【東方神霊廟】物部布都についての雑考・考察ログまとめ

神霊廟5ボス、物部布都の設定、名前、スペカ、容姿などについて、元ネタを考察。思うところをひたすらつらつらと。 ※※元ログについては、togetter - 【東方神霊廟】雑考・考察ネタのログ http://togetter.com/li/188136 をご覧ください※※
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※他の「フトヒメ」

公式ではこの辺りの血統や系譜については触れていないので、別にどれでも良いといえば良いのかもしれない。強いて言うなら、神子と布都は尸解仙になる前の時点で直接会話しているので、『先代旧事本紀』の代が異なる太媛が布都である可能性は低いかと…(どれくらい代を遡っているかにも依るけど)。

敏達天皇の皇女にも「太姫皇女」というのがいらしたのか。

しかも別名「桜井皇女」。系譜的には関わりはなさそうだけど…勘ぐってしまうなぁ。

あとは履中天皇の殯にも「太姫郎姫」という方がいらしたのか。

※容姿について

下半身の白い布の縁に描かれている点と線の図柄だけど…あれってやはり、ニギハヤヒ命が携えていたという「十種神宝(とくさのかむだから)」の図(特に『新編武蔵国風土記』などに見える図像)を模したものなのではないだろうか?と個人的には思っている(完全には一致しないが)。

「物部の八十平瓮」は物部氏は祭事に深く関わって(他にも武器・軍事に関わりが深いが)いることのシンボルであるとも見ることはできるか。神職や陰陽師のような服装もそれ(祭事や呪(まじな)いごとと関連が深いこと)を表していると考えられるし。

※スペルカードについて

※矢弾

そういえば、布都の矢弾って長髄彦のときに登場する饒速日命の「天羽羽矢」だったりしないのかな?

※スペカの流れについて

一つ目が雨で属性的には水っぽい。三つ目は火だよなぁ。対極の属性を持ってきていることに意味はあるか否か。

まあ、普通に考えたら1〜3枚目は歴史上の流れを追っているだけに見えるけれど…。最後は最後でまた物議を醸しそうなネタだし…。

天符「雨の磐舟」、天符「天の磐舟よ天へ昇れ」

そういえば、「天の磐舟よ天へ昇れ」は何故天空へ昇るのだろうか?元ネタ的には降りないといけないよねぇ…。

神社に巨岩として鎮座しているから、それを目覚めさせて復活させるということか。それとも、滅亡した一族の地位を浮上させるとか、そんなニュアンスなのか。最近の学説とかでの動向とかと関連させて、もし注目されてその地位が向上したのであればその動向との関連を示唆するのか…。

特に「○○よ、天へ昇れ!」って呼びかける台詞とかが元になっている…というようなことは考えにくいだろうし…。

再浮上、というと国見のことかなぁ?

投皿「物部の八十平瓮」

「物部の八十平瓮」は、崇神天皇紀七年十一月条に同じ文言が見える。同天皇五年に疫病が流行り多くの民が死亡するという状況の中で、七年二月には大物主神が倭迹迹日百襲姫命に憑依して託宣した。大田田根子を大物主神を祭る神主とし、市磯長尾市を倭大国魂神を祭る神主とすると疫病は収束したという。

大田田根子を大物主神を祭る神主、市磯長尾市を倭大国魂神を祭る神主として祭祀するときと同じとき、物部連の祖である伊香色雄に「物部の八十平瓮」を神々を祀る祭器とした、という。

ちなみに"平瓮(ひらか)"とは平らな瓮(飲食物を盛る器)のこと。 なお、記では同じ場所で「天之八十毗羅訶」と書かれている。 それと、伊香色雄(記では伊迦賀色許男命)は饒速日尊から見て六代目に当たり、確かに物部連の祖の一柱ということが分かる。

なお、この他に「八十平瓮」の語が見えるのは、紀では神武天皇即位前紀戌午都市九月条。 同場面にて、八十梟帥や兄磯城の軍勢によって山道を塞がれたとき、神武天皇は夢で「天香山の神社の中の土で天平瓮八十枚を造りそれと併せて厳瓮(いつへ/神酒を入れる神聖な瓶のこと)を造って天神地祇を祭り、祝詞を唱えよ。そうすれば自然と従うだろう」という教えを受ける。

それで、この夢の通りに平瓮を造ったという。この場面では「天平瓮」「八十平瓮」といった語が見えている。