黒瀬陽平が語る「構図」と「画像(画素)」~粘菌的絵画論~
にゃるほろ。搬出作業が終わって間に合うようなら、むろん行きます。RT @kaichoo: はい、アレです。とにかく決起集会で集合写真を撮ろうかと。その写真でチラシでヤバいチラシを作るつもりです。 …あ!東さんも写りますか?w RT @hazuma: これがアレなのか?>黒瀬くん
2009-12-16 23:29:26ありがとうございます! RT @hazuma: にゃるほろ。搬出作業が終わって間に合うようなら、むろん行きます。RT @kaichoo: はい、アレです。とにかく決起集会で集合写真を撮ろうかと。その写真でチラシでヤバいチラシを作るつもりです。 …あ!東さんも写りますか?w
2009-12-16 23:31:52うひょ RT @polygra: 粘着、に空目 RT @hazuma RT @az4u: 粘菌が議員やったらどうだろう。。。 国会議事堂を大きな培養器にして。粘菌に色々決めて貰う。 RT @hazuma: .@eevolution 議員なんてパートタイムでやればいいのです。そのた
2009-12-16 23:46:35そういえば梅沢和木の絵画を見てぼくは微妙に粘菌を思い出していたのだった。村上隆はアニメ画像をツルツルなフラットだと捉えたけど、梅沢世代はpixivに集合知的/粘菌的なものを見ているのかなと。濱野の隠喩も「生成力」だったしね。
2009-12-16 23:49:30参照:『画像かわいいよ画像』 http://umelabo.info/works/013gazou2/2.jpg (via.梅沢和木 | GEISAI ARTIST BLOG http://bit.ly/78DKvT)
2009-12-22 03:28:44なるほど。 RT @hazuma: そういえば梅沢和木の絵画を見てぼくは微妙に粘菌を思い出していたのだった。村上隆はアニメ画像をツルツルなフラットだと捉えたけど、梅沢世代はpixivに集合知的/粘菌的なものを見ているのかなと。濱野の隠喩も「生成力」だったしね。
2009-12-16 23:52:35うおお RT:そういえば梅沢和木の絵画を見てぼくは微妙に粘菌を思い出していたのだった。村上隆はアニメ画像をツルツルなフラットだと捉えたけど、梅沢世代はpixivに集合知的/粘菌的なものを見ているのかなと。濱野の隠喩も「生成力」だったしね。 (via @hazuma)
2009-12-17 00:03:37これは RT @hazuma そういえば梅沢和木の絵画を見てぼくは微妙に粘菌を思い出していたのだった。村上隆はアニメ画像をツルツルなフラットだと捉えたけど、梅沢世代はpixivに集合知的/粘菌的なものを見ているのかなと。濱野の隠喩も「生成力」だったしね。
2009-12-17 00:14:24的外れかもしれないけれど、リングが98年に公開された時点で自分が9歳。デジタル信号の中に有機体/神が宿るみたいな感触は実感としてありました RT @hazuma そういえば梅沢和木の絵画を見てぼくは微妙に粘菌を思い出していたのだった。村上隆はアニメ画像をツルツルなフラットだと捉え
2009-12-16 23:52:07南方熊楠的絵画… いやいや、そう言うとなんか違うなw しかし、次回のカオスラウンジの企画書にはすでに、「集合知的造形の生成」という大きなプロジェクトを記しているのでした!
2009-12-16 23:54:40あ、それは… 微妙なところですね。。公開するかどうかまだ「考え中」です。実際けっこうセンシティブな問題も無くはないので。 こんどこっそり教えますww RT @hazuma: @kaichoo そういえば黒瀬くんが注目しているpixiv作家のリストとかってないの? 部外秘なのかなw
2009-12-16 23:57:29秘密だそうですw RT @kaichoo: あ、それは… 微妙なところですね。。公開するかどうかまだ「考え中」です。実際けっこうセンシティブな問題も無くはないので。 こんどこっそり教えますww RT @hazuma: そういえば黒瀬くんが注目しているpixiv作家のリスト
2009-12-17 00:01:34言い方を変えると、北斎を「構図」の画家と捉えると村上隆的なツルツルの平面になる。北斎を「画像(画素)」の画家だと捉えると、とたんに画面は粘っこく、ゲーム的になる。
2009-12-17 00:04:41なるほど。 RT @kaichoo 言い方を変えると、北斎を「構図」の画家と捉えると村上隆的なツルツルの平面になる。北斎を「画像(画素)」の画家だと捉えると、とたんに画面は粘っこく、ゲーム的になる。
2009-12-17 00:05:29kwsk RT @kaichoo: 言い方を変えると、北斎を「構図」の画家と捉えると村上隆的なツルツルの平面になる。北斎を「画像(画素)」の画家だと捉えると、とたんに画面は粘っこく、ゲーム的になる。
2009-12-17 00:06:36北斎が「構図」な画家というのは激しく同意。ただ、「画像(画素)」というのは過言の感否めず、江戸時代でいうと狩野派の方がより粘性が高い。 RT @hazuma: kwsk RT @kaichoo: 言い方を変えると、北斎を「構図」の画家と捉えると村上隆的なツルツルの平面になる。
2009-12-17 00:20:46初期の狩野派の「構図」的要素が、狩野芳崖の過色感や行き過ぎたデコレイティブ感が「画像(画素)」的として最後に開花したものの、その趨勢を止められず、行き場を失うこととなる。 RT @hazuma: kwsk RT @kaichoo: 言い方を変えると、北斎を「構図」の画家と捉えると
2009-12-17 00:30:55.@kaichoo 「粘菌」の生命性は、濱野さんのいう「メタデータ」の特徴と重ねることができると思います。そこに適切な「アーキテクチャ」さえセットできるのならば。
2009-12-17 00:06:51北斎の作った画像のデータベースの凄まじさ、そして彼の読本(当時のライトノベルみたいなものです)の挿絵をみれば、画像同士の結合パターンの豊かさ、過剰さがどうにもならなくなったときにはじめて「構図」が召喚される。
2009-12-17 00:12:07なるほど! RT @kaichoo: 北斎の作った画像のデータベースの凄まじさ、そして彼の読本(当時のライトノベルみたいなものです)の挿絵をみれば、画像同士の結合パターンの豊かさ、過剰さがどうにもならなくなったときにはじめて「構図」が召喚される。
2009-12-17 00:13:30すごくよくわかりました RT @kaichoo 北斎の作った画像のデータベースの凄まじさ、そして彼の読本(当時のライトノベルみたいなものです)の挿絵をみれば、画像同士の結合パターンの豊かさ、過剰さがどうにもならなくなったときにはじめて「構図」が召喚される。
2009-12-17 00:13:29