「人間」はいつから「自然」に含まれなくなったか

『薬やクーラーに頼らないのは「正しい」、自然分娩や母乳育児は「正しい」、とか、何かにつけて「(人を含まない)自然は正しく、それに逆らうのは間違ってる」という感覚が、老若問わずあるんですよね。あれに名称はあるのか、正体は何なのか気になります。』 このMEDSIさんの疑問を、原田先生にお伺いした所、そもそも含まれてないとの回答と、その「自然」と「人為」の歴史の概略を教えていただきました。 ナチュラル志向の奥底が深い…
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🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

「自然に逆らうな」は宗教か。いつから人は自然に含まれなくなったのか。うーん、だれか先人が考えてそうなテーマ。本あるかな。

2012-07-25 16:47:48
🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

「人為」への禁忌感。これについて何を調べればいいのだろうか。

2012-07-25 17:04:12
🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

@fura_follow 薬やクーラーに頼らないのは「正しい」、自然分娩や母乳育児は「正しい」、とか、何かにつけて「(人を含まない)自然は正しく、それに逆らうのは間違ってる」という感覚が、老若問わずあるんですよね。あれに名称はあるのか、正体は何なのか気になります。

2012-07-26 09:10:06
ふらふぉろ @fura_follow

@MEDSI いつから人は自然に含まれなくなったかとかの、古代史観に関わる部分だと原田実( @gishigaku )先生がお詳しいかもしれないと期待してみる

2012-07-26 09:03:40
🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

@fura_follow 原田実( @gishigaku )先生にご意見を伺いたいですが、ご本業のことなので尻込むアカウントがこちらですw

2012-07-26 09:25:30

お伺いしました

🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

@gishigaku 原田先生、はじめまして。不躾で申し訳ありません。近年の「自然」には「人」が含まれていないと思うのですが、こうした自然観は古くからの文化に根ざしたものなのでしょうか。お時間のあるときにお話をいただけたら幸いです。

2012-07-26 09:38:30
原田 実 @gishigaku

自然の対義語は人為、作為だったわけで考えてみれば人間(の行為)が自然の一部という考え方が画期的なのかもしれません。『老子』における「自然」の用例にそのあたりのブレがうかがえます。 http://t.co/3j4rHo3m @MEDSI @fura_follow

2012-07-26 09:46:33
原田 実 @gishigaku

英語natureの語源natura(ラテン語)やその同義語だったギリシャ語physisは生成とか本質とかいう意味。古代ギリシャの自然哲学では人間を含む万物の生成(起源)・本質を探究したわけで当然区別はなし。 @MEDSI @fura_follow

2012-07-26 09:51:58
原田 実 @gishigaku

近代啓蒙主義の論客であるルソーが『エミール』(1762)で説いた「自然に帰れ」という場合の自然は社会的規範を含む人為と対立する概念。啓蒙主義には中国からの影響があるのでこれはそれこそ『老子』あたりの翻訳を通じて西洋に入ったものかも。 @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 09:57:16
原田 実 @gishigaku

マルクス・エンゲルスが確立した自然弁証法は人間社会の変化も説明するものなので当然、人間も自然の一部ととらえています。 @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:05:21
原田 実 @gishigaku

キリスト教的世界観では「自然」の対立概念もしくは外部概念は「神」。ただし、人間も自然な存在として他の被造物と同列と見る考え方と、他の被造物の支配を神から許された存在と見る考え方のせめぎあいはあります。 @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:08:21
原田 実 @gishigaku

以上は辞書的な解説ですが、人為を排するのが自然に従うことという考え方は原義的にはあるわけですね(もっとも荀子様や韓非子様のように自然に従うとろくなことはないから人為が必要という考え方も東洋思想にはあるわけで) @MEDSI @fura_follow

2012-07-26 10:12:03
KAMO nang-bang @dead_san

むしろ人間を自然の一部として捉えだしたのは、つい最近のことなのではと。自然に相当接近した縄文文化でも、自然=神の化身であり、人と対比されているような。 @gishigaku @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:04:36
原田 実 @gishigaku

それは彼らが神とみなしていたものを我々の概念では「自然」とみなしているというだけではないかと @dead_san 自然に相当接近した縄文文化でも、自然=神の化身であり、人と対比されているような @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:18:24
KAMO nang-bang @dead_san

まずは人が神抜きで自然を「自然」と認識しだしたのがいつか、でしょうか?"@gishigaku: それは彼らが神とみなしていたものを我々の概念では「自然」とみなしているというだけではないかと @fura_follow @MEDSI"

2012-07-26 10:26:05
原田 実 @gishigaku

今でも巨木に注連縄巻いたり巨石をご神体にするわけですからある人にとっては神聖なものが他の人にはそう見えないというだけのことではないかと思います @dead_san 人が神抜きで自然を「自然」と認識しだしたのがいつか @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:31:11
原田 実 @gishigaku

で、巨木や巨石は「自然」だとみなしている人が「自然を神に祭る」と解釈する(さらに祭っている人もそれが一面で「自然」だということを理解しているからその解釈を受け入れている) @dead_san @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:34:06
KAMO nang-bang @dead_san

自分の感覚を観察してみるに、巨石などにホーリーなものを感じる感覚はありますね。ただ、その感じと、それ自体が「神」に見える感覚との間には暗くて深い溝が。案外古代の人もそこまでマジに自然に神を見てなかったのでしょうか?@gishigaku @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:50:39
原田 実 @gishigaku

それはむしろ私たちが現代人として持っている「自然」や「神」の概念が古代人と共有されていないということかと思います @dead_san @fura_follow @MEDSI

2012-07-26 10:57:36
ふらふぉろ @fura_follow

@MEDSI 私の感覚だと、昭和40年代以降にみられる「人間ダメ小説」やその系譜。人は自然から外れた存在っていう、卑屈な人間賛歌なんですけどね。

2012-07-26 09:16:02
原田 実 @gishigaku

しかし、その手の小説の元祖は「自然主義」文学だtったりするわけで。人間がダメなのは自然だからダメな自分が素晴らしいというこれまた捻じれた人間(というか自分)賛歌。 @fura_follow 昭和40年代以降にみられる「人間ダメ小説」やその系譜 @MEDSI

2012-07-26 10:14:06
ふらふぉろ @fura_follow

ですよね。平井和正氏が「狼男だよ」から「幻魔大戦」で宗教色が強くなったのは、自然主義との親和性の高さを思えば必然だったのかもしれません RT @gishigaku 人間がダメなのは自然だからダメな自分が素晴らしいというこれまた捻じれた人間(というか自分)賛歌。

2012-07-26 10:20:25
🇲️EDSI🗝(諦めない顔) @MEDSI

@gishigaku @fura_follow 古代中国の「天」の思想も、日本人の自然観に影響しているのでしょうか。

2012-07-26 10:03:41
原田 実 @gishigaku

それは影響していると思います。「天網恢恢疎にして漏らさず」の出典が『老子』なわけですし、もともと自然と天の概念には関係があったと見るべきかと。 @MEDSI 古代中国の「天」の思想も、日本人の自然観に影響しているのでしょうか @fura_follow

2012-07-26 10:21:52