20年前の打ち明け話

1991年6月3日、雲仙岳火砕流で43人が犠牲になった。私は5月23日から29日まで現地に滞在して、それに至る過程をつぶさに観察する機会を得た。科学者と社会の関係を考えるときにたいへん興味深い事例を私は経験したと思う。 ・伝わらなかった火砕流の危険 不十分だったリスク・コミュニケーション(2004年執筆、2006年公開) http://pringles.blog23.fc2.com/blog-entry-121.html
HayakawaYukio 14840view 7コメント
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  • kuri-m @kuri_kitchen 2011-06-05 00:22:45
    今日の番組 すくなくとも観測所の動向ははじめてしった 夫妻のことは当時写真や映像は見ていても(写真集は持っていた)名前は認識していなかった 事故直後はぼつぼつと人となりをきいた でもあとからタクシーで駆けつけていたのは初めて知った
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:20:58
    @kuri_kitchen 太田所長が、民放を排除して、NHKだけ特別扱いして所長室に入れてた場面、出たの?「NHKは特別だから」の彼の言は、NHKだけが指定公共機関であることを指してたと、その後まもなく私は理解した。(録画仕込んだと思い込んで寝たが、どうやら仕込み忘れたらしい)
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:22:50
    @kuri_kitchen 下鶴会長に同行していた小宮さんが、所長室での話し合いそっちのけで、全国各地の予知連委員に電話かけまくっていた場面でた?
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:31:45
    1991年5月25日夕刻、「火砕流」を臨時火山情報を盛り込むことが所長室会議で決まって散会するやいなや,、私は、観測所外の路上に止められたテレビ長崎(FNN)のワゴン車に乗り込んで、「火砕流である」のコメントを出した。 http://ow.ly/5abBn
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:34:33
    @kuri_kitchen 初回火砕流が朝ながれた5月24日の夜、下鶴さんと小宮さんがNHK記者と会っていた場面はでた?(私は、その晩、下鶴さんと面談したかったが、果たせなかった。小宮さんと電話できたまで)
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:36:54
    なんか、いろいろ思い出してきた。5月下旬の島原1週間滞在中のことは、たしかどこかにメモとして残してあるはずだ。あの時代だから、電子ファイルはもうないだろう。さがせば紙が出てくるだろうな。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:39:37
    そういえば、島原市と深江町と島原振興局(県の出先)にファクス送信したら、おえらがた面々の連名できついおしかりのファクスを群馬大学にいただいた。あの時代は、電子メールなどなくてファクスだった。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:42:20
    そのほんとにごく一部だけを7年前に短い文章にした。「伝わらなかった火砕流の危険  不十分だったリスク・コミュニケーション」  http://ow.ly/5abKB
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:46:26
    私は、クラフト夫妻とグリッケンが死ぬだろうことを前日に予見していた。6月2日の報道特集をみて、かれらがどこでなにをやっているかを知って、友人に電話をかけてどうしようか相談した。その友人がなにもしなくていいというので何もしなかったら、翌日死んだ。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:52:31
    テレビ・新聞では、この火砕流がメラピ型だのプレー型だの論争が盛んだった。メラピ型だからたいしたことないの論陣を私は冷ややかにみていた。その後、メラピでもプレー型火砕流が発生して大勢の死者が出たのは周知の事実。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:54:39
    雲仙岳の溶岩ドームは高いところにできたから、ドームから崩れ落ちた高温溶岩が斜面をかけくだるあいだに粉砕されて火砕流になるモデルが広まった。いまでもそう信じている人が少なくないようだ。そんなんでクラフト夫妻とグリッケンが死んだとするなら、彼らが浮かばれない。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 05:55:16
    彼らは勉強が足りなかったから死んだ。しかしもっと勉強がたりないやつらが、ぬくぬくとまだ生きてる。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:06:50
    ま、そういう経験があるから、今回わたしは行政と一切接触しないのさ。ツイッターとブログを介して住民と直接対話するのみ。(2000年三宅島でもそうしていたが、さすがに8月29日、測候所に電話した。そして、電話しなければよかったと後悔した)
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:10:13
    「三宅島測候所員との電話会話 0638ころの約4分間」 http://ow.ly/5acfC 三宅島2000年ページを9月3日分まで復活させてある。 http://ow.ly/5acgN
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:15:22
    ハリー(グリッケン)と最後に話をしたのは5月29日だった。「雲仙岳にいっしょにいかないか」の電話をもらった。「一週間行ってて、いま帰ってきたばかりだ」と返事した。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:19:40
    報道が、大勢、北上木場に張っていることは知っていた。あそこからカメラをかまえていれば、火砕流のいい絵がとれるだろうことを知っていた。だから放置していた面も私の心の中にあったと思う。火砕流のいい絵は(専門家として)ほしかった。あの時点で世界初の映像だった。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:21:35
    5月26日の火砕流から立ち上がる火山灰雲を観測所の庭から見たとき、その場に居合わせた記者たちに、北上木場にいる同僚記者たちが死んでないかを確認させた。北上木場はそのとき助かったが、山に入っていた作業員が両手にやけどを負ったとあとでしった。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:31:52
    瀬川さんと朝日新聞支局にかけこんだのは、その直前か直後。かけこんだけど、「あんたがかけば。あの机使っていいから」と支局のおばさんにつめたくあしらわれた瀬川さん。しかし彼女はめげずに、科学朝日にいい記事を書いた。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:36:46
    @ken1shimomura 恐怖にひきつった現場からのレポート、よく覚えています。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:50:52
    雲仙岳火砕流災害のあと、マスメディアの取材姿勢に反省がみられてたのは労働管理としてはよいことなのだが、それによってジャーナリズムの精神が滅ぼされている。戦場に赴く記者のように、必要だと信じるときは(覚悟して)前線に行かないといけない。それが真のジャーナリストだ。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:52:00
    雲仙岳でその後みるべき取材活動には、鎌田慧によるものがある(『大災害』に収録)。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 06:55:54
    今回のフクシマでは、神保哲生による4月3日ビデオ取材がある。こういったごく少数をのぞいて、いまのテレビ・新聞は(週刊誌も含めて)、大本営発表メディアになり下がっている。ジャーナリズムの第一の存在意義は、権力の監視であるはずだ。しっかりしろ、おまえら。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 07:02:07
    火山学者も、そうだ。好奇心がしばしば危険よりも優先する。ほんとうにおもしろいものは死にそうにならないと見られないが、そういうときの私の口ぐせだ。躍動する自然の前にはいつも立入禁止の札がある。そこで科学(好奇心)と社会が激突する。
  • 早川由紀夫 @HayakawaYukio 2011-06-05 07:03:29
    好奇心と命のリスクのせめぎあい。そのとき、学力がものをいう。火山学者にとって、火山噴火で命を落とすほど恥ずかしいことはない。
  • kuri-m @kuri_kitchen 2011-06-05 08:14:07
    @HayakawaYukio 太田所長が、民放を排除して、NHKだけ特別扱いして所長室に入れてた場面、出たの? →出ていません

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