日本語の主語についてよしこの芽@yoshikonomeと安冨先生@anminteiとの会話

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よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

@kurogi2010 @anmintei 河の流れに手を突っ込んだりじゃぶじゃぶ入って遊んだりする感覚で、その時足元の流れは一瞬たりとも足を入れた瞬間にあったのと同じ水ではありません。作者の時代からして、今よりずっと普通に河に親しんでいたのではないでしょうか。

2012-05-28 17:13:29
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

【魂のコンポジウム 天下分け目の関ヶ原・第二陣】2012年6月9日、なぜか関ヶ原が京都・亀岡に出現する!!「生きる世界をつくる・里山を遊ぼう」主催・三嶋鋳二、企画・安冨歩、司会・深尾葉子、出演・赤城修司、よしこ、千葉泉、ほか。 http://t.co/ZbDW0qWF

2012-05-28 17:26:39
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

@yoshikonome もちろん名文で、意味を成しています。しかし、「流れ」を主語だと思い、「水ではない」を述語だと思うと、意味をなさなくなる、という趣旨です。そういうふうに考えてはいけないのです。

2012-05-28 17:31:15
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

@anmintei こうした、修飾語を伴って意味を為す文は、日本語でも英語でもあると思うのですが。先生の解釈をお聞かせくださいませ。

2012-05-28 17:35:00
中所 宜夫 @show3418

@anmintei @yoshikonome 横から失礼します。「主語はいらない」という事は、古語での会話を日々体験している者には、当たり前ですが、それを飲み込むのに抵抗感がある事に、色々考えさせられます。現代日本語は、欧米語の外套を纏う事で出来てきたように思えます。

2012-05-28 17:56:39
いのうえひろゆき @gushou

言語体系には「行為する主体」を軸に組み立てられるものと「観察する主体」が軸のものとがあるような。主語+述語の言語の場合には前者。日本語は後者。「行為する主体」からみれば観察は行為である一方、「観察する.. http://t.co/ImSIw6pl

2012-05-28 18:05:26
中所 宜夫 @show3418

言葉には主語と述語が揃っていないと不完全だ、というのは、欧米語中心思考による思い込みのようです。現代日本語が古語と著しく違っているのは、欧米語を学ぶ事によって、その文法構造を日本語に導入し、主語述語の不明確なものを非論理的と退けて来たせいでしょう。

2012-05-28 18:11:24
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

@show3418 @yoshikonome おお。能楽師さん。その通り、日本語には主語なんていう概念はないですよね。現代語は古語からすると、ずいぶん、変な言葉になってしまいました。

2012-05-28 18:13:21
中所 宜夫 @show3418

現代日本語は論理の衣を纏う事で、掛詞や縁詞などの豊かな修辞法を失ってしまいました。言語のパラダイムを変換させることで、もう一度あのの豊穣を取り戻し事は可能でしょうか。

2012-05-28 18:17:13
中所 宜夫 @show3418

現代日本語は論理の衣を纏う事で、掛詞や縁詞などの豊かな修辞法を失ってしまいました。言語のパラダイムを変換させることで、もう一度あのの豊穣を取り戻し事は可能でしょうか。

2012-05-28 18:17:13
いのうえひろゆき @gushou

「観察する主体」からすれば、世界にはもともと「選択」などといったものは存在しない。

2012-05-28 18:19:06
中所 宜夫 @show3418

@anmintei @yoshikonome それをお二人のやり取りを見ていて、改めて確認しました。有難うございました。

2012-05-28 18:20:05
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

「主体」という考え自体が、問題なのだと思います。「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」の「主体」は誰でしょうか。 http://t.co/trJPinNY

2012-05-28 18:21:49
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

@anmintei @show3418 私が知るのは大学受験の古文までですが、古文に主語が少ないのは分りますし、主語が明白であれば特に書かない、主語+述語が必ずセットである必要はないと思います。そういえば、自分で本日のブログに主語がないと散々書いておりました。→

2012-05-28 18:22:36
中所 宜夫 @show3418

前の呟き、誤字が多いので修正。 RT @show3418: 現代日本語は論理の衣を纏う事で、掛詞や縁詞などの豊かな修辞法を失ってしまいました。言語のパラダイムを変換させることで、もう一度あの豊穣を取り戻す事は可能でしょうか。

2012-05-28 18:23:25
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

それに挑戦したいです。RT @show3418 現代日本語は論理の衣を纏う事で、掛詞や縁詞などの豊かな修辞法を失ってしまいました。言語のパラダイムを変換させることで、もう一度あの豊穣を取り戻す事は可能でしょうか。

2012-05-28 18:25:10
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

@yoshikonome @show3418 主語が明白であれば特に書かないのではなく、「主語」という概念がない。

2012-05-28 18:25:50
いのうえひろゆき @gushou

私は英語で思考するということができないのでそちらはなんともいえないが、日本語での思考では、「思考する主体」は「言語する主体」とは別にあって、「言語主体」が「思考主体」を観察して言葉にしているような感じがしている。

2012-05-28 18:26:48
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

@anmintei @show3418 →私は、主語が無いと私という自我を奪われるようでとても恐ろしく震えてしまうのです。文法としての主語の有無以前に「動作の主体」は存在しますよね?主語が無くても成立することが、日本人の在り方を規定している部分もあると思うのです。

2012-05-28 18:29:05
いのうえひろゆき @gushou

承前) なので、「思考する」というのは、「耳を澄ます」という感じに近い。何に耳を澄ますのかは、わからないのだが。「暗黙知の次元」にかな?

2012-05-28 18:30:42
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

概念がない、という意味は分るのですが、元来「主語」に相当するものが無いのは恐ろしいことではないですか?古代も今も無意識に動作主体が存在すると考えるのも、誤りでしょうか? @anmintei @show3418 主語が明白であれば特に書かないのではなく、「主語」という概念がない。

2012-05-28 18:36:50
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

「主語という概念が無くても安心して自我が成立していられる」と打とうとすると手ががくがく震える。。。

2012-05-28 18:37:48
よしこの芽🇳🇱/Yoshikonome @yoshikonome

@anmintei @show3418 もしかして、私が恐れているのは「名」を奪われることかもしれません。

2012-05-28 18:38:40
中所 宜夫 @show3418

@anmintei 是非お願いします。私も自分の道が少し見えたような気がします。

2012-05-28 18:43:39
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei

自我が成立しているか、していないかは、問題にならない。ましてや主語の有無など、問題にならない。問題になるのは、私という場が作動しているかどうか。 @yoshikonome 「主語という概念が無くても安心して自我が成立していられる」と打とうとすると手ががくがく震える。。。

2012-05-28 18:45:53
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