@kankimura いや〜立ち位置というか、環境の問題だと思いますよ〜。私は「仮説-立証型の研究」以外は研究じゃない、という方とはあまり接してこなかったです...。
2010-05-27 04:47:56@sunaneko 仮説形成(abduction)なんてあらゆる学問で使うものですよね(それが明示的に重要な方法として用いられるのでないとしても).重要度の差はあれ大概の研究において不可欠であるような研究手段に対して,それを使うことがレベルが低いと論じることがもう低次元すぎますね
2010-05-27 04:52:40@sunaneko 政治学より社会学のほうが、実証志向が強いと思っていたのですが、違うんですかねぇ?
2010-05-27 05:03:23自分が仮説→実証系(?)の一部の論文に馴染めないのは、その「書き方」にあるような気がする。仮説を綺麗に立てる研究では、通常、あたかも最初から明確な仮説があって調査を始めたような形を取るが、少なくとも自分の場合は、この「書き方」は実際の研究の進め方とは違う。
2010-05-27 05:06:15実際の研究は最初に漠然としたアイデア(勿論、これを仮説といえば言えなくはない)があり、それを元にあれこれ考えながら、どうしたら限られた資源を使って面白い問題提起が出来るか考えつつ、資料の読み込みをする。読み込みの過程で、アイデアは修正され、主たる資料が決まり、論文の構成が決まる。
2010-05-27 05:09:29勿論、これを恰も最初から明確な仮説を持って実証したような「フリ」をしようとすればできる。でも実際には、様々な可能性を振り落とした過程もあり、その過程は過程で面白いので、できればそれも再現したいと思う。とすると論文の構成が、問題提起→データ提示→仮説形成→データ再提示になる。
2010-05-27 05:13:30更に言えば、実証の過程も重要だけど、それよりも重要なのは仮説の発見/提示そのものではないか、と思う時もある。だとすれば、実際にどうやって仮説を発見/思いついたかを再現することも、重要なのではないかと思う。序に、自分が実際に進めたのと違う手順を論文に「再現」するのにも抵抗がある。
2010-05-27 05:19:17これについては、以前にブログで書いたことがありまして。ご参考までに http://ht.ly/1Ql9w RT @kankimura: 仮説→実証系(?)の一部の論文に馴染めないのは、(中略)この「書き方」は実際の研究の進め方とは違う。 @sunaneko
2010-05-27 05:44:43有難うございます。私は自分で何でもやる必要はない、と思っています。お気楽なようですが「お前は間違っている」というのであれば、その人がそれを証明すればいい。大事なのは、積極的に問題提起していくこと。RT @dynamanTW: ご参考までに http://ht.ly/1Ql9w
2010-05-27 06:12:03@dynamanTW 拝読しました! 理解していないのかもしれませんが、「欺瞞」というのは、「仮説=理論Rw」と「それに対する経験的証拠Dw」がセットで存在しているという条件で、本当はDw->RwなのにあたかもRw->Dwのようにストーリー展開している、ということですかね。
2010-05-27 06:17:59(仮説続き)世の中には実証できないけど「仮説」がないと行動/決断出来ないことがある。前にも書いたけど、仮説を実証することは難しいけど、棄却することは比較的容易なので、アカデミアにはそういう役割もある。その意味で「反証されていない仮説」は「暫定的な真実」に等しい。
2010-05-27 06:18:02.@ttya70 いやほんとに。大事なのは他の人(研究者でもそうじゃなくても)の考えといかに「つなげていくか」だと思います。その点さえはっきりしていれば、研究の分業もスムーズになるし。http://bit.ly/cX8pjn
2010-05-27 06:30:53今回の一連のつぶやき、大変勉強になります。僕が地域研究系の大学院でリサーチデザインを教えるに際してまさにこの問題に悩んでいます。とりあえず「型より入りて型より出でよ」と考えています。 @kankimura: 人によっては研究/勉強したいことが、上手くこの過程に乗らないことがある。
2010-05-27 06:33:31.@ttya70 @ttya70 大事なのは「読者」を意識して、実社会や学術的社会にどのような影響を及ぼしていこうとしているのかを明確にすることだと思います。そうでないと「独り言」になっちゃう。
2010-05-27 06:35:39時として長々とデータ(歴史的背景とも言う)提示をしないと、何でその「アイデア」が出てきたのか説明できないんですよ.。だから「文章」としては、最終的にアイデアが提示されるまでがメインになってしまう。@ttya70kankimuraさんのチャートだと
2010-05-27 06:38:37有難うございます。講義ではリサーチデザインをきっちり教えることは極めて重要です。但し、そのリサーチデザインを使うことのリスクも教えてあげてほしいと思います。でもって、学生に選ばせればいい。RT @txpolisci: 今回の一連のつぶやき、大変勉強になります。
2010-05-27 06:40:09@sunaneko ありがとうございます。正しく理解して下さってると思います。計量分析をとりあえず走らせて、有意になった変数についてのストーリーを後付けででっちあげ、さらにその仮説が最初からあったかのように装っているような論文を念頭に置いてました。
2010-05-27 06:42:54@sunaneko このエントリは2年前もっと粋がってたころに書いたので、今思うと、「そこまで言うほど酷いものは実はそんなに多くないかな」という感じです。
2010-05-27 06:45:25いろいろ可能性を提示しておいて、順番に棄却し、最後にホームズが整理する。駄目かな?RT @ttya70: 「論文というのは推理小説のように書くものだ」(大意)
2010-05-27 06:51:25@dynamanTW なるほど。「新理論と支持データが揃っていることが欺瞞論文が書ける条件だとすれば、「既存理論を分析してたら新理論見つけたよ。その経緯を書くから、誰か続きを検証してね」と言ってみても、「いやそれ、検証されてるじゃん」と言われてしまうかな、と。
2010-05-27 07:00:56@dynamanTW ということは、問題は欺瞞論文があることじゃなくて、「既存理論を単に反証した論文の価値が認められにくい」ということなのかなあとか、思いました。
2010-05-27 07:01:27歴史、それも想定している読者の馴染んでいない地域の歴史について書く場合には、一定の範囲にせよ、「状況の再現」をしないと理解して貰う事が難しい。序に言えば、自分自身の研究でも頭の中で状況を再現するのに随分手間がかかっている。
2010-05-27 07:29:43論文の目的にもよりますが、データの収集方法とか、何故その分析の手法を取ったか、また、分析の限界がどこにあるか等、書くべきことは沢山あると思いますよ。RT @mconsulting 何が目的で何が問題なのか、現状はどうなのか、自分はどう思うのか、解決策はあるのかを書けば終わりです。
2010-05-27 07:32:48@mconsulting もう一つ言えば、「自分はどう思うのか」と、「解決策はあるのか」は必ずしも必要ではないと思います(^^;)。
2010-05-27 07:34:48最低限、何の事件を解決しようとしているのかを言ってくれなきゃ「推理小説」でさえない。脈絡なしに街の描写をするのであれば、「観光ガイド」。「ルソーと行くパリの街2泊3日」みたないもの。RT @ttya70 何をするのか、何を主張するのか、はっきり示したほうが・・・ということですね。
2010-05-27 07:39:10