美学校特別講座「中ザワヒデキ文献研究番外篇」第三回

美学校にて2012年6月より毎月第一、第三水曜日に開催されている「中ザワヒデキ文献研究番外篇」の第三回。 開催日:2012年7月4日 前半で読み進めた文章↓ 続きを読む
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ひらま @qwertyu1357

"吉村益信を中心とするグループにモヒカン刈りの篠原有司男が合流して、1960年3月、第12回読売アンデパンダン展初日の晩、「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の結成が宣言されました*3a2。" #番外

2012-07-04 19:27:54
ひらま @qwertyu1357

”メンバーは吉村益信、篠原有司男、赤瀬川原平[赤瀬川克彦]、荒川修作、石橋別人[石橋清治]、風倉匠[風倉省作]、豊島壮六ほか。工藤哲巳と三木富雄は常に行動を共にしていましたが、加わろうとはしませんでした。” #番外

2012-07-04 19:28:12
ひらま @qwertyu1357

”グループが「ネオ・ダダ」の語を採用したことに関しては、評論家の東野芳明による次の記載があります。「“ネオ・ダダ”という名称にしても、ジョーンズとラウシェンバーグがデビュー当時、“ダダの焼き直し”と揶揄されたのを知ってか知らないでか、直輸入したものらしい」。” #番外

2012-07-04 19:28:51
ひらま @qwertyu1357

”一方「反芸術」の語に関しては、篠原有司男の著書「前衛の道」(1968年刊行)に次の記載があります。「反芸術という言葉をひっさげて帰国した美術批評家・東野芳明氏は、第12回読売アンデパンダンの会場に荒れ狂うビート作品に対し、“反絵画・反彫刻”なる名詞を投げつけた。” #番外

2012-07-04 19:29:17
ひらま @qwertyu1357

”ぼくらは不満だった。あくまでも前衛芸術を既成芸術に対するアンチテーゼとしてしか取りあげようがないのだろうか? ぼくらは旧権威、旧思想に対しなんら反発を感じてはいない」。とはいえ、すぐに彼らも反芸術を自称するようになりました。*3c5 *3c6も参照ください。” #番外

2012-07-04 19:30:03
ひらま @qwertyu1357

”1960年4月、東京の銀座画廊で第一回ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ展が開催され、篠原有司男がマニフェストを起草しました。” #番外

2012-07-04 19:30:53
ひらま @qwertyu1357

”。「一九六〇年の生殖をいかに夢想しようとも、一発のアトムが気軽に解決してくれるように、ピカソの闘牛もすでにひき殺された野良猫の血しぶきほどに、我々の心を動かせない。(つづく” #番外

2012-07-04 19:31:38
ひらま @qwertyu1357

”つづき)真摯な芸術作品をふみつぶして行く二〇・六世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」。” #番外

2012-07-04 19:32:02
ひらま @qwertyu1357

”このとき篠原有司男は画廊の中空に300個のゴム風船を群がらせ、上田純は豆腐の上でもやしを栽培しました。石橋別人は、車道に8分間放置してタイヤ跡をつけたケント紙を展示し、その前で座禅を組みました。” #番外

2012-07-04 19:32:21
ひらま @qwertyu1357

”そして、画廊内のあらゆる物を叩き壊しながら録音した音が画廊の窓から街頭に向けて放送され、吉村益信は展覧会ポスターを全身にミイラのようにぐるぐる巻いて銀座の路頭にさまよい出ました。” #番外

2012-07-04 19:33:14
ひらま @qwertyu1357

”同じ頃、国会議事堂の周辺では日米安全保障条約の改定に反対する「60年安保闘争」が大々的に繰り広げられていましたが、ネオ・ダダのグループもそのデモに参加し、ただし「安保反対」ではなく「アンフォ反対」と叫びました。アンフォルメルに対する揶揄でした。” #番外

2012-07-04 19:33:31
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「堀浩哉さんからのメールにも行ったと書いてありましたね。それによると12万人くらいいないといけない、まだまだ足りないと言っていました」 #番外

2012-07-04 19:34:59
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「イラク戦争の時に、反対デモが全世界でありました。しかし日本では起きていないという事で掘りさんがデモをやろうと言っていました。」 #番外

2012-07-04 19:37:54
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「その翌日か翌々日に椹木さんたちが”殺すな”を立ち上げたわけですね。」 #番外

2012-07-04 19:38:43
ひらま @qwertyu1357

”同1960年7月、東京新宿の吉村益信のアトリエ(通称「革命芸術家のホワイトハウス」)で開かれた第二回展では、彼らは単に「ネオ・ダダ」と自称し、岸本清子、田辺三太郎、田中信太郎、吉野辰海がメンバーに加わりました。” #番外

2012-07-04 19:39:17
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「この建築家は磯崎新なんですよね」 #番外

2012-07-04 19:40:14
ひらま @qwertyu1357

”9月、鎌倉材木座海岸で「ビーチ・ショー」を開催。同月、東京の日比谷公園内にある日比谷画廊の屋内外で第三回展ネオ・ダダ展を開催。” #番外

2012-07-04 19:41:11
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「この前の平間さんのツイートにもありましたが、桜ショップというのは佐野画廊と関わりがある所です」 #番外

2012-07-04 19:44:17
ひらま @qwertyu1357

”ただひとり荒川修作がセメントと綿の死体のオブジェで個展を開きましたが(9月、東京の村松画廊)、美学的でありグループ行動を乱したとして、彼はグループから除名されました。” #番外

2012-07-04 19:44:41
ひらま @qwertyu1357

”グループの破壊衝動はさらに「東京都美術館爆破計画」が練られるまでに高まりましたが*3a3 *3a4、吉村益信の突然の結婚によって、結成後一年に満たぬままグループは事実上「蒸発」したとされます。” #番外

2012-07-04 19:44:58
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「この”蒸発”とかいう言葉はあまり使いませんが、”前衛の道”に書かれている通りに書いています。」 #番外

2012-07-04 19:45:36
ひらま @qwertyu1357

”篠原有司男は著書「前衛の道」の中で「東京都美術館爆破計画」を次のように振り返っています。「しかしこれも、一九二〇年代のダダイストのエッフェル塔破壊が下じきであることは否めない」。” #番外

2012-07-04 19:46:23
ひらま @qwertyu1357

”他からの影響を隠さないこの言い方は、執筆時までに彼が「イミテーション・アート」を標榜するようになり、「他人の絵というのはすばらしい」「他人の真似をしよう」と主張していたことと関係があるだろうと私は思います。” #番外

2012-07-04 19:46:44
ひらま @qwertyu1357

"つまりこの「イミテーション」の概念は、「具体」の「決して人のまねをしない」とは正反対の主張であるわけですが、そこを前衛と反芸術の違いととらえることが可能となります。" #番外

2012-07-04 19:47:06
ひらま @qwertyu1357

”「イミテーション」は、ダダの時代のデュシャンの「L.H.O.O.Q.」や「髭を剃ったL.H.O.O.Q.」を思い出させると同時に、後年のシミュレーショニズムや再現芸術をも連想させる態度です。” #番外

2012-07-04 19:47:46
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