「人間」はいつから「自然」に含まれなくなったか
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近代以前の日本で「自然」が入る熟語と言えば浄土真宗の「自然法爾」(じねんほうに)、大雑把にいえば人間の賢しらによる行やら学やらではなく阿弥陀如来の誓願に身を委ねることで救われるという教え。 @MEDSI @fura_follow
2012-07-26 10:25:09@gishigaku @fura_follow 自然法爾が受け入れられる土壌が前からあったであろうことを考えると、「自然(人為の入らない)に任せる」ことを「善きこと」とする道徳観は、何かしらの宗教や思想の導入というより、それこそ自然発生的にあった(ある)というべきでしょうか。
2012-07-26 10:37:09それこそ孔老の教えなわけで @MEDSI 「自然(人為の入らない)に任せる」ことを「善きこと」とする道徳観は、何かしらの宗教や思想の導入というより、それこそ自然発生的にあった(ある)というべきでしょうか。 @fura_follow
2012-07-26 10:40:12逆に、人為による人間の本性(自然)の統御を説く荀子様や韓非子様は日本では不人気(中国では士太夫たちが表向き非難しながらちゃっかり活用) @MEDSI @fura_follow
2012-07-26 10:44:52ということは、元々「自然」とは「人為」を排したものですが、近代は「人間」も「自然」に含むから混乱があるだけで、薬や冷房に頼らず自然に暮すという道徳観は「自然法爾」に近く、同じ流れから来てると解釈して良いのですかね @dead_san @MEDSI @gishigaku
2012-07-26 11:10:20整理してみるとそうなりますね。ただ、話をややこしくするのが近代日本人が西洋文明は自然との闘争・自然の支配と決めつけて、それに対し日本を含む東洋は自然随順などと自画自賛したこと @fura_follow @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:15:58その思い込みは私もあります。自然を利用した建築物と、石を削りだした建築物の対比で考えてた時期も。風土や気候が違うのだから、自然との共存の仕方や文化も違って当然なんですが、そこまで昔は考えられなかったです @gishigaku @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:20:11で、そこにさらに20世紀後半からのエコロジカルな自然保護思想とかがからむわけでそのへん丁寧に見ようとすると多分twitterじゃ無理。 @fura_follow @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:18:31ある意味アニミズムの「再発見」ですねw>20世紀後半からのエコロジカルな自然保護思想 @gishigaku @fura_follow @MEDSI 原田先生、ありがとうございました。
2012-07-26 11:24:20触りだけでこれですものね。予想以上の深さに驚いてます。もし宜しければ、お勧めの参考文献なぞありませんでしょうか @gishigaku @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:23:04古代中国の「自然」概念については金谷治先生がわかりやすいかと。で、キリスト教的世界観の自然概念と古代ギリシャ・ラテンの自然観を考える上で目から鱗だったのが柴田有先生の『グノーシスと古代宇宙論』だったりしますw @fura_follow @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:47:10タイトルだけだとトンデモ系にしか見えないですw(いえ、ヘルメス文書を存じ上げておりますが!) 今回はほんとうにありがとうございます。教えて頂いたものを参考に、自分でも勉強してみようと思います! @gishigaku @dead_san @MEDSI
2012-07-26 11:55:50@gishigaku @fura_follow @dead_san 原田先生、ありがとうございます。勉強になりました。この「道徳観」は医療、エネルギー問題など色々なところで見え隠れしてますが、少し輪郭が見えた気がします。
2012-07-26 11:29:42ものすごく勉強になりました。ありがとうございます、原田先生
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自然の一部である人間、という認識は、システム論やメカニズム論につながる概念構造なので、“サブシステム”や“ファクター”といった高度な操作概念が広まるのを許容するような文化蓄積がなされた社会でないと、なかなか許容されないのではないか。美意識レベルでなく、認識レベルの理解が要る。
2012-07-26 12:52:32参考
natureの由来
@singstyro アリストテレスの形而上学で自然のギリシャ語源「physis」は物事の「あるがまま」「客観的真実」「真相真理」という意味で、それがラテン語の学会で「narura」と訳され、これがそのまま近代欧州でnature,natur等と訳されたとなっていますね。
2012-02-07 09:25:33@singstyro これに対する訳を日本語の「自然」としましたが、訳者も適訳ではないと何度も注記しています。 「成長、生成、存在」を含むギリシャ語源の「physis」と、日本語の「自然」の語源は違った意味があるのかも知れませんね。
2012-02-07 09:30:44Natureを「自然」と訳したのは清沢氏ですか?鈴木氏は語訳だと書いていますね。RT @anmintei そういうことを鈴木大拙ができたのは、清沢満之が西洋哲学の用語を再編成して仏教思想を語っていたからなんです。@Itoh_Kiminori 鈴木大拙氏は禅の思想を英語で解説
2012-04-03 22:15:21失礼しました。「鈴木大拙は、Natureを「自然」としたのは語訳、と書いた」→「語訳」は「誤訳」の間違いです。RT @anmintei そういうことを鈴木大拙ができたのは、清沢満之が西洋哲学の用語を再編成して仏教思想を語っていたからなんです。@禅について鈴木大拙は英語で解説
2012-04-03 22:22:36古代ギリシャで生まれた「Nature」は「人間と文化以外のもの」なので、「自ら然る」という「自然」に訳語として当てるのは間違い、というのが鈴木大拙の意見。@anmintei @teyllan
2012-04-03 22:42:54