中国で成立しなかった経済学の謎
- jonathanohn
- 27276
- 2
- 70
- 5
そもそも「大航海時代」でいきなり南方の海路が切り開かれたんであれば、香料列島やインドの胡椒が大量ゲットできるわけがないんである。だって香料や胡椒は内陸で消費しちゃうもの。元々、海洋貿易用の流通とインフラが整っていたから西欧人がキャラックできて、「もうパンパンだぜ」ができたわけだ。
2012-07-28 08:37:48すぐ武力行使するしなー。西欧帆船とダウなどのアラビア船との最大の違いは大砲の積載量やと思う。 RT @takosantaro: @Jiraygyo もともとインド洋交易が盛んだったところにうまいこと乗っかっただけですねえ、西欧人は。ダマも、東アフリカで水先案内人雇ってますし。
2012-07-28 08:48:07@sweets_street @dukelegolas 豊かすぎたからでしょうか? 儒教道徳に縛られて「合理的経済人」の仮定を採用できなかったからでしょうか? 専売制に抵触したからでしょうか? 商業が蔑視されたからでしょうか?
2012-07-28 08:34:44学者の関心が人文に偏って、社会科学への関心が薄かったからかもと思っています RT @endoucom: 豊かすぎたからでしょうか? 儒教道徳に縛られて「合理的経済人」の仮定を採用できなかったからでしょうか? 専売制に抵触したからでしょうか? 商業が蔑視されたからでしょうか?
2012-07-28 08:40:59@rudel101 西洋の経済学はなにがきっかけで起きたんでしょうね。経済学は今日では数学を駆使したモデル化によって国家運営においてなくてはならないレベルになりましたがマルクスのがかつて経済学扱いだったのを見るとそもそも政治思想史だったのかなと
2012-07-28 08:41:29@fussoo_moe 植民地獲得の過程でそれをどんな風に運用、運営していくか、というのを突き詰めていく過程で出てきた、というのはあるでしょうね。
2012-07-28 08:45:20@fussoo_moe で、中国の場合、海外植民地を持つ必要が西洋ほどにはなかった、というのが経済学が生まれなかった理由かもしれません。つまり自国だけでも食っていける。また、イギリスがGNPで中国を抜くのは1860年代に入ってからですから、それくらい規模があると、(続く)
2012-07-28 08:48:12@fussoo_moe (承前)自国内の経済問題だけでも相当なものになりますから、海外植民地を獲得しようとも思わなくなるのではないか、と。
2012-07-28 08:49:32経済と同じで技術者はいても専門の学者はいないという感じですね。自然科学をやる学者は、人文も社会科学もやる博物学者的な人ばかりでした RT @fussoo_moe: @DukeLegolas 土木や工学は体系化されてたんでしょうか
2012-07-28 08:52:44政治哲学と社会科学がごっちゃだった政書のレベルを出ませんでしたね。経済もあくまで政治哲学の1ジャンル RT @skskmkh: 史書は勿論、『通典』の食貨とか考えると政書に基づく学問てのはあるんだよな。官僚の経済面の教養。やっぱ近世で体系化されるかどうかなのかな。
2012-07-28 08:55:01通典は制度史の本ですが、ソースになってる政治書は、政治哲学書でもありますからね RT @skskmkh: 辞典と言うか事例書と言うか、広義の学問ではありますけど、確かに政治哲学ですね。理論化は無理と。
2012-07-28 09:04:58でも、江戸時代の数学教育のおかげで、計数に明るい人材が豊富にいた事が、明治の近代化につながったんですよ RT @jazzmas62: @sweets_street 日本の数学も江戸時代にはかなりいい線いってたんですけどねー。0のあるなしは大きかった(--;)
2012-07-28 09:24:340なしでよくあそこまでできたと思うことも @sweets_street 計数に明るい人材が豊富にいた事が、明治の近代化につながったんですよ @jazzmas62 日本の数学も江戸時代にはかなりいい線いってたんですけどねー。0のあるなしは大きかった
2012-07-28 09:27:03そもそも今でも長江流域は銅の生産地やがな・・・ RT @keikomaa: @sweets_street @Jiraygyo そのうちサウジアラビアのファイサル国王は、石油収入だけで一切税金をとらずに国を運営できたそうです。と歴史になりそうですね。銅が枯渇した時の呉はどうなったの
2012-07-28 13:26:52