思想2012年8月号(1060号、岩波書店)

時には雑誌のひとつの号についてまとめてみるのもどうかと思いまして。フロイト(十川氏)、ラカン(松本氏)、デリダ(宮崎氏)、ドゥルーズ(國分氏)の論考等が掲載。「思想8月号」というワードのあるツイートを拾うようにしています。
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yusuke miyazaki @parages

拙論は、デモクラシーの原義に立ち返ることで、その核にある自己支配(自由)と多数支配(平等)の両立可能性をいかにそのものとして実現しうるのか、を見究めたいわけです。というのも、この両立可能性こそ「他者に開かれた政治」に通じていると考えているから。

2012-09-14 23:30:39
yusuke miyazaki @parages

ここで、この両者を媒介しうるmonarchiaの単一性をいかに担保するのかが問題となるけれども、近代国家は、政治神学的な伝統を背景とした「主権」概念によってそれをある意味で「解決」してしまった。しかしそれがまさに問題となって、いわばデモクラシーのポテンシャルを削ぐことになった。

2012-09-14 23:31:15
yusuke miyazaki @parages

なので、一方では政治神学の伝統の再吟味による主権批判も必要だが、他方で拙論ではそうした主権批判と不可分な仕方で、いかにデモクラシーの伝統を主権概念から切り離しうるかと問うことが「主権なきデモスの政治」としてのデモクラシーへと通じる道になっていると言えばいいだろうか。@sskyt

2012-09-14 23:35:27
眼鏡パンダ @sacreconomie

@parages なるほど。確かにご指摘頂いた通り、私は主権の問題として考えていました。デモクラシーの自己支配と複数支配を字義通りに受け取る限り、複数の主権、神々の支配であらざるをえない。しかし、現実的には、近代国家はこの複数性を単一の主権に回収して解決してしまった訳ですね。

2012-09-15 15:38:35
眼鏡パンダ @sacreconomie

@parages 複数性を確保すればアナルキアになってしまうし、単一性に回収すればモナルキアになってしまうという困難(それはルソーの一般意志が問題にしたものでもある)に対する、主権でない仕方での、回答が「来るべき」デモクラシーなのですね。理解が深まりました。ありがとうございます。

2012-09-15 15:45:04
YAMASHITA, Takashi @Yamacha611

『地方政府の民主主義』で説明されている、「民主制における『外部』からの審級」に関連すると思い、ジャック・デリダ『ならず者たち』、宮﨑裕助「自己免疫的民主主義とはなにか」を読む。議論されていることは異なるが、「民主主義の差延的構造や自己免疫化」という考え方は、「外部からの審級」(続

2012-10-06 22:26:52
YAMASHITA, Takashi @Yamacha611

の問題意識と共通していると思う。それは、民主主義を「自己批判への権利」を含んだ政治体制とする立場である(「強者の理性」『ならず者たち』p.146、「自己免疫的民主主義とはなにか」『思想 二〇一二年 第八号』p.58)。デリダや宮﨑氏の議論は、「哲学と政治」を考えるうえでも重要。

2012-10-06 22:26:59

シュスターマン、桂木隆夫、楊海英

逆卷 しとね @_pilate

『思想』8月号シュスターマン「身体意識と行為」。メルロ=ポンティやジェイムスに、『荘子』や『列子』、世阿弥まで参照しながら、身体の感覚や働き、動きを意識的に反省、行為する身体に意識を注ぐことの価値を示す論稿。身体をbodyやfleshではなく、感覚・力動的somaとして捉える。

2012-08-05 19:33:26
逆卷 しとね @_pilate

普段意識していない身体の働きを意識することが、身体行為の次元を高めるというのは経験的にもわかることだけれども、somaaestheticsがカント的反省の次元に留まっているような印象。いやむしろ感性を可塑的なものとして措定し、それを理性によって陶育していくとするヘーゲルに近いか。

2012-08-05 19:38:39
逆卷 しとね @_pilate

somaaetheticsを志向するのであれば、身体感覚を意識することによる学びではなく、身体感覚からの学びを掘り下げた方がいいのではないか。神経生理学や脳科学のいくつかのデータは、身体行為の方が意識よりも「速い」ことを示している。

2012-08-05 19:42:54
逆卷 しとね @_pilate

また意識が脳にあると考えているのであれば、脳もまた身体であることを忘れてはならない。シュスターマンは意識の所在について語っていないが、意識は局在しているのではなく、身体に遍在している、と考えた方が現実的だと思う。もっとも彼の論も、スポーツ心理学等の理論としての有効性はあると思う。

2012-08-05 19:45:04
逆卷 しとね @_pilate

『思想』8月号、桂木論文「日本のヒューマニズムはどこからきたか」。ポーコックの主著『マキャベリアン・モーメント』に準拠して、日本における(人間集団から内発的に社会のあり方を問う姿勢一般としての)ヒューマニズム、とりわけ君主的ヒューマニズムの起源を徳川幕藩体制に求める論稿。

2012-08-05 21:46:39
逆卷 しとね @_pilate

俗世的な政治の来世的な宗教に対する優位が君主の統治に帰せられるという考え方は、古典的な歴史学のいわゆる偉人伝(マンガ日本史などに見られる)に特徴的だとは思うけども、権力が拡散した今でも統治を語るときには、著者がいうような君主的ヒューマニズムの伝統は生きていると思う。

2012-08-05 21:51:53
逆卷 しとね @_pilate

たとえば、総理大臣や大統領が失脚し、別の首にすげ変わるとき、なにかしらの変化が起こると人は期待する。それは現実的には政局(あるいは破局)でしかないのだけど、政治であるかのように語られる。

2012-08-05 21:56:42
逆卷 しとね @_pilate

時代やテリトリーを世俗の個人に帰す見方は、歴史学や政治学のアカデミアでは容易に退けられるが、未だに市井の語り方を支配している。アップル社のカリスマ会長など、個人崇拝に近い現象は広汎に渡る。君主的ヒューマニズムは、個人に時間や空間を還元する語りの系譜を上手に紡ぐ観点かもしれない。

2012-08-05 22:01:51
逆卷 しとね @_pilate

『思想』8月号、楊海英「植民地支配と大量虐殺、そして文化的ジェノサイド」。滅びゆく文化をサルベージする文化人類学を植民地状況への加担と指弾し、滅びをもたらす暴力に介入する文化人類学を訴える論文。著者の出身、内モンゴルにおける植民地支配、並びに文化政策への「再配置」を批判的に検討。

2012-08-05 23:49:09
逆卷 しとね @_pilate

マルクス=レーニン主義的民族自決をなきものにする毛沢東主義というもうひとつの社会主義、モンゴル人民共和国と内モンゴルの分断、中国内部における日本的なものとして反日イデオロギーの暴力的発露(ジェノサイド)の対象となる旧満州、内モンゴル、言語の剥奪・地名の変更、漢民族の大量移入、など

2012-08-05 23:56:27
逆卷 しとね @_pilate

植民地支配と文化人類学との癒着は根深い。私の知る限り、中南米における"Project Camelot"に文化人類学者が加担したことが明るみに出て、植民地主義の侍女と糾弾されたのが典型。http://t.co/1WMTSvKz

2012-08-06 00:01:00
逆卷 しとね @_pilate

70年代以降、ポストモダン人類学と総称される人類学の自己批判が始まり、James Clifford等を中心として、人類学の根幹概念である「フィールド」、「フィールドワーク」、「参与観察」が問い直された。マリノフスキーの日記が発見され、公刊の運びとなったのも大きい。

2012-08-06 00:04:03
逆卷 しとね @_pilate

「未開」の地だけではなく、先進国の都市もフィールドとなり、また植民地主義の功罪を問う論考も増えていった。それでも、内モンゴルのように、受け入れ先の政府批判を避ける事案もあるのだということを知り、その批評的困難を思った次第。サルベージ、というのはひとつの妥協だったんだろう。

2012-08-06 00:08:34

國分氏の連載について(ドゥルーズ論)

KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

ドゥルーズ論連載第四回、大分進んだ。けど、締め切り目前、まだ終わってない…。しかし、今回も新しい発見がたくさんあった。発見があると、同じ本が全く別様に見えてくる。今回は『意味の論理学』がそれ。やはりすごい人の本は発見の度毎にあたらしい。ドゥルーズはかなりすごい哲学者だな。

2012-09-17 23:31:06
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

岩波書店『思想』連載の「ドゥルーズの哲学原理」第四回を書き終えた。非常につらかった。しかし、これはすごいものになっていると思う。なぜなら、書き始めるまえ、こんな構想をまとめることができるのかと疑っていたものをまとめることができたからである。

2012-09-24 00:39:42
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

ドゥルーズとガタリの出会いの必然性、彼らの精神分析理解、彼らの共通の理論的課題、それをまとめることはもう10年来の俺の課題だった。それができた。しかしきつかった。

2012-09-24 00:43:15
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