『日本のファンク史』のための徹夜漫談

■YouTubeにある限りの言及音源リスト一覧つくりました。「FunkClips」 http://www.youtube.com/playlist?list=PLFB519ABC1B2A319C ■内容解説  1950年代〜60年代ごろに米国東西海岸で生まれた「ファンキーな音楽」またそこから1960年代に胚胎した「ファンク」というジャンル音楽が好きな tricken が、“日本の”ファンク音楽ってなんぞや? という話を、今回はウタものを中心に一度まとめてみました(クラブ方面は勉強中です)。もともと数十分サクッと話すだけのつもりが、予想以上に手強いことになり、9時間弱ほどかかってしまいました……。アホですね……。  中には言及不足、誤解も多々含まれていたりしますが、後で埋め込みテキストで訂正してゆきたいと思っています。なので間違いはどんどん教えて頂ければ幸いです。 続きを読む
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tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

この辺のアメリカ起源の話をしたのは、「ファンク音楽というジャンル自体は1950年代以降、そして実際にある程度メジャーに鳴ったのは1960年代後半あたり」という歴史的経緯を押さえておきたかったから。

2011-09-26 23:35:15

■■■「原始ファンク」に関する重要な補足(111001Sat)

後日、文献を調べなおして整理した通説を紹介しておきます。
ジェイムズ・ブラウンは60〜70年代にかけてソウル界の帝王ではありましたが、その中で「ファンク」というジャンルを生み出したのは1964〜1970の間のことであるとされているようです。具体的な作品はOut of Sight(1964)にはじまり,Papa's Got A Brand New Bag(1965)でさらに展開,そしてCold Sweat(1967)で一応の完成をみた、という整理になります。
 その間、西海岸で別途にジャズ,ゴスペル,ソウルに影響を受けていたサンフランシスコのバンド、Sly & Family Stoneが、1966〜1967年頃から徐々に活動を始めます。ラジオとLPで恐らく東海岸でのソウルの音の展開(ファンクの誕生)を聴いていた彼/彼女らは、アルバムを作るうちに徐々にそのJBサウンドを継承してゆきます。
 ただし、継承はそのままではなかったのです。スライにはロックな要素もあるとされています(実際、サイケデリック・ロックの文脈でも聴かれ、ジミ・ヘンドリクスと比較されるようなこともある)。
 60年代中盤の東海岸から西海岸へ伝えられたファンクは、確かにJB先行であるものの、実際にはファンク史に異なる2つ以上の流れを生み出した、というわけです。

(※こういうことを踏まえると、最初に言った「1950年代のファンク」という言い方は無効となります。ただ、JBやThe Ohio Untouchables(Ohio Playersの前身となるバンド)、Pファンクのジョージ・クリントンなど、ファンクの大立者の大半は1950年代後半には音楽産業で活動を始めていることから、ソウル界の中でどうファンクが生まれたかというのは、考えると結構線引きの難しい問題となります。1950年代ソウル、ドゥーワップ、ハードバップの中の「ファンキーな曲」は、1960年代のJBファンク、Slyファンクの成立に遠からず影響していると考えられます。そして、1970年代にJBやスライが「ファンク」という形式を洗練させたことによって、その時点から過去の「ファンキーなもの」もまた、さかのぼって「ファンクの原型群」として聴き直す事ができるようになってしまいました。そして、たとえば日本でファンク&ソウルを参照して曲をつくろうとする人たちが、JB以前の原始ファンク的なものを参照して「ファンク」を作ろうとすることもあり得るわけです。

 ただこう言う拡張解釈をした時、音楽史的にはやや逸脱した物言いになってしまいます。『魂〔ソウル〕のゆくえ』のピーター・バラカン氏は、ファンクを含めた「ソウル・ミュージック」の文脈を整理しますが、そうなると今度はファンクという形式がソウル史の一部分に留まってしまいます。

 しかし、そういう風に見てしまうと、ソウルを聴きこみながらファンクを作る、日本のファンクバンドの参照文脈は巧く見えてこないでしょう。1960年代中盤だけでなく、1950年代にも「原始ファンク」に当たる活動があった、と便宜的に考える方が、単にソウル史で語るより日本のファンクを語るのに都合がいいという見なしを、@trickenはここで行なっています。

 コメント欄にて、「ファンクとソウルを敢えて分けて語っているのは、語り手の好みが反映している」と鋭い指摘を頂きましたが、それはソウルよりやや狭いジャンルとしてのファンクの広がりを捉える為にも、必要な見なしだったのですね。もちろん、そう観ることでいくつかの問題も出てくるのですが……(他のソウル史本をいくつか紹介しているのはそのためです。ぜひ色んな文献に当たってみてください。)

 ソウルとファンクの史実関係に目配せの利いた本として、ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』を挙げておきます。これはアメリカの中の黒人文化史としても読める、歯ごたえのある本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4152034289?ie=UTF8&tag=mikegui-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4152034289

料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ファンクなテイストというのが、スラップベースと、ギターカッティングと、トラックが延々とつづくかんじ、声のシャウト感?とかで与えられているというのは今の認識とそんなにかわらないのかな。山下達郎 BOMBER - YouTube http://t.co/bX3xTZAw

2011-09-26 23:39:58
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tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

Sly & The Family Stoneは、前期の全盛期にウッドストックでライヴもやっている(ベトナム戦争真っ盛りの頃だっけ)。このへんで認知度が上がってる。自分は80s産まれの北海道育ちなもので、70年代のファンク&ソウルが本州以南でどう消費されてたかはちょっとわからん。

2011-09-26 23:39:58
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

スラップベース奏法を発明したのは前期Sly & The Family Stoneのベーシスト、ラリー・グラハムなんですよ。彼がSlyと決別して作るバンドがGraham Central Station(GCS)。明るいファンクです。@yaoki_dokidoki

2011-09-26 23:41:08
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

で、後期Sly & The Family Stoneが"There's a Riot Goin' On"を作ったり、ソウル業界が盛り上がり始めた1970年代頃のファンク&ソウルが70年代のどこかで日本にも輸入されだした。モータウン・サウンドとか言われるのはこの頃の輸入ソウル。

2011-09-26 23:43:39

■■■1960年代ソウルはいつから日本で聴けたのか

 たぶん60年代にも、ジャズ輸入の文脈の延長でゴスペル・ドゥーワップ・ソウルも輸入されていたと思います。でなければ、たとえば和田アキ子が1968年に「星空の孤独」でデビューするような、昭和ムード歌謡の流れは存在しないわけなので……(もっと遡ると、1950年代前半の米進駐軍の文化的影響なども考慮すべきなのでしょう。)。

 ただ、ファンクは昭和ムード歌謡とは全然違うリズムを持っているわけです。それがハッキリとしたのが、北米ですら1967-69なのですね。なので、ソウル・ミュージックに関心のあったであろう日本人が、楽曲でファンクを表現するのは、どうしても1970年代前半からになってしまう。

 のちにうどんゲルゲさん(@udongerge)からご紹介頂いた大瀧詠一「びんぼう」が1971年作品なのも、そういう「ソウルからファンクが懐胎する一連の流れ」を踏まえると、日本からの非常に早い応答であると言えますね。JBのSex Machineが1970年ですから。

 ところで、1950年代からめまぐるしい入れ替わり立ち替わりをしていたバンド、ドリフターズが1960年代後半からLPを出し始めたという独自の流れもあります。1969年「ドリフのズンドコ節」はなんと1969年です(!)。これを日本ファンク0年とする見方もありえます……が、2011年段階でドリフターズの音を参照している人がちょっと少なさそうだということから、本編では紹介しきれませんでした。

米国1960年代ソウルの流れについては、ピーター・バラカン『魂のゆくえ』新版をどうぞ。ソウル史を総ざらいするのに良い本です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4903951057?ie=UTF8&tag=mikegui-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4903951057

tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

というわけで、Jファンクなるものが形成されるとすれば、1970年代前半〜後半のどこかのタイミングからになるわけです。

2011-09-26 23:44:06
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

@tricken なるほど。オーソリティがSLYにあって、それをまずテイストとして加えればファンクぽくなるというのはそこにあるわけですね。

2011-09-26 23:44:28
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

とりっくんさんの整理だと、ファンクの成立は完全に第二次世界大戦後ということになるのか。すると比較的新しい音楽ジャンル。

2011-09-26 23:45:51
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

そしてファンク音楽はほぼアメリカ成立とみてよいということかな。

2011-09-26 23:46:52
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

一方で、「管楽器を加えればファンクっぽくなる」というのは、JBバンドの大御所であるメイシオ・パーカー(サックス奏者。同じサックス奏者でもジャズのチャーリー・パーカーじゃないよ!)などがそういう印象の源泉かも。後にプリンスとも共演してます。@yaoki_dokidoki

2011-09-26 23:47:08
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

そもそもスウィング・ジャズの頃(デューク・エリントン楽団その他もろもろ)の頃から、管楽器オーケストラの流れは一程度アフロ・アメリカンのショウビズにおいて存在してたので、歌モノのソウルやファンクにも管楽器は自然に入ってきたのではないかと思う(この辺は考証難しいかも)。

2011-09-26 23:50:24
Chiaki @chiaki25

@tricken モータウン・サウンドの黄金期は60'sで、70'sに入って「ニュー・ソウル」が台頭するという認識です。子どもでしたので当然そんな言葉は当時知らないわけですが、辛うじて同時代体験のようなものあります

2011-09-26 23:50:50
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

(19世紀アメリカからのアフロ・アメリカンにとって管楽器とはどんな位置づけだったのかは、知りたいけど不勉強なのでここでは置いておく)

2011-09-26 23:51:28

■■■後で@kumagoro_h さんが調べてくださったところ、『ブルース・ピープル――白いアメリカ、黒い音楽』という本に初期ジャズの楽器事情が書かれているそうです。この辺の話は今回まとめの最後の方で実際に出てきます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4582767257?ie=UTF8&tag=mikegui-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=4582767257

料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

@tricken たとえば、日本のファンクテイストとしてこういうのは一般的な通念なんでしょうか。→スガシカオ「僕らはギターなんかたまーに「チャランラッ♪」とか鳴ってればいいから(笑)」ナタリー - [Power Push] スガ シカオ http://t.co/875pZmdU

2011-09-26 23:52:26

■■■そこのスガシカオの「スタジオの設定はロック寄りで、ファンクには厳しい環境(大意)」という認識はホントじゃないかなと思います。スガがTV出演していい音出してる機会ってけっこう少ないんですよ。面子のせいではなく、スタジオのエンジニアがロック以外の録り方をちゃんと知らないんじゃないかなあ。

Chiaki @chiaki25

日本のバンドで曲のタイトルに「チョッパー」なんて言葉を入れてきたのはこのあたりが初めてじゃなかろうか(ティン・パン・アレイ『キャラメル・ママ』収録曲)。 http://t.co/rbpRsTkv

2011-09-26 23:54:45
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tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

確かに、本場のモータウンの黄金期は50〜60年代ですね。サム・クックやアリサ・フランクリン、前期マーヴィン・ゲイがタミー・テレルとデュエットしてた時代の。「日本のファンクを語る」と言うことでややごっちゃにして語ってるところがありすみません。@chiaki25

2011-09-26 23:55:06
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

僕がスガシカオにファンク観で大きな影響を受けていることを踏まえて頂いた上で言うと(笑)、スネア&ギターよりキック&ベースが先である、というのがファンクの重要な部分です。16ビートも、埋めるんじゃなくて、うねりを生むためにわざとスカスカにします。@yaoki_dokidoki

2011-09-26 23:56:55
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

@tricken 自分でファンクをつくると、16分を全部うめちゃうんですが、それじゃあだめだったんですねー。

2011-09-26 23:59:56
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

で、1970年代に本場アメリカで何が起きてたかというと、P-Funkなんですよ。ラリー・グラハムがスライと喧嘩別れしてGCSやってる頃、FunkadelicとPerliamentという2つのバンド(実際は同じP-Funkバンド)で、シンセサウンドを織りまぜたファンクをやっていた。

2011-09-27 00:00:25
tricken(Tw以外の居場所は固定参照) @tricken

Pファンクを率いてたのはジョージ・クリントン(デューク・エリントンと間違えないでね! 時代違うよ!)、実際はJBのキャリアと同じ頃に一応ジョージ・クリントンバンドはあったらしいけど、有名になったのはちょっと遅い。

2011-09-27 00:02:12
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