【哲学の小授業】脱構築ってなあに? デリダのアイデア太極拳!

またこいつがいろいろやってるなぁ。 でもまあ、いっか。彼がいろいろやってくれるならこっちも身が軽いというもんだ。 これはジャック・デリダという哲学者の方法論を、簡単に解説する内容になっている。僕の思考のヒントにもなっている。 続きを読む
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večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

では、「享受」はどうだろうか。享受する。例えばテレビを視たり。そういうとき、電気代が発生するね。「消費」が楽しむことの中に入っている。

2012-06-25 21:22:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

二つに分けて考えることが、(混ざっているとはいえ)できるというのにそれをひとまとまりにして、僕たちをただの『消費者』に丸め込む。これ、どうなんだろう?それは、世の中で消費者からお金を儲けたいって人たちのための、一種の「ズルさ」が顕れた考え方なんじゃない?て思える。

2012-06-25 21:25:42
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

さあ、そこだ。そこに悉若無…僕の分身だ―――あいつがみつけた着眼点がある。世の中、消費者だけじゃない…今、貴方達が語り忘れてきた、「享受」の哲学をこそ、僕たちはすべきなんだ、とね。そういうところに、彼の「享受」の発見が、その意識があるんだ。

2012-06-25 21:27:00
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

かくて、あいつ(悉若無のことだ!)の「享受哲学」が始まるんだ。そう、彼が探し求める歌の妖精の歌声が伝えたメッセージは…彼に、「享受哲学」という脱構築の形で伝わった、というわけさ。

2012-06-25 21:29:08
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

さて、前回の小話の続きをここに引き繋げてみよう。悉若無のやつが考えるのは、「創作者」「提供者」「享受者」の3つ。この分割は、できるのか?

2012-06-25 21:30:17
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

創作者…作り手は、享受者他者かどうか?それもさっきの図式を思い浮かべて、当て嵌めてくれればいい。創作者は、享受者になりやすい。自分で作った曲を自分が聴くこともできるね。受けてもまた、享受したところから創作したいというインスピレーションがわく。

2012-06-25 21:31:58
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

享受するという事の中に、創作がある創作のなかに享受がある。脱構築できた。つまりこいつら二つは他者だ。

2012-06-25 21:32:24
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

次に、創作者提供者だ。提供者は紹介するが、創作しない。しかし、宣伝を「作って」いる。宣伝自体が1つの作品になることだってある。創作者は提供しない?創作した物を自分で発表することがある。けれど、創作するときに同時に提供とかしてないね。

2012-06-25 21:33:57
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

製作するアニメも、提供するのはスポンサーやテレビ局で、アニメータではない。お互いの要素が入りつつ、やはり自己と他者といえそうだ。

2012-06-25 21:34:50
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

最後に、享受者提供者だ。要は「売り手買い手」だね。買い手から、売り手にアピールや提案ができる(なんと、提供者に提供している!)。そして、売り手は、買い手の主張を、受け取っているね!(提供者が享受している)。でも、売り手と買い手、は別だ。まさに自己と他者だね。

2012-06-25 21:36:36
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

したがって、創作者/提供者/享受者の関係は、お互いが関係し合いながら他者である、こういうしくみになる、と悉若無は言っているんだね。かくて、分けることが出来る、と。そういうことだよ。 http://t.co/kiIfxra1

2012-06-25 21:42:18
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večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

何故こういう風に考えようとしているのか、それはもう明らかだ。もう絶対に批評家の都合のいいようにはさせないように。売り手の都合、作り手の都合、受け手の流行の都合、っていう考えに流されないで、それぞれの関係の中で、創作の意味について、考えて行かなきゃいけない、と思っているからだね。

2012-06-25 21:43:28
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

そこを、どっかかんかひっくるめて一緒くたにすることで、今いろいろなトラブルが、例えば、創作された音楽の中で、歌う人たちの中で、そして遊び聴く私たちの間で、いや、音楽に関わらず、あらゆる創作の世界で起きている。だから、それをしっかり分けながら、関係させて考えろ、としているわけさ。

2012-06-25 21:44:31
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

正直僕は悉若無(あいつ)がこう考えているのは、少し無理がある…というか、そうなるとそれぞれの哲学の構築が大変になるぞ・・・・て思うのだけれど、僕の領野ではないし、まぁゆっくり眺めていようかな、って思ってる。悉若無のやつが今後、これをどう扱っていくか、楽しみにしているよ。

2012-06-25 21:45:47
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

あっちでは、カオスラウンジだとか東浩紀だとかいろいろとヘンテコな異変が起きているようだけど―――彼は、それをなんとかしよう、とそう考えているみたいだね…。まぁ、あったかくかつ冷やかに見守っとこうか。今後とも、あいつの使う変な言葉は僕が解説していくから大丈夫だよ。

2012-06-25 21:47:00
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

まぁ…今日の処は、そんなところかな。今度は、今日の「脱構築」に関係の深い概念である「差延」…まさにこれも、僕たちの生きているこの世界のことを示している言葉なんだけど――――それを御話してあげるね。そう…僕だって、差延のひとつに過ぎないんだから――――――

2012-06-25 21:48:49
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

以上…なにか質問とか批判とかあったら、僕に気軽に話しかけてくれ。

2012-06-25 21:50:37
večer(ヴェチェール) @Shunyam_B

【シューニャリアーナシリーズ】創作・提供・享受の根本原理に少しだけ足を踏み入れる http://t.co/B3HDpWOm これが悉若無(あいつ)がまとめた思考の一部だ。さっき教えたことを想いだしながら、このまとめを読んでごらんよ。

2012-06-25 21:57:15