- HayakawaYukio
- 4650
- 0
- 1
- 0
@AtsuTam 実に凡庸なことしか描けませんでしたが、今日のところはこのくらいまで・のようです。 「わかるとは・わからないとは」「なにをみて選択するか」といったあたりがすっきりみえると、あららさんと早川さんが、なぜ対立してないように僕には観えるのか・を書き表せそうなのですが。
2011-11-24 02:05:31お二人とも、ひとが、認知し・理解or拒絶し・選択し・行動するプロセスを、熟知し働きかけに使っておられる。理解の角度、用語が違うだけで・・・みたいな感じだと想うのです。>@AtsuTam: あららさんと早川さんが、なぜ対立してないように僕には観えるのか・を書き表せそうなのですが。
2011-11-24 02:12:26@AtsuTam いや、それとも「自負」など持たないほうがいいのだろうか。そうかもしれない。自負のあるなしを忘れ去っている時のほうが、自由に、的確な選択をなせるのかもしれない。
2011-11-24 03:35:29さて、再開してみましょう。 早川さんにとっては、ご自身のつぶやきを「わかりにくい」、手法を「倫理的」とラベル付けされては困る。「ひとりでもおおくの命を救いたい」という意図と衝突するから。 @AtsuTam
2011-11-24 18:53:27「わかりにくい」つぶやきだからわからなくてもあたり前・・・という言い訳を与えてしまう。ほんとは無理矢理強制してでも救いたいのに、指図を控えることを「倫理」などと呼びたくない。<@AtsuTam: ラベル付けされては困る。「ひとりでもおおくの命を救いたい」という意図と衝突するから。
2011-11-24 18:57:04もひとつあった。「リスク評価に「倫理」を加味してはいけない・・・という「倫理」」なんて言い方じゃわかりにくい。「そっちも倫理に則ってるじゃん」という言い訳を与えてしまう >@AtsuTam: ほんとは無理矢理強制してでも救いたいのに、指図を控えることを「倫理」などと呼びたくない。
2011-11-24 19:14:06あららさんはしょっぱなで、「”耳障りの良いはろくでもない”と言い換えればリスクコミュニケーションにも当てはまるかも」とおっしゃってた。(”耳障りじゃない”か”耳あたりの良い”にしとけば、外野のつっこみなかったでしょう) 私も、そう想う。@AtsuTam
2011-11-24 19:22:54リスクコミュニケーション以外にも拡張するために、「すんなり飲み込める は ろくでもない」と、仮に言い換えることを提案する。これなら、「わかりやすいはろくでもない」と、概ね同意といえるんじゃないかな? @AtsuTam: ”耳障りの良いはろくでもない”
2011-11-24 19:26:55あららさんたちが言う「倫理」は、仮に「道理」と言い換えることを提案する。 「リスク評価に「倫理」を加味してはいけない・・・という「道理」」「自分の判断は言明するけれど、指図を控えるという「道理」」 @AtsuTam
2011-11-24 19:31:54この「倫理」、発言者の姿勢(仮に提案した「道理」)という領域と、発言そのものに含まれる「審判の妥当性」と、ありますね。 > @minadukiG: 「リスコミには倫理が決定的に重要」→倫理なんてものは簡単には伝えられない→簡単に伝わるものは倫理を欠いている(から不十分である)
2011-11-24 19:44:37これなら、早川先生、あららさん、水無月さんとも、”そうだよね”とうなづかれるのでは? > @AtsuTam : 「すんなり飲み込める は ろくでもない」「リスク評価に「倫理」を加味してはいけない・・・という「道理」」「自分の判断は言明するけれど、指図を控えるという「道理」」
2011-11-24 19:48:13ひたすら明確に審判をも伝える。だから、わかりやすく、かつ、すんなり飲み込めない>@minadukiG: 田村さんのお考えは【「伝えるスキル」は「判断」と別の領域に】→【「事実はこうだぞ」「こういう結果が予想されるぞ」とひたすら明確に伝…】→早川さんの「わかりやすさ」、という繋がり
2011-11-24 19:55:12「リスコミには発言者の姿勢が決定的に重要」→発言者の姿勢なんてものは簡単には伝えられない→簡単に伝わるもの(我こそは正義の味方!)は倫理を欠いている(から不十分である)・でいかがでしょう?<@AtsuTam: 発言者の姿勢(仮に提案した「道理」)という領域
2011-11-24 20:09:08「リスコミには審判の妥当性が決定的に重要」→えっ、俺の妥当性、間違ってる?!?なんてものは、すんなり飲み込める発言じゃ伝えられない→ガツンと明快に伝えなきゃ・ただし反発されるかも >@AtsuTam: 発言そのものに含まれる「審判の妥当性」
2011-11-24 20:14:07あぁそうか、「伝えるスキル」は、概ね仮称「道理」と言い換えられますね。どんぴしゃじゃないけれど。 @AtsuTam: 【「伝えるスキル」は「判断」と別の領域に】
2011-11-24 20:43:41さぁ、まとめてみましょう。早川さんは「リスク評価に「倫理」を加味しない」(事実に即した評価) 「すんなり飲み込めなくとも、明確な表現」(認知の歪みに刺激) 「自分の判断は言明するけれど、指図はしない」(自律促進) という「道理」に則って、リスクコミュニケーションをしている。
2011-11-24 21:04:26早川さんがどう「判断」「審判」したかは、体感を伴うレベルで伝わる。結果、認知の歪みを刺激するから、頭が受取拒否wして、強い感情的反発を時に生じる。依存を許さないから、なおのこと。メッセージを飲み込まず、吐き出すひとも多数。でも、リスク評価の中身は伝わってる。 @AtsuTam
2011-11-24 21:15:02↓ まあ外れてはいないけど、それを私が採用している意図が説明されてない。私は学者だから、学説を持っている。その学説が正しいか、社会でうまく機能するかを実験してるんじゃないかな。その学説はたまたま思いついただけで、正しい保証はもちあわせてない。
2011-11-24 21:15:54それプラス、新し物好きの私の性格。私はなんでも新しくないと満足できない。ひとのマネはやだ。それから、とうぜん人間だから功名心がある。最後に、雲仙岳の経験から、自分が後悔したくないの利己心。私の動機は単純な人助けじゃないよ。宗教家じゃないもん。
2011-11-24 21:18:32情報共有しない、わかりやすいのはろくでもない、この二つはそういう私にとって到底容認できない発言だった。学説として対決した。わたしはここでは、日常語を話す。日常語としての意味合いが私の学説を攻撃してるとみたら徹底的な論争を挑む。それが学者でしょ?
2011-11-24 21:22:50あららさんは「飲み込みやすくしない」ことを評価している。いま受容を拒絶してるひとも、いつか時が来て山に登って熊に会えばわかるかも。その可能性を閉ざさないから。 「指図しない」ことを評価している。権威への依存をよしとしないから。・・・と、私には観えます。 @AtsuTam:
2011-11-24 21:29:07僕は、早川さんに「ひとりの市民」という色合いを強く感じます。権威性ではなく、目利きの確かさで勝負する。だから「なに言ってるんだ偉そうに」とも「学者がそんなこと言っていいのか」とも言われちゃう。 @AtsuTam
2011-11-24 21:40:17