ニー仏×慈永和尚 対談:「仏陀と阿羅漢」 弐
重要点!
↓ニー仏氏RT
@neetbuddhist 私の基本的なスタンスはこれhttps://t.co/1uIRwFeF とこれ https://t.co/XKsyu6Rxで、教学だの言語だのというものの不完全性というものをどこかにもっています。テーラワーダ然り。
2012-08-07 18:09:44@neetbuddhist 教学が不完全なのは、先達がその中途で悟っちゃって、最早必要なくなったからで、それでも悟れない人が理窟をコネたりするのかなと。英会話で「これぞ決定版メソッド!」みたいな本が飽きずに次から次に出てくるように。体得したらその本はもう要りませんからね。
2012-08-07 18:14:12教学や言語が不完全だというのは、先ほどから述べているとおり、言葉で全てが語れるわけはないので、全くそのとおりだと思うのだけど、悟ったら言葉が不要になるという点については、考え方にもよるんだが、少なくとも大乗の道を選ぶのであれば、そういうわけにはいかないだろう、というのが私の考え。
2012-08-08 00:43:32というのは、言語が不完全だっていうのはそのとおりであるとしても、じゃあ悟りの世界(涅槃とか「空」とか)が「完全」であるかというと、実はそういうわけでもないからである。
2012-08-08 00:49:47少なくとも大乗の場合には、「悟り」は涅槃に到達することで完結するわけではない。大乗において、ブッダという理念(Idee)が要請される必然性は、ここにある。
2012-08-08 00:52:30先ほど私は、涅槃と世間の峻別という点に関して「は」、龍樹よりテーラワーダを支持する、と述べた。しかし、龍樹の語る涅槃の最終的な風光、つまり羅什訳で言うところの「諸法実相」というのには、実のところ反対ではない。
2012-08-08 00:59:57その点については、ここ( http://t.co/5B6drBXa )や、ここ( http://t.co/kRs1YPIz )で詳述してある。つまり、「悟り」というのは最終的には、今ここの現世において(ditthe va dhamme)、達成されるものであるということ。
2012-08-08 01:07:37私見では、この点をまさに主題として問い続けたのが中国禅。「不立文字、教外別伝」という一般のイメージとは異なって、(少なくとも中国の)禅門の営為は、言語的なその表現と切り離すことはとてもできない。それは、彼らが膨大な「文字」を後世の私たちに遺していることにも示されている。
2012-08-08 01:22:35@neetbuddhist いやはや、全くです。哲学が苦手な自分としては、これ(ニー仏さんの記事)はニホンゴなのか?という次元です。私も私なりに読解に頑張りました(汗
2012-08-08 01:38:33