市民的不服従をめぐるやりとり
市民的不服従について弁護士などに相談しても、摘発されれば世間から犯罪者扱いされ、裁判になればまず負けると判っているから、勧められない。周囲も、よしなよ、ってなる。結局、おとなしくしているのが吉となる。
2012-07-02 00:33:09@tari_GT @hirakawah @A_laragi さらに,本丸が国ならばまだ話は早いのですが,現在では,経済は国のコントロールを超え,逆にコントロールしつつあります。従って我々は,国家の裏側にあり,これに影響を及ぼしているシステムを見極めねばなりません。
2012-07-02 00:36:10@kabutoyama_taro まったく『形式的合法性』さえ備えていれば何をしてもいいなどという考え方は『法精神』からの逸脱であり亡国をもたらします。
2012-07-02 00:36:54@TAKASHIMA724 @hirakawah @vc_repubblica アレント曰く「市民的不服従は新たな形の自発的協業でありアメリカ連邦憲法の精神にのっとるものだ」。守銭奴により買収された政党と官僚による反憲法の法律や行政ルールに服従しないことは憲法を守る行動。
2012-07-02 00:37:35アレントの『暴力について』みすず書房 お読みください。RT @A_laragi 「法は法」なのですけどその「法」や法体系そのものの正当性について常に問い直す機会というものが民主主義国家にとっては不可欠なわけですね。その重要な契機の一つが「市民的不服従」なわけです。←その通り!
2012-07-02 00:44:16暴力は言葉の放棄。野田政権はまさに政治的暴力を実行しています。言葉はそれ自体が真理を基盤にしてますから、言葉は暴力の敵であり、暴力より強い。言葉で結合する市民の公的自由の行使、これが権力です。権力は人々の協業のみから生まれます。(アレントの「人間の条件」を読んで下さい)
2012-07-02 00:48:30@hirakawah 昨日もツイートしたのですが,日本人の多くは逮捕=犯罪者=共同体破壊者との観念が強いので,よけいにそうなるのでしょうね。
2012-07-02 01:26:39ここで、「市民的不服従つながり」で始まった @hirakawah 先生の連ツイは、以下のまとめにあります。
「市民的不服従は、立憲主義憲法秩序を一般的に受容した上で、異議申立の表現手段として法違反行為を伴うが、それは「悪法」を是正しようとする良心的な非暴力的行為によるものであるとこに特徴があり、(続く)
2012-07-02 01:44:32承前)「そのような真摯な行為の結果、「悪法」が国会によって廃止されたり、裁判所によって違憲とされて決着をみることがありえ、そのことを通じてかえって立憲主義憲法秩序を堅固なものとする役割を果たしうる。」(佐藤幸治「憲法」)
2012-07-02 01:45:12「悪法も法なり」という形で可視化されてしまったパラドックスを、あくまで法の側で脱パラドックスする操作は、法学者先生の大好きな法秩序の維持という観点からも極めて重要なんだけどねー。
2012-07-02 02:02:38如何にもネオリベとかって感じである意味普通っぽいような気が RT @kabutoyama_taro: …という見方をするなら、あの法学者先生の発言は、保守主義どころかむしろアナキスト的であるとさえ言える。
2012-07-02 02:07:20