お菓子っ子さんの語る、董卓伝2~袁紹との対立表面化まで~
- tetteikaikyou
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一方、洛陽に残った袁紹派にも動きがありました。かつて皇帝直轄部隊西園軍の校尉(旅団長)を務めていた袁紹の友人曹操を驍騎校尉(旅団長)に取り立てようとしたら逃亡され、何進の命で地方で募兵した後に洛陽に戻っていた騎都尉(旅団長格)鮑信も洛陽を退去して、故郷で勝手に兵を募り始めます
2012-05-28 20:06:14洛陽の外には何進が募兵のために地方に派遣した幕僚たちが、何進の死後も兵を持ったまま形勢を見守っています。その中には袁紹に近い人物もいます。そして、董卓が抜擢した地方長官たちの多くが袁紹の友人です。「あと一歩で自分たちの時代だったのに」と不満を抱える袁紹一派と董卓は一触即発でした
2012-05-28 20:12:06ここまでが董卓が政権を握ってから、袁紹一派との対立が深まるまでの流れ。董卓の政治姿勢や政治基盤、董卓政権が抱える火種などがご理解いただけただろうと思います。一休みしますので、質問がある方はどうぞ
2012-05-28 20:14:14@sweets_street どこをどう見ても、董卓が政権を維持するには、連合組んだ袁紹一派に軍事的勝利を収めてというプロセスが不可欠なような気がします。あと、董卓がわざわざ相国にまでなった理由が、ちょっと分かりません。大尉くらいでもいいような気がします
2012-05-28 20:26:42@humikasan ツイートの中で触れましたが、正式な政権首班は録尚書事(首相)の資格を持つ袁隗です。董卓は節と斧鉞を持って軍事指揮権を保有していますが、三公のままでは上公の太傅で録尚書事でもある袁隗より格下です。袁隗と地位を並べるには、上公の相国に進む必要がありました
2012-05-28 20:30:19@sweets_street 官位の格の問題ってことですか、見落としていたようです。しかし、後漢末って曹操が強くなるまで、何処をどう切っても、袁家の誰かの名前が出てきて、驚きます。董卓が血気盛んな青年革命家っぽく見えてきました
2012-05-28 20:36:41@humikasan 袁紹と袁術が二大勢力でしたしね。あと、今回のツイートでこの二人の叔父の袁隗の存在感が見えてくると思います
2012-05-28 20:39:39@sweets_street 袁紹が太守となって「ふざけた態度」をとった段階で、曹操が逃亡し鮑信が募兵して、群雄割拠の形成が作られたということでしょうか。言い換えると、董卓派と袁紹派の対立がきっかけとなり中央の求心力が地に落ちたのでしょうか。
2012-05-28 20:27:18@cdc_blues そもそも董卓政権は、発足時のゴタゴタから袁紹一派という馬鹿でかい火種を抱え込んでたんですよ。袁紹という人は誰かが自分の頭の上に立つことを許さないので、人脈を使って揺さぶりをかけ続けたということでしょうね
2012-05-28 20:34:42@sweets_street すごく楽しく読んでますが、いつまで続きますか?董卓が死ぬまででしょうか?
2012-05-28 20:30:48@yoshi_otsuka 董卓が死ぬまでになると思います。出来れば死後もやりたいですが、さすがにキリがないですね。やらないと締まりが悪いですが
2012-05-28 20:35:37