法案は可決される。郵政民営化の実態は「郵政米営化」ではないかという意見は根強く、これについては各自ネット検索されることをお勧めする。

2011-05-22 20:38:21
fever7777 @fever7777

10. 小泉内閣は国民的支持が強い政権だと言われているが、様々な社会問題が後に噴出することになる。福祉・サービスの縮小、派遣法改正等により、ワーキングプア、天下り増加、貧富の拡大などが生まれた。小泉改革では、既得権益層にはメスが入れられることはなかった。

2011-05-22 20:38:51
fever7777 @fever7777

11. 小泉の言葉は分かりやすく「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれたが、実は小泉自身がワンフレーズしか覚えられなかったからだ、という証言も数多い。ともあれ、2006年9月の総裁選には小泉は不出馬を決め、後継は同じ清和会の安倍晋三が選出されることになる。

2011-05-22 20:39:21
fever7777 @fever7777

12. 2006年9月、安倍内閣がスタートする。安倍晋三は安倍晋太郎の息子、岸信介の孫に当る。安倍は「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などを唱えた。安倍はまず中国・韓国との関係改善に着手した。

2011-05-22 20:39:51
fever7777 @fever7777

13. しかし安倍内閣では、次々と閣僚のスキャンダルが発生し政権基盤を揺さぶることになる。安倍はA級戦犯の存在自体を否定したり、郵政民営化反対議員を復党させたり、日本版CIA構想を唱えたりと、必ずしも既得権益層にとって歓迎すべき総理ではなかった。

2011-05-22 20:40:21
fever7777 @fever7777

14. 2007年7月の参議院選挙では、自民党は小沢民主党に敗退してしまう。安倍は内閣改造を図り、続投を一旦表明したが、9月には病気を理由に突然辞任を発表してしまう。しかしその数ヶ月後には、議員活動を再開しており、退陣理由には疑問が多い。

2011-05-22 20:40:52
fever7777 @fever7777

15. 安倍の退陣を受けた2007年9月の自民党総裁選では、麻生包囲網が出来上がるなか、福田康夫が圧勝する。親子で総理大臣に就任したのは、福田赳夫・康夫親子が初めてである。福田康夫は清和会にありながら、親中派であり、リベラル的な思想の持ち主であった。

2011-05-22 20:41:22
fever7777 @fever7777

16. 福田康夫内閣はほぼ閣僚を「居抜き」で安倍内閣から引き継いだ。福田は内閣を「背水の陣内閣」と命名しており、次の総選挙を意識した選挙管理内閣としてのミッションも持っていた。この頃の自民党は経済財政政策をめぐって、「財政再建派」と「上げ潮派」の論争が起きている。

2011-05-22 20:41:51
fever7777 @fever7777

17. 2007年11月には、渡邊恒雄、中曽根康弘の仲介により民主党との間に「大連立騒動」が起るが、頓挫してしまい、政権基盤は安定することがなかった。2008年9月には、福田は衆議院も解散出来ず、退陣表明してしまう。同9月にはいわゆるリーマンショックも発生した。

2011-05-22 20:42:21
fever7777 @fever7777

18. 福田康夫は退陣の弁で「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うんです」という迷言を残している。福田の公認には、最大派閥・清和会会長の森喜朗の意向もあり、麻生太郎が総裁として選出され、2008年9月から麻生内閣がスタートする。

2011-05-22 20:42:51