- Zahlangabeheft
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@iklog たぶんそんなことはなく待ちガイル対待ちガイルは条件がイーブンなだけに奥深いhttp://t.co/fDo9A9RG
2011-10-03 16:25:32@mizokumiko 「ゲームにおける繰り返し」には色々ありそうなので、その特徴を分析するのは面白そうです。セーブできないゲームとして私が思い浮かぶのは「アルゴスの戦士」とかですが、あれを繰り返すのはしんどいですね…
2011-10-03 16:45:59人の同一性と人生の価値
@iklog 定期的に記憶を消す。記憶を消すことによって飽きることはなくなるが、人生の価値は総体としての幸福の量ではかられるので、記憶を消すことで人生の価値までリセットされることはないというのはどうでしょう。
2011-10-03 16:16:16@at_akada 「忘却」も重要な論点です。「久しぶりにドラクエやると興奮するよね」みたいな。あと、「きっと新しいハードが出るよ」みたいな指摘も。「テトリスに習熟して飽きたらハットリスやればよくね?」、「それ楽しいか?」みたいなやり取りもあったり。
2011-10-03 16:22:15@iklog 問題は、記憶や精神の類似性によって人の同一性を定義する立場の場合、記憶を消すと同一性も失われる可能性があることです。ただし、それも3分の1ずつ記憶を入れかえるなどの方法で対処できそうに思います。
2011-10-03 16:43:40@at_akada ウィリアムズは性格などの一貫性を重視するので、「そういうあり方って本当に魅力的なのか?」みたいなことを言いそうですがこのへんは議論の難しいとこですねえ。
2011-10-03 16:50:47@iklog ウィリアムズの立場をよくわかってないのですが、快楽説や充足説を拒否しても、人生の価値を、人生の個々の局面でえられた価値の総和として考えるのであれば、一定以上のレベルをたもちつつ長生きすることで、よき人生を送れるという議論はできそうですね。
2011-10-03 18:07:45@iklog 「人生の絶頂期に死ぬのはよりよい人生なのか」というBradleyなどが扱っていた問題と関係しそうにも思います。
2011-10-03 18:09:48@at_akada ウィリアムズは不死の人生を、特定の性格や記憶を有した現在の視点から評価するので、将来記憶や性格が劇的に変化する場合には、その後のあり方を「自分自身の魅力的なあり方」として見られなくなると主張するのです。もちろんこれは論争点ですが。
2011-10-03 19:04:42@at_akada ウィリアムズは、不死の場合、どこかの時点で私たちの福利が必ず一定のレベルを下回り続けるとか、以前得た福利を台無しにするとか言わないといけなそうです。
2011-10-03 19:14:49@iklog なるほど。特定の視点から評価したものでなければならないんですね。そうなると、無時制的な観点で人格を維持できる程度に記憶を保持しても、どっかで「今・ここの私」とは別のものになってしまうという議論はできるかもしれないですね。
2011-10-03 20:29:19@at_akada ややこしいですが、ウィリアムズ自身は身体説を取るので記憶が劇的に変化しても同一人物だったりします。あくまでも、自分自身のあり方として「魅力的でなくなる」というのがポイントです。
2011-10-03 20:40:15@iklog なるほど。しかしそれを認めると、もはや記憶の交換など考えなくても、これまでの人生の数百倍を生きた時点で「自分自身の魅力的なあり方」ではないだろうという気もしますね。
2011-10-03 20:45:29@at_akada 確かに「普通の人生でも性格とかかなり変わるし、そういったあり方を「自分の魅力的なあり方」として認められないなんておかしくね?」というもっともな批判があります。
2011-10-03 20:51:56@iklog 「自分自身の魅力的あり方として考えられるために、一定、今の自分を保存しなければならない」という制限を、変に解釈すると、トリビアルに不死という選択肢の否定が帰結するような、論点先取の前提になりそうに思うんです。
2011-10-03 20:55:07@at_akada トリビアルというほどでもないと思うのですが、「一定の性格を保持し続けなければならない以上、退屈に陥る危険はさらに増す」という議論にはなっていますね。
2011-10-03 20:57:25@at_akada あ、ごめんなさい。ちゃんと理解してなかった。「かなり長期間において、一定程度自分の性格を保持することは不可能だ」と言えれば、たしかにそうなりそうですね。
2011-10-03 21:05:35@iklog 今の記憶で構成される人格の延長線上にありつつ、かつ不死の生を送るのが無理なのではないかと考えたのです。しかし細かい話は読まないとだめですね
2011-10-03 21:07:04