市民に開かれた哲学とは何か:哲学カフェ VS 哲学道場

2010年6月9日、大阪で開催された哲学カフェ『「幸せ」ってなに?』に出席した哲学道場参加者による、哲学カフェに対する dis とその応答、及び関連するツイートのまとめ。 【Cafe Philo】 http://www.cafephilo.jp/ 【哲学道場】 http://tetsugakudojo.web.fc2.com/ 続きを読む
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@Taroupho

ただ、こう仰っていただけたことは、大変嬉しいです。当方としても、逆にいただいた批判に対しては、真摯に受け止めてゆきたいと思っております。 RT @miurata (…)批判していただくことは大歓迎です。一番恐ろしいことは無視されることなので。(…)

2010-06-10 23:16:31
@Taroupho

そして、ここで無責任にも Togetter をまとめてきます。ある程度、広く議論を呼びかけることが、「市民に開かれた哲学」を考えてゆく上でも、重要だと思うからです。

2010-06-10 23:18:15
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

現在のところ、主に呟いているのは哲学道場関係者が多く、哲学カフェ参加者による反論や、哲学カフェの意義についてのツイートが、あまりみられません(取りこぼしている?)。むしろそういうことを、もっと聴きたいです。 http://togetter.com/li/28376

2010-06-10 23:52:14
@parages

「分かりやすさ」の罠。分かりにくいことを分かりやすく明晰に言語化する努力は常に必要だが、結果分かるのは、本当は分かりあえることなど一つもないということだ。分かりあえないことこそ新たなコミュニケーションのチャンスであり、それを面白がれるよう体感できることこそ哲学の醍醐味であるはず。

2010-06-10 23:53:31
yusuke miyazaki @parages

「分かった」と答えが出る満足より、問いに心を奪われて「分からなさ」に見舞われたときの戦慄と不安を正面から受けとめることのできる感性のほうが、哲学的にははるかに重要だ。

2010-06-10 23:54:52
げしゅ☆ぺんすと @Gespenst177

この台詞、痺れました『哲学という場においては、「哲学用語」という抽象的な言葉こそが、実感に即して語るためになくてはならない道具なのであり、それを明白に斥けることは「哲学」を棄てることにほかならない。』RT: @Taroupho 「市民に開かれた哲学とは何か:哲学カフェと哲学道場」

2010-06-11 00:05:24
@reader502

哲学カフェを今引っ張っている准教授は、哲学用語を使って議論することも、いっさい使わず議論することもできる。普通の言葉だけで語ることはかなり難しいけれど、それでもできるようにはなる。

2010-06-11 00:20:01
@reader502

僕は哲学カフェには参加したことないけれど、その準備のような授業を大学で受けている。確かに、哲学の議論にならないこともあるし、なったとしても全員が付いてこられるわけではない。(そういうときは少し不満だ)

2010-06-11 00:22:41
@reader502

その授業ではいわゆる哲学用語は使われない。それでも、例えば先日は哲学のタームでは「言語ゲーム」と呼ばれる問題に、普通の言葉のみで至った。

2010-06-11 00:25:03
@reader502

それはもちろん生徒の中に哲学や倫理学の学生がいるからで、哲学カフェのような場所でも必ずそうなると言うつもりはない。ただ、哲学用語を使わずとも哲学的な問題にぶちあたることは有り得る。

2010-06-11 00:27:25
@reader502

哲学的な問題を「解く」には概念が必要になるとは思うし、僕はそういうのが好きだ。でも、哲学カフェに目的があるとしたら、問題に「ぶちあたる」ことであって、「解く」ことではないのだろう。

2010-06-11 00:30:15
@reader502

概念は歴史を持っていて、さまざまな哲学者たちがそこで格闘したことは尊重しなければならない。しかし、哲学の歴史とはそれだけだろうか?一人一人に対して問題が立ち現れてきた歩みも、哲学の別の歴史だとは言えないか。

2010-06-11 00:34:29
@reader502

三角形の内角の和が180°だということは遥か昔に見つかったけれど、現代日本のこども一人一人にも、その発見は固有のものとして起きる。同様に、伝統的な哲学の問題にある日街角でぶちあたることがあるだろう。

2010-06-11 00:38:28
@reader502

本に載っている「哲学史」の知見は無視できない。けれど同時に、個人個人の哲学に至る歴史も、哲学するためには必要なのではないか?

2010-06-11 00:40:45
@reader502

そうでなければ、なぜ私たちはカントのルソー体験や、レヴィナスの第二次大戦についても学ぶのだろうか。私たちには、彼らにあった「内面のドラマ」はないのだろうか?

2010-06-11 00:43:37
@reader502

哲学カフェは、まだ途上にあって、当事者の先輩方は常に悩んでいる。普通の言葉で語ることは、概念を駆使して語るよりも、段違いに困難だ。

2010-06-11 00:45:38
@reader502

@livre_camphrier 哲学カフェについてトゥギャられてるよ!要チェック!

2010-06-11 00:47:02
ももんが @livre_camphrier

@reader502 まじでか!ありがとー♪チェックしてみるー

2010-06-11 00:48:24
@reader502

それは、「雑談」へのつながりやすさということもあるし、普通のことばを哲学の議論をするまでに鍛え上げるということが大変だからでもある。

2010-06-11 00:49:04
@reader502

でもそれは、概念を駆使しなければ哲学の議論はできないということを証明するわけではない。ただ、「哲学っぽくなくなる」だけのことだ。

2010-06-11 00:51:26
谷口一平 A.k.a.hani-an @Taroupho

@Gespenst177 いえ、どういたしましてw 特にそんな、大風呂敷を広げるつもりもなかったのですが、勢いに任せて書いていたらあんな感じになってしまいました……。

2010-06-11 00:51:45
@Taroupho

何か、いろいろと広げすぎた。はい、本当に申し訳ないです。ただ、何で哲学なの? 何が哲学なの? という疑念を、初参加者として感じざるをえなかった、というだけです。

2010-06-11 00:53:56
@reader502

今までの哲学史にあった問題でなければ哲学的でないとか、概念が使われなければ哲学でないとか、もし言うとすれば、それは哲学を自ら狭めることにはならないのか。哲学は専門性を要請するのか?

2010-06-11 00:54:30
@livre_camphrier

なるほど、このとぅぎゃりんぐだったら @reader502の意見が出てくるはずだー

2010-06-11 00:54:43
@Taroupho

つまり、ただ具体的に語りたいのであれば、例えば「幸福の指標は作れるか」という問題であれば、アンケート取れば作れるに決まっているのです。それは統計学者や社会学者の仕事。

2010-06-11 00:55:42
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