20年前の打ち明け話
1991年6月3日、雲仙岳火砕流で43人が犠牲になった。私は5月23日から29日まで現地に滞在して、それに至る過程をつぶさに観察する機会を得た。科学者と社会の関係を考えるときにたいへん興味深い事例を私は経験したと思う。
・伝わらなかった火砕流の危険 不十分だったリスク・コミュニケーション(2004年執筆、2006年公開) http://pringles.blog23.fc2.com/blog-entry-121.html
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早川由紀夫
@HayakawaYukio
4月9日のコックステイルジェット映像。はじめてみた。いまだったら、これを見れば、それなりの対応ができただろう。しかし20年前の火山学では無理だったかもしれない。
2011-06-19 16:39:20
早川由紀夫
@HayakawaYukio
火砕流というとプレー2万8000人の事例をみつけてパニックになるのはなしは、観測所の人からは出なかった。電話で東京からもたらされた。
2011-06-19 16:48:46
早川由紀夫
@HayakawaYukio
5月29日、クラフト夫妻とグリッケンが島原に到着。私とちょうど入れ違いだった。私は24日から29日まで島原に滞在した。
2011-06-19 16:59:44
早川由紀夫
@HayakawaYukio
6月1日。そう、避難勧告は縮小された。土石流危険が下がったと判断したのだと思う。それから、重要なこととして、市議会議員選挙がおこなわれたいた。投票日は6月2日だったと記憶する。
2011-06-19 17:18:26
早川由紀夫
@HayakawaYukio
ハリー・グリッケンは逃げて助かったかのように表現されているが、じっさいには彼も死んだ。私は彼の葬式をあげに、ふたたび島原に行った。
2011-06-19 17:42:03
早川由紀夫
@HayakawaYukio
爆風で木なぎ倒されていること、堆積物がとても薄いこと。これが、プレー式熱雲の特徴だ。プレー式を連想してパニックになることを恐れた判断が、それが現実に起こったときに大勢の犠牲者を出してしまった。
2011-06-19 17:45:32
早川由紀夫
@HayakawaYukio
パニックの発生を恐れて正しい情報を伝えなかった判断の結果が、43人の死者だ。火山学者と火山監視機関に責任ないはずがない。
2011-06-19 17:47:12