@kurmacfさんによる、「戦国大名」と「国衆」の関係性

このまとめでの用語定義 「戦国大名」:政治的に独立した権力で、直轄地域を越えた領域を支配下に置いた存在 「国衆」  :「戦国大名」に従属している自治領主 5/6 その後の関連ツイートを更新しました。 続きを読む
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お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf 安堵や禁制は大名が与える恩恵ではなくて、大名に申請して得るものなのですね。お役所の手続きみたいですね

2012-05-03 14:54:56
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@sweets_street というよりも、高額な手数料を支払って発給してもらうものです。

2012-05-03 19:56:19
お菓子っ子 @sweets_street

@kurmacf なるほど。大名から文書を出してるのが権力の証と思ってましたが、むしろ皆が大金を払って欲しがれば欲しがるほど権力が強いことになるのですね。だから、大名権力が強い家は書状が多くなると

2012-05-03 22:36:09
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

…というよりも、戦国大名・国衆成立のメルクマールが、家中の形成におかれているのである。譜代衆の形成がどのようになされたのかが、現在の研究課題となっているわけだ。ちなみに家臣というのは、近世の被官を指す概念用語を中世に転用したもので、実はあまり適当な言葉ではない。

2012-05-03 12:57:51
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

中世だと、内衆あたりを用いるのが適当か。

2012-05-03 12:59:33
@wdaimon

@kurmacf 細川は内衆ですな。

2012-05-03 13:59:08
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

.@wdaimon そうですね。僕も実は博論執筆時に内衆にしたほうが良い、と指導を受けました。ただ、駿河の国人を幕府が内衆と呼んでいる事例があるので、どうも内衆の範囲が僕の認識より広い。それで注釈を付した上で家臣に統一した、という経緯があります。

2012-05-03 14:03:19
@wdaimon

@kurmacf 私も今までごまかしてきたので、大いに反省しております。最近は、「●●氏奉行人奉書」という言い方をしない人もいて、「●●家奉書」というようになりました。わからなくもないのですが、文書名の付け方も難しいなあと感じています。

2012-05-03 14:08:11
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

奉行人奉書と宿老奉書の使い分けで悩んだ結果ですね。 RT @wdaimon: …最近は、「●●氏奉行人奉書」という言い方をしない人もいて、「●●家奉書」というようになりました。わからなくもないのですが、文書名の付け方も難しいなあと感じています。

2012-05-03 14:16:06
@wdaimon

信長時代の「摂津三守護」なんて、バカバカしくて話にならない。何ら実証性を伴ったものではない。ついでにいうと、信長の発給文書に「守護不入」とあるので、守護制度が続いていたとする人もあるが、これも勘違いはなはだしい。何とかしてほしい。

2012-05-03 18:58:42
@wdaimon

信長文書のうち書止文言が「仍執達如件」で終わっているものは、足利義昭の意を奉じた奉書とする人がいるが、これも誤り。判物なのだ。こういうことをいうと、むちゃ怒る人がいる。

2012-05-03 19:00:23
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

仍執達如件は、仍如件を丁重に書いただけで、奉書文言ではない。これも誤解が解けませんね RT @wdaimon: 信長文書のうち書止文言が「仍執達如件」で終わっているものは、足利義昭の意を奉じた奉書とする人がいるが、これも誤り。判物なのだ。こういうことをいうと、むちゃ怒る人がいる。

2012-05-03 20:02:39
@wdaimon

@kurmacf 信長文書に限らず、奉書であると譲らない人は、誰の意を奉じているのかわからずに、困り果てていますね(笑)。古くは相田二郎先生もおっしゃっているので、そろそろ観念してよいと思うのですが。

2012-05-03 20:14:16
@wdaimon

だいたい「守護不入」なんて言葉は、近世になて家康の発給文書にも出てくる。江戸時代になっても、守護はいたという人はいないはず。

2012-05-03 20:10:08
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

正解です。 RT @1059kanri: @wdaimon 「地頭」って言葉も近世まで出てきますねw一種の慣用句だったんですね。

2012-05-03 20:42:21
@wdaimon

ついでにいうと、書止文言が「恐々謹言」で終わる文書を、何でもかんでも「書状」とネーミングするのは辞めてほしい。権利付与なら、間違いなく「判物」じゃ!

2012-05-03 20:19:49
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

これは古文書学のほうで、議論がなされている重要な問題ですね。僕も賛成です。 RT @wdaimon: ついでにいうと、書止文言が「恐々謹言」で終わる文書を、何でもかんでも「書状」とネーミングするのは辞めてほしい。権利付与なら、間違いなく「判物」じゃ!

2012-05-03 20:44:09
Makoto Natsume @Batesonian

@kurmacf はじめまして。togetterを読み、戦国時代の理解が深まりました。ありがとうございます。ところで一つ質問があります。下克上に際して、国衆の果たした役割はどのようなものだったでしょうか?積極的な関与なのか、事後承認しただけでしょうか?教えていただければ幸甚です。

2012-05-03 20:03:23
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@Batesonian すいません。ちょっとご質問の意味がわかりかねます。何か具体的な事例でお示しいただけませんか?

2012-05-03 20:06:53
Makoto Natsume @Batesonian

@kurmacf 稚拙な質問で申し訳ありません。国衆が戦国大名に不満をもったとき、(地理的もしくは歴史的理由により隣国に寝返ることのできない国衆は)戦国大名とその直属スタッフを放逐して、新しい領主に自分にとって都合のいい政策をとらせることもあったのかな、とふと思ったのです。

2012-05-03 21:19:12
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@Batesonian なるほど、了解です。戦国大名を放逐するというより、国人や守護代が守護を放逐して戦国大名化する事例が該当します。この場合、利害関係が一致すれば同調するでしょうし、そうでなければ妨害します。同格の人間の地位向上は妨害するのが普通ですし、中立は考えにくいですね。

2012-05-03 21:31:27
Makoto Natsume @Batesonian

@kurmacf つまり、戦国時代に起こった下克上という政変劇には、国衆の意向が大きく反映させていたのではないか、というのが私の聞きたいところなのです。具体例としては、信虎放逐劇における国衆の関与を教えていただければ嬉しく思います。

2012-05-03 21:25:12
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@Batesonian それが正直、誰が関与したのかはわかっていません。一切記録にでてこないのです。ただ、信玄側近の記録には、追放成功後にはじめて披露されたとありますから、一部重臣(甲斐本国なので国衆も含むでしょう)による秘密裏のクーデターであったようです。

2012-05-03 21:41:27
Makoto Natsume @Batesonian

@kurmacf ありがとうございます。独裁型だと思われがちな戦国大名家も、下からのボトムアップがそれなりに機能していたのですね。それにしても戦国大名とは大変な職業ですね。外交/戦争だけでも大変なのに、内政にも神経を研ぎすます必要がある。普通の神経では勤まる仕事ではありませんね。

2012-05-03 22:08:31
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@Batesonian それならむしろ、越後守護上杉定実が、伊達家から養子を迎えようとして、越後国衆の猛反対にあった頓挫した、という話のほうが向いているかもしれません。国衆の意向が、国政を左右した一例です。

2012-05-03 21:43:32
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