『魔王勇者』の作品形式について

暫定。
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@crow_henmi

オーバーナレッジ自体はありふれた仕掛け。まおゆうでそれが魅力的かつダイナミックな物語を作っていくのは、オーバーナレッジの「需要」があるがゆえに爆発的に受容され、そしてそれがさらなる「需要」を作り出していく――すなわち潜在的に「丘の向こう」は世界に欲望されていたということによる。

2010-05-11 14:23:45
@crow_henmi

最初は小さな気付き。自身が潜在的に望んでいたことに気づき、それを実現するために動き始める。その「気づき」がさらなる「気づき」を生み、そしてそれらが総合して「丘の向こう」へとたどり着く大きな流れになっていく。社会のブレイクスルーとはそのような連鎖反応として存在する。

2010-05-11 14:27:41
@crow_henmi

唯まあ人間の欲望ってのは負の欲望も山ほどあるので、そっちの方向に「気づき」があり、連鎖反応が始まるとろくでもないことに。あるいは観念の暴走とか。それをどうにかするのは内観だけど、内部自体が外部との交渉によって形作られていることも考慮に入れるべきかな。

2010-05-11 14:35:45
難波修羅 @nanbashura

ところで『南海奇皇』『今日からマ王』や『十二国記』、『A君(17)の戦争』と『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』などがシャンタル・ムフときちんと並べて評価されたことはあるのかなぁ? #maoyu

2010-05-11 15:59:43
難波修羅 @nanbashura

『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』などのジャンルの嚆矢は言うまでもなく「銀河英雄伝説」なかんずくオーベルシュタインの物語。ジャンルの命名は迷うところではあるものの、「闘技的民主主義もの」「アイロニストもの」「魔王もの」などを考えていますが、長さ的に「魔王もの」で

2010-05-11 16:14:54
難波修羅 @nanbashura

この「魔王モノ」の抽象度を引き上げ、より包括的に取り扱い領域を広げると『ブギーポップシリーズ』になりますね。

2010-05-11 16:18:20
難波修羅 @nanbashura

セカイ系ブーム乗っかって、魔王系というのはいいかもしれない。

2010-05-11 16:19:16
@2NDWORKS

>いま話題のネット小説「まおゆう」にあっては、「勇者/魔王」の二元論→「勇者&魔王/改良されるべき世界」の二元論というかたちで、「二元論」は温存されているから、「二元論を超克する物語が描かれている」という論の立て方は、不正確なのではないでしょうか?

2010-05-12 02:43:26
@2NDWORKS

>いま話題のネット文学「まおゆう」を図式化すると、「ふたりの恋人の個人的な関係」と「セカイの運命」という「二元論」じゃつまらない。だから経済・政治・社会などの中間的な審級を「第3の項」として描きましょう、と要約できるんだけれど、それは「新しい物語」なのかな?

2010-05-12 02:53:36
@2NDWORKS

>いま話題のネット文学「まおゆう」は「学研の学習ものマンガ」である、という指摘はきわめて明晰だけれども、キャラ造形・元ネタ・ジャンルに対する批評性・いかにも現代的なネット文体・それを可能にするアーキテクチュアという点で、論じるには充分に値する「物語」です。#maoyu

2010-05-12 03:23:29
@crow_henmi

ところで「丘の向こうにあるのは終りなき日常」とかいうとフランシス・フクヤマ「歴史の終わり」みたいな珍書を思い出すし、終りなき日常は往々にしてロスジェネ世代のディストピアなので「丘の向こう」というにはふさわしくないと思うんだ。

2010-05-12 15:21:49
@crow_henmi

まおゆうはヴィジョンを持つことと自分で考え生きることを称揚しているので近代的なテクストだなーと思うなどする

2010-05-12 15:43:48
難波修羅 @nanbashura

『魔王勇者』のジャンルで魔王系という言葉を選択したのはとってつけではない理由があって、まずこの魔王が啓蒙専制君主であること、日本においても近代化は啓蒙立憲君主制によって「近代化」がなされ、終戦後に「天皇」が反動でサブカルイメージ上「大魔王化」したことに由来。いまは「小魔王」の時代

2010-05-12 16:44:21
@crow_henmi

まおゆうについてのともよちゃんの分析は大体において慧眼というに値する。とはいえ、評価についてはそこまで辛辣でなくてもいいと思う。まあゲーム的なフレームとか想像力とかを肯定するか否定するかでかなりこの辺りのスタンスは変わるので、なんとも微妙ではあるが。

2010-05-15 08:15:29
@crow_henmi

ともよちゃんの指摘している問題点は俺のフィールドであるエロゲにおいても通用すると云うかヲタカル全般に通用する問題だと思うんだが、それでなおヲタの情動を動かすことができてしまうと云う効能が厳然としてある以上、致命的な問題点にはなり得ない。

2010-05-15 08:22:01
@crow_henmi

まあこの致命的な問題点になり得ないという状況自体がいろいろなものを蝕む毒なのだがそれはさておき。

2010-05-15 08:23:13
@crow_henmi

ゲーム的でステレオタイプで記号的であるからこそ、既存のフレームやプロトコルを最大限に利用しているからこそ、ああいう物語を「組む」ことができる、というか、それらを利用せずに事物の迫真性を追求し総合的な描写を行っていこうとするとたぶんそこに受容の困難が立ち現れる。

2010-05-15 08:25:40
@crow_henmi

ヲタ的想像力のフレームとプロトコルをまんべんなく利用していることで、テーマとかプロットの受容のハードルを思い切り下げてるわけ。んなもん美学的には最低のジャンクだ、と云えないでもないのだが、あれをとりまく文化圏や想定読者において、美学は重要な問題ではない。

2010-05-15 08:27:56
@crow_henmi

重要なのはメッセージを「届ける」こと、そしてそのための「速度」。それを得るために、あの作品は徹底的な効率化がされている。それがどこまで意図されたものなのか、あるいは基盤とする文化の反映なのかはわからないが、とにかくそういうものとして「評価」はされるべきだろう。八百屋には肉はない。

2010-05-15 08:30:55
@crow_henmi

内容については「単純な弁証法的歴史観」とか「近代的」とか「世界が平坦すぎる」とかいう批判もあるけど、設定もろくにないところから始めたらそりゃ既存の想像力フレームとあいまってそういう「単純さ」は露呈されるだろうし、そもそも根源的メッセージを伝えるために構築された方便でしかない。

2010-05-15 08:35:17
@crow_henmi

んでまあ根源的メッセージについてはこれ以上なく明確に表され、しかも反復するモチーフとして立ち現れるので、これについては後はイデオロギー的な好悪の問題になる。

2010-05-15 08:36:37
@crow_henmi

んでまあ、よく似た構造と受容のされ方をしたゲームを思い出した。「CLANNAD」だ。

2010-05-15 08:37:23
@crow_henmi

「CLANNAD」がゲーム的で記号的で具体性を欠いていても、いやそれだからこそ何かが伝わってしまうというこのねじれに着目して行きたいような、そうでないような。

2010-05-15 08:41:51
@crow_henmi

以上、テキスト構造と周辺現象語りでした。

2010-05-15 08:42:37
@crow_henmi

まおゆうのために弁じたのかまおゆうをdisったのかよく判らない結果になってしまった罠。

2010-05-15 09:23:58
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