悲劇の武将・魏延は、三国志ファンが誰も知らない「交通路上の要塞」で生まれ育ったー中原に迫った大国・楚の大要塞の歴史ー

光栄の三國志シリーズでは、江夏(荊州)と汝南(豫州)の間に道路が設定されてませんが、ここは有名な武将の出身地であり、戦国の大国・楚の大要塞があって、楚の領土として、中原側の淮水流域に喰い込んでました。その結果、魏延の出身地・義陽は、長江流域では無いのに「荊州」に属することになったのです。中国の南北を結ぶ交通の要衝の歴史について。
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代史を専攻していました。

togetter.com/id/fushunia

巫俊(ふしゅん) @fushunia

2017年に好評を頂いたtogetterまとめ記事です。 「項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?」 ↓リンク togetter.com/li/1096668 pic.twitter.com/OmQL6EIF8i

2020-09-13 18:46:57
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

3年前のツイートを見てると、同じ巫俊が書いてるのに、妙に面白い…

2020-09-13 17:01:26

このまとめ記事は、2017年にツイートした内容です。当時は研究としての出来に納得ができなかったのですが、このまま忘れてしまうのも、惜しいということで、掲載することにしました。

※「冥阨の塞」は、「めいやくのさい」と読む
※「交通路上の要塞」は、歴史を知らない人にも、分かりやすい言葉として選びました。NHKの番組に出演した知人が、「天然の要塞」って言葉を使ってて、「要害も難しいかもしれないのか」と思ったのが、きっかけです。

haly @bb_sabure

袁紹を打ち破った後、曹操親征。劉備はさっさと逃げ出して劉表に繋ぎを取ると劉表自ら郊外に出てお出迎え。劉備の荊州入りルートはどうなってるんだろう?汝南から豫州を横断して襄陽まで移動?それでは豫州から南陽の曹操支配地域を突っ切る事に。袁紹は既に敗れ曹操も余裕の無い時期ではない。

2013-01-18 00:32:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@bb_sabure お初にお目にかかります。フォローさせて頂きました。『中国歴史地図集』の戦国(楚越)地図を見ると、江夏と汝南の間に冥阨之塞」という交通路上の要塞がありまして、たしか『戦国策』で楚の喉元に剣を突き立てる場所だったと思うのですが、三国だと何故か目立たなくて…

2015-01-18 03:46:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この記事は、中国史研究の基本ツール中国歴史地図集』を見ながら、書いています。こちらの中国のサイトに掲載されてるようですので、「春秋・戦国」や「三国」を開いて、「楚 越」「荆州(魏)」などを見てください。 ↓リンク guoxue123.com/other/map/zgma…

2020-09-13 20:54:19
haly @bb_sabure

@fushunia その話は存じませんでした。この数年後に豫州辺りから張遼が侵攻してるようでしたし南下ルートがあったのかもと想像はしていたのですが、もしかすると件の地と関連があるかもしれませんね。

2015-01-18 17:47:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

光栄のゲームで、汝南郡と江夏郡が道路でつながっているマップってありましたっけ?私の記憶では無いんですけど。

2016-01-20 13:57:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Rieg__Goh お疲れ様でした。実況、少し拝見させて頂きまして、汝南のこととか分かって助かりました(ひっそり、いました)

2016-01-30 01:58:38
陸合 @Rieg__Goh

@fushunia ありがとうございます。江夏ルートの話ですか?

2016-01-30 01:59:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Rieg__Goh はい、さきほどからツイートしてたところでしたが、江夏ー汝南ルートが気になっていました。汝南の劉備はどこを通って、劉表のもとに行ったんだろうか?南陽?江夏?とかです。

2016-01-30 02:02:13
陸合 @Rieg__Goh

@fushunia 汝南から江夏郡の北部を西に抜けて山を越え、章陵のあたりを通って襄陽に入ったとかもありそうですね。高くない山なので。

2016-01-30 02:10:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 光栄の三國志シリーズでは、何故か毎回、道路がつながっていない汝南と江夏ですが、実は戦国時代の主要交通路がこの場所を縦貫しており、現代の高速道路もここを通っています。戦前の日本軍の大陸打通作戦でも出てきます。

2017-03-25 23:28:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

旧日本軍の大陸打通作戦って、武漢(江夏)の南北を打通して、華北から華南まで、補給ライン(鉄道)を開通させる作戦でしたよね。ということは、後漢の江夏郡北部に鉄道が走ってるんだっけ?

2016-01-20 15:13:03
巫俊(ふしゅん) @fushunia

許昌から汝南(河南省信陽市)、江夏までは、現在、G4京港澳高速道路が走っていて、中国の主要幹線道路になっている。

2016-01-30 01:18:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

旧日本軍の大陸打通作戦では、鄭州と武漢(江夏)から日本軍が汝南をはさみ撃ちし、鄭州、許昌、汝南、江夏ルートで連絡線を作ろうとしていました。海路がアメリカ軍に脅かされていたので、陸路で連絡線を作ろうとしていたんですが、連絡線つくるだけで精いっぱいって感じだったようです

2016-01-30 01:24:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

古代だと、『呂氏春秋』に天下に名高い楚の要塞「冥阨(めいあい、めいやく)の塞」として登場し、汝南と江夏を結ぶルートは主要幹線道路として、既に戦国時代に出てきていました

2016-01-30 01:26:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

何で、天下に名高い「冥扼(めいやく)の塞」が、三国志に出てこないんだ?とずっと思っていました。 pic.twitter.com/VFZy5KZ44Y

2017-03-25 23:30:35
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦国策』では、外交家のたくみな弁舌の中に、「冥扼(めいあい、めいやく)の塞」が登場し、秦が魏を撃破して、あなた様の国の楚の冥扼の塞を突破するのも時間の問題ですぞという感じの脅し言葉?として出てきたと思います。(すいません、「阨」は誤字で、「扼」が正解でした)

2016-01-30 01:42:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@fushunia 許昌からまっすぐ南下する場合は、この「冥扼の塞」を通過して楚地(荊州)に入るのが最短距離なのですが、地理志を欠く『三国志』にはこのルートの記述が無く、これまで考察されて来ませんでした。

2017-03-25 23:38:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

後漢時代になって、交州から洛陽までまっすぐ結ぶ主要街道が整備されると、洛陽の東の隣の鄭州を起点にした、「許昌、汝南、江夏」経由の南方への連絡線が少し衰退していたのかもしれないですね。

2016-01-30 01:30:54

中国史の中で、最初の飛躍的な経済成長は紀元前5~3世紀の「戦国時代」に起こった訳ですが、この頃、「洛陽」を首都にしてた東周王朝は衰弱してましたので、魏の都・大梁(開封)から、まっすぐ南下する交通路が形成されてました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

汝南みたいな、黄巾賊の吹き溜まりみたいなところっていう、負のイメージはこうして生まれたのですね

2016-01-30 01:48:14
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