ジャン=リュック・ナンシー 『フクシマの後で』ほか
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ジャン=リュック・ナンシー新刊
ジャン=リュック・ナンシーの新著「フクシマの後で: 破局・集積・民主主義」が11/9、以文社さんから刊行されるようだ。 http://t.co/CS0zfHe7
2012-10-12 12:21:38【11月9日発売予定】『フクシマの後で: 破局・集積・民主主義』(ジャン=リュック・ナンシー著 以文社) 【Amazon】→ http://t.co/8WIsSNMq 【11月発売一覧】→ http://t.co/PaUleyYG #book #bookjp
2012-10-12 20:05:14"「一般的等価性」という概念によって、人間が制御不能な仕方で肥大化してきた技術的・社会的・経済的な相互依存の複雑性を解き明かしつつ「フクシマ」を巡る壮大な文明論的考察を展開">ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』 http://t.co/66XYMILF
2012-10-12 22:51:49おお、ついに刊行ですね。楽しみ。RT @mimishonin: ジャン=リュック・ナンシーの新著「フクシマの後で: 破局・集積・民主主義」が11/9、以文社さんから刊行されるようだ。 http://t.co/iJ60flzU
2012-10-12 23:31:52【新刊】ジャン゠リュック・ナンシー『フクシマの後で』(渡名喜庸哲訳、以文社 http://t.co/hIZaon7W )落手。現代フランスの世界的な哲学者による注目すべきフクシマ論。原著では今年3月に出たばかりだが、早くも日本語で読めることになった。
2012-11-05 16:28:53本書は、フクシマ論以外のナンシーの近著を独自編集のもとに収録し、訳者による独自インタヴューも併載。3.11以後のカタストロフ論を主題としつつ、ハイデガー以後の技術論、68年5月革命以後の民主主義論も展開されていて、フクシマという問いの名の重さがひとつの哲学として直に伝わってくる。
2012-11-05 16:37:26ジャン=リュック・ナンシー著(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で 破局・技術・民主主義』(以文社)が出版されました。言葉の含意を使って論を組み立てる訳しにくい、ナンシーさんの文章が読みやすい訳文になっています。それにしっかりした「訳者解題」がつけられており、おすすめです。
2012-11-09 22:43:24東洋大の渡名喜庸哲さんより、ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で――破局・技術・民主主義』(以文社)をご恵投いただきました。ありがとうございます。今年の初めに出た本だったと思いますが、素早いご訳業、敬服いたしました。 http://t.co/PwpyWDfe
2012-11-12 12:16:54ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で 破局・技術・民主主義』(以文社、2012年)。当センターで昨年12月に行なわれたウェブ国際会議「ポスト福島の哲学」でのジャン=リュック・ナンシー氏の講演が本になりました。当センター研究助手の渡名喜訳で以文社から公刊です。
2012-11-13 12:43:55立花北枝「焼にけりされども花はちりすまし」 - 『フクシマの後で』の巻頭に置かれたインタビューで、ナンシーがこの句の仏語訳を引用していたのが印象的でした。そして新たな時代に入るための「もうひとつの明治維新」という言葉も。
2012-11-20 18:46:18【明日発売11/23号】<4面・今週の書評>◆学術・思想◆著:ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で ―破局・技術・民主主義』(以文社) 評:西山雄二(首都大学東京准教授) #読書 #書評
2012-11-22 15:05:32発売直後に書き上げたのでもっとも早い書評です。@Dokushojin_Club【週刊読書人 明日発売11/23号】ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で―破局・技術・民主主義』評:西山雄二
2012-11-22 21:34:51ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で』で中心的に用いられているマルクス由来の一般的等価性について考えてみると、資本主義社会において、貨幣はあらゆるものの尺度になろうとしていることに改めて思い当たる。心や愛、時間、健康さえも金に換算され均質化されてゆく。つまり生のすべてが…。
2012-11-26 00:49:42ナンシー『フクシマの後で』の中でなぜ一般的等価性が前景化しているのか?読者としてそこに何を読むべきなのかが問われるでしょうね。単なる貨幣的尺度・経済的ファクターの一元論の問題、またそれによる生の均質化という問題のレベルに留まらない文脈を探ることが。@satoshi_sasa
2012-11-26 13:34:46ナンシー『フクシマの後で』で読者が導かれるのは、貨幣的尺度とそれによる生の均質化という言い古された問題を超えて、一般的等価性が「フクシマ」とカタストロフの問題に接続されながら、「文明とは何か」を問う文脈だろうと思います。@aliceizer @satoshi_sasa
2012-11-26 13:43:15ナンシー『フクシマの後で』で触れられていない点がひとつ。「等価性こそが破局的だ」と述べられるわけですが、カタストロフにおいては今度は一般的等価性が揺るがされてしまう。食料もガソリンも不足する状況の中で、貨幣は従前の価値を失い、すべてを測る尺度としての王座からも陥落してしまう。
2012-11-26 13:51:37ナンシー『フクシマの後で』を読んでいる。震災と原発事故に関する講演は、かなり単純な内容である。二番目に入っている集積structionという概念についての議論は、一種の技術時代の哲学で、檜垣さんの『ヴィータ・テクニカ』とも共鳴する。
2012-11-27 19:39:32技術ってことに対してナンシーは両義的な態度。たぶん、基本的にはあまり好きじゃないんだろう。でも、技術時代は拒否できないから、そのなかでポジティブに考えようとする。でもなんかなぁ、みたいな態度に感じる。
2012-11-27 19:43:23@masayachiba ナンシーに詳しい方、に当てはまるかどうか分かりませんが、あの態度をどう捉えるかによってナンシーの「技術論」というものが取り出せるか否かが変わるでしょう。最近ナンシーがStructionと言っているのは、(続
2012-11-27 19:53:42@masayachiba 少し前までEcotechnieと言っていたものに相当すると考えられます。いずれも自然/技術、目的/手段がないまぜになった配分的世界の構成=脱構成を記述しようとしている。一見否定的なトーンで今日の技術的世界を論じているように見えるが、しかし、(続
2012-11-27 19:56:38@masayachiba Ecotechnieを論じていた時にはそちらに賭けている、「技術」にこそ技術‐資本主義への対抗原理の一つを見ようとする視点があったように思います。また『コルプス』にもこの語は何度も登場しますが、「技術」によって他者の心臓と生きることになったナンシーが、
2012-11-27 20:06:38@masayachiba 単なる技術批判を行っているとは到底考えられないわけです。もちろんのこと、彼が心臓移植を受けた場であるフランスでの医療制度の諸問題等々、ナンシーの死角になりうる点も含めて考えるべきことではありますが。と、とりいそぎのコメントです。
2012-11-27 20:08:25