- Leethoo_Tat
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自分が生まれ適応してきたシステムが、将来破滅的な転化を遂げるなら、変わらなくてはいけない。それは遠い過去において成功するために正しいシステムであっても違うシステムにならなくてはいけない。それは近代を生きてきたこの私の感覚で、それはより釈尊に近い時代にできた原理と隔たっている。
2012-06-06 21:08:50人は属するシステムの全体を知ることは出来ない。だからこそ、エートスの安定のため超越的なものが要請される。「釈尊が輪廻を肯定したから、殺生を禁じたから。」外部のシステムとの接触がどうなるのであれ、その教団は物理的に殺生をしないだろう。
2012-06-06 21:18:56昔先輩である某師に「私は道元禅師や釈尊がどうであれ、私は自分で考えて選択したい。」といったことがあった。「いやお前がどう思おうがそれを、(道場に)求めるなよ。それは我というものだよ。」と言われた。何が正しいかを自分で考えるという近代的感覚は捨てるべきエゴであるというのが自明だった
2012-06-06 21:31:03「私はそれを無条件で正しいこととは思えない。それを保留「」にいれてその通りとしてみても、その教えに誠実に従っていることにならない。」ということがいつも「修行僧時代」念頭にあって違和感が確信になっても、システムを作る別の原則は正しいと思える。しかしそれはいいとこ取りを許さない。
2012-06-06 21:39:34それはシステム全体で一つの超越であって、「これについては釈尊の言葉だから絶対。これは釈尊の言葉だけど間違ってる。」という形では信仰として成立できない。またいつかはそうやってジリ貧で破滅ないし別物になってしまうという性質のものだからだ。
2012-06-06 21:48:48@nanbashura 教えを聞いて考えるのは正く伝統的です。聞思です。考えないと理解できないからです。しかし、教えに自分の見方を入れるのはエゴにほかなりません。倒錯した自分の見方を直すための教えにエゴを入れるのは、医者が改めろという習慣を改めないようなものです
2012-06-06 22:03:51@ooo157 そうした場合、どのようにして教えの真偽正邪を確かめるのでしょうか?教えに叶っているかどうかで判断する限り、その教え自体を吟味することは出来ないのではないか?といったところで引き裂かれてしまうのです。
2012-06-06 22:11:07@nanbashura いわゆる理証と経証を用いますが、師匠と決めた方のいうことで核心的な部分は必ず従わないといけません。ですから、最初に師匠を探すことが重要になると考えますし、伝統的にもそう言われています。
2012-06-06 22:17:35@nanbashura 完全な保証はありません。やれることはやるというかんじです。最終的に業に決定されると言えますので、布施、供養、持戒など普段の行動をよくすることも重要だと思います。
2012-06-06 22:31:32@ooo157 大乗仏教に則ればその通りで、誠実なお答えとおもいますが、一生をかける決断を要請する問題としては、今の私を含めた一般的な社会に育った人には説得的ではありえないし、是非善悪を置くとして普通の人の健全な良心も充分に納得させることは難しいのではないでしょうか?
2012-06-06 22:41:41近代的理性や感覚。可能な限りすべてを吟味して、少しでも善い選択をしようとする。その蓄積として輪廻や因果応報は証明されない。普通の人生を送っていたら、平穏な人生を送れただろう人が、義理に拘束されて修行道場で精神を病んで帰り自殺する。それが、超越の等価な代償とはこの感覚は認めない。
2012-06-06 23:35:22輪廻を前提にして教えがあるということは、結果的に人命より大事なものを認めるということ。教えよりも人命を優先するということは、ある人が命よりも大切にしているものを、時には否定するということでもある。その判断を近代人である僧侶が自明のものとして継続することを良しとするのか?
2012-06-06 23:49:12僧侶は近代人を脱する仏法の中にいるという人もいるかもしれませんが、(家業を継ぐという)「自分の意志」で修行に来た9割の近代人が、脱しようとする場所が修行道場なんです。その6割は一年で帰ります。
2012-06-07 00:00:17それでも、その病んで苦しむ仏教徒を救うのは仏の教えであるということ、たとえ教えの自明性や生きた信仰世界が毀損されても、それに賭けることは出来ない部分はある。しかし教えのある部分は、それを行うものを生かし、捨てることは出来ないという解決の目処のない矛盾はあり続ける。
2012-06-07 00:14:16@nanbashura 昨日のツイート拝見して以降、自分もつらつら考えてるのですが、そもそも輪廻転生って仏説なんでしょうか?もうその辺からわからなくてw
2012-06-07 00:24:37@SAM_tak 最も仏陀の時代に近い時期にまとめられたと考えられている原始仏典では、仏陀はしばしば輪廻することを前提にした説法をされています。上座部では釈尊のサンガの伝統をまとめた経典に基づいて今も組織運営がなされている形で、釈尊が輪廻を否定しなかったのは自明となっています
2012-06-07 00:45:44@nanbashura ありがとうございます。やー毒矢の例えのせいでどこまで仏陀が古代インド思想の世界観にコミットしてたのか、ずっと疑問だったんですよ
2012-06-07 00:48:35@SAM_tak コミットはしているというのは多分確定で、それがアイロニカルなものなのかが、論争の続くところです。(旗色はだいぶベタに傾いていますが)
2012-06-07 00:52:55@nanbashura 当時の常識的概念だったのだから、お釈迦様でも無批判に採用していたとしても不思議ではないですしね。しかし、仏陀もただの人、では信仰にならないか…
2012-06-07 01:01:45