【哲学の小授業】脱構築ってなあに? デリダのアイデア太極拳!

またこいつがいろいろやってるなぁ。 でもまあ、いっか。彼がいろいろやってくれるならこっちも身が軽いというもんだ。 これはジャック・デリダという哲学者の方法論を、簡単に解説する内容になっている。僕の思考のヒントにもなっている。 続きを読む
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večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

扨、と。早速だけど、この前の小話の続きを、今日はしよっかな。今日は、「脱構築」 という考え方についての解説と、その実践例。そこから、以前の話題に引き継投げて、なぜ彼があの3つを分けたのか、というところを考え出して行こうと思う。

2012-06-25 19:56:41
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

まず、キミたちにはこんな「対」を考えてほしい。と、大きいと、小さい大人と、子供自分と、他人と、。そういう感じの、「二つに対立するもの」を思い浮かべてみてほしい。

2012-06-25 19:57:45
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

こうした対立は、お互いがお互いを拒否しているね。「男である」ということは「女ではない」ことであると思っているし、そんな感じで、こうした「真っ二つの対立」は、いっつも「こっちがわであること=あっち側の反対の要素を含まない全部」だと思っている。

2012-06-25 19:59:22
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

哲学の言葉ではこうした対立の事を、「二項対立」と言う。真っ二つの対立。これがあるときは、その一方を「自己」自己を含まない方のことを「他者」と呼ぶんだ。

2012-06-25 20:00:19
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

つまり、「男」が自己なら「女」が他者さ。「西洋」が自己なら、「東洋」が他者。逆であっても同じだね。「女」が自己であるなら、他者は「男」になる。

2012-06-25 20:01:22
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

常識的で、なんともないやつらだろ?でも、こうした考え方が、いろいろと問題を起こしているんだ。

2012-06-25 20:02:02
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

例えば「男と女」っていう真っ二つの対立(以降、二項対立と言う)では、例えばこれらの言葉の意味や使われ方を決めるとき、その決め方をすることで、そうでない方を一緒に決めつけようとしてしまう

2012-06-25 20:03:10
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

どんな例がいいかな。そうだ、「女の子はおしゃべりだ」っていう考え方を示してみよう。自己/他者の関係で考えるなら、「つまり、おしゃべりじゃないのが男だ」っていう風になる。これ、どうだろうね?「おしゃべりな男」だっているじゃないか。なのに、これはなんという決めつけだろう。ひどいね。

2012-06-25 20:04:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そんなふうに人を決めつけたりして、本当に大丈夫?って思えてくるね。

2012-06-25 20:05:03
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

他にもこんなのがあるね。「西洋人は技術が進んでいる!…てことは「東洋人はそうではない」の?そんなこと言うけどさ、西洋の技術が進んだのって、東洋の技術の輸入ばっかじゃないか。

2012-06-25 20:05:55
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

じゃあだからといって「東洋人が西洋人の先輩だったんだ!」とか、言っていいのかな。じゃあ、「西洋人」はみんな東洋人の後輩で、劣ってる、って「決めつけ」なんて、していいのかな・・・。みんな、そう思うよね。

2012-06-25 20:07:08
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

実は、僕たちは生きていくうえで、こうした「二項対立」を作っては、それのナカミをどんどん決めていくなかで、半ば行き過ぎたところまで、なんらかの「決めつけ」をしてしまうことがある。その決めつけは、時に、他者の特別な在り方を蹴飛ばしてしまう、酷い考え方を生み出しかねないんだ。

2012-06-25 20:08:34
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

実際、哲学がそういうことを今まで、さんざんやってきたんだ。そういう風に何か物事を決め、答えを出していく。そのために、言葉とその意味の力を借りて考えることをしてきた…それが『形而上学』、所謂哲学、ってやつのやってきたことなんだけど…。

2012-06-25 20:10:20
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

形而上学、というのは要するに「プロの哲学」だと思っていい。この哲学では、存在とか人生とか恋愛とか政治とか、そういう形のないものについて、概念…つまり言葉とその意味の力を借りて、考えていきながら答えを出していく仕事をするんだけど、

2012-06-25 20:12:02
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そういう仕事をするときに、どの哲学者も、いつも「必要なパーツ」だけ使って一つの考えを示し、答えを見つけた!と云おうとするんだよ。でもそういうパーツだけで作った!ってやった哲学は、実際人生に応用しようとすると、ええっ?!って思う時が多い…。

2012-06-25 20:13:08
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

どうして、そういうことになってしまうのかな?それは、まさに形而上学ってやつが、「二項対立」への「決めつけ」をやってしまって、そのまま猪突猛進(前に突っ走ってしまいまわりをみないことだよ)してしまったりするから、だということが結構あるんだ。

2012-06-25 20:14:19
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

例えば「弁証法」とか言うやつなんかね。ヘーゲル、っていう哲学者が作った思考の方法なんだけど、こいつで考える歴史は、インドから始まって、最終的にはドイツが一番になる歴史、って出てくる。え?ドイツ最強?インド最弱?そんなの、ひどくないか?

2012-06-25 20:15:30
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

もっと前に戻ってみようぜ。デカルトさんだ。デカルトさんは精神と物質を分けて、精神が優れている、って言う(ヘゲルさんも結局似たこと言うんだけどね)。じゃあ物質は優れていないの?物質の力で精神ができている、ともいえない?

2012-06-25 20:17:02
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

こういういろ~んな「決めつけ」をやり続けてきた結果、哲学が自ら望んでもいない事故だとか、悲しみを歴史に生んできた、っていう反省が、哲学者たちには強くあったんだよ。というわけで、『ああ、どうしよう!!』って考えてしまうわけだ。

2012-06-25 20:18:01
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そこに、今とそうそう昔じゃない頃、ていうかつい最近の哲学者の「ジャック・デリダ(1930~2004。すっごい最近だね!)さんは、そんな中で、一つの考え方を思いついたんだ。そいつが、よくよく悉若無のやつが持ち出してくる『脱構築』っていう考え方だ。

2012-06-25 20:19:32
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

『脱構築』という言葉について。デリダはフランス人なので、フランス語でこの言葉を作ったよ。Deconstruction(デコンストリュクシオン)って書く。英語で読めば「ディーコンストラクション」って感じに聞こえるかな。ドイツ語では「Abbau」(アプバウ)って言う。

2012-06-25 20:21:10
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

この単語は、「De(~から外す、外れる、外の)+Con(集める)+Struct(建てる)」っていう仕組みでできている。つまり、「集めて建てられたモノから外す」っていうイメージが与えられているね。

2012-06-25 20:22:20
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

「集めて建てられたもの」…つまり「建築」だ…それは何かな?そう、「哲学」、形而上学の事さ。形而上学で、自分の都合のいいパーツだけ使いまくって豪華に立てた大建築。こいつが哲学だ。

2012-06-25 20:23:25
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そういう建物を立てちゃうと、迷惑がかかるんだったね。で、だから「De」しようと、こういうわけだ。え?もしかしたらそれって、せっかく建てた建物を壊しちゃう、って、そういうことに聞こえる?

2012-06-25 20:24:20