理解できないことを一時判断保留にすることの有効性について。:人は何故カルトに嵌るのか?
ええ、そういう事ですね。RT @nokkaranoumu @Aa_stealth 「文化は守ろう、金も稼ごう、じゃあ二つ案を考えようと思うので、一つは俺らが今正に論じるのでもう片方はまた後日やりましょう」がキレイな形になるのかな?
2012-03-21 13:09:55それで「じゃあ」という言葉は多くの場合、その「違う話をしてあえてこれから詭弁を言いますよ」という意味でつかわれることが多い。
2012-03-21 13:19:29価値、事実の区別や、「論証的に証明される妥当性」と経験や知覚的事実は独立である事が理解できない人も議論できないですね。こういう人が「経験論証」をしますね(笑)。そういう誤謬を避けるために論理があるという事を理解されていないようですね。
2012-03-21 13:26:40今回の瀧岡さんの話から考えた仮説としては、一歩一歩ロジックを立てていくことがまだるっこしいというのもあるんじゃないのかな。日本人のメンタリティ的に。さきほどRTした根回しの話のように、「前提はすでに共有している」幻想があるので。 @yutakioka
2012-03-21 13:27:38俺様は「議論できない」と人を切り捨てるのがあまり得意ではない……。議論以外の説得方法を考えたいし、その時に相手の経験や知覚に訴えることは、十分武器になりうる。が、これもまた別口の話である。 @yutakioka
2012-03-21 13:30:50ええ、別ですね。つまり「議論以外の方法で説得する必要性があるのか?」という議論をまずしなければならないので。RT @Aa_stealth 議論以外の説得方法を考えたいし、その時に相手の経験や知覚に訴えることは、十分武器になりうる。が、これもまた別口の話である。
2012-03-21 13:32:47議論ができない人を議論以外で説得しようとしたら実に非民主的な方法をとらざるを得ない。1.何らかの権威により無理やり納得させる。2.詭弁を用いて、論理的には間違っているが分かりやすい様に見せかけて、分かったつもりにさせる。3.何らかの方法(例えば睡眠妨害)で思考停止にさせる。
2012-03-21 13:35:38例えば「わかりやすい」説明を求める人は、残念ながら、それはその人自体が議論できない人の場合は、相手に詭弁を用いて分かった気にさせることを要求していることになる。そしてその希望道理にその人は分かった気になれるという報酬は得られるが実はそれが詭弁だったなんてことはある。
2012-03-21 13:45:00私は詭弁を用いてまで分かったつもりにさせることは非人道的だと思うのでやらない。だから分からない人には詭弁を用いてまで説明しようとは思はない。詭弁による説明=誤解よりも理解できない=理解不能の方がまだましなので。前者は変な固定観念ができてしまい理解の妨げになるが後者は逆なので。
2012-03-21 13:47:07私が非人道的というのは私自身の経験から。詭弁を用いられた議論をされた場合に、その論理的整合性を合わせる様な論理を一日中考えさせられる羽目になって夜も寝られなくなり不眠になったことが何度もあるから。その経験から今は詭弁は無視することにしている。
2012-03-21 13:49:51ただ「理解できない」状態を「理解できない」と認識して判断保留に出来ればいいんですけど、大勢の人はそれに耐えられずに、なんらかの「理解(=詭弁)」を自ら作り出すんですよね。もちろんそれは議論できないと判断した話者(相手)の責任ではないですが。 @yutakioka
2012-03-21 13:50:51その時に理解できないことは判断保留でいいと家庭でも学校でも教育されないからでしょうRT@Aa_stealth ただ「理解できない」状態を「理解できない」と認識して判断保留に出来ればいいんですけど、大勢の人はそれに耐えられずに、なんらかの「理解(=詭弁)」を自ら作り出すんですよね。
2012-03-21 13:53:14結局、己の身をどう守るか(非人道的状況に陥らないか)を考えた場合、相手を突き放すのは間違いなく一つの手ですが、現実問題として共存せざるを得ない場合はある。その時に、詭弁を用いて相手を傷つけるか、自らを傷つけるかという境界に立たされることは、十二分にあり得る @yutakioka
2012-03-21 13:54:17理解できないことを判断保留にできないというのは動物としての本能だから、それができない人はより動物的な思考ほをしているという事。別にそれは悪くないけど人間的な思考法もあるという事は学んでおいて損はない。
2012-03-21 13:55:47ええ、ありますね。RT @Aa_stealth 結局、己の身をどう守るか(非人道的状況に陥らないか)を考えた場合、相手を突き放すのは間違いなく一つの手ですが、現実問題として共存せざるを得ない場合はある。
2012-03-21 13:57:48そのジレンマに陥らないですむように、話す相手を選ぶ必要があります。共存せざるを得ない状態でもその相手と仕事以外はなるべく話さないという選択があるので。RT@Aa_stealth その時に、詭弁を用いて相手を傷つけるか、自らを傷つけるかという境界に立たされることは、十二分にあり得る
2012-03-21 13:59:29なので実は「分からないことを判断保留にする」ということは教育されないとできないスキル。だからこういう思考を自分で身に着けられないのは甘えとか自己責任とかいうのはお門違い。家庭や学校などどこかで教えるべき。学校教育なら国語はそういうことを教えるべき。思考の基礎だから。
2012-03-21 14:02:21動物的思考と言われて、私がその思考法をネガテイヴに価値判断していると思われた方は、西欧・ユダヤーキリスト教的な人間至上主義の価値観にとらわれているということです。
2012-03-21 14:05:07@yutakioka 国語において「分からないことを判断保留にする」スキルを習得できたらすばらしいですね。なぜかそのスキルは教科学習の内側には設定されていないように思います。点数化された成績を見てから自分はこの程度しか賢くないという変な通り道を想定されている気がします。
2012-03-21 14:08:04@yutakioka 教科書に「こういう時は判断保留とすべし」とは書けないので、経験的に学ぶしかないですよね。教師がどれほどその事に自覚的か、に左右されそうですね。
2012-03-21 14:09:36