@NaoyaSugitani お返事ありがとうございます。自分のなかでは一番まとまった取っ掛かりが機関誌で、そこから方向付けのされていない生の一次資料へ沈んでいくものかと思ってました。私も大変勉強になりました
2012-08-25 12:19:18@momi_man いえ、こちらこそ説明不足で。機関誌には政治家の論説なども載っているので、政党研究では欠かせない一次史料になります。更に仰るような伝票や書簡などを引用することで内部構造を把握するというのが一般的な手法のようです。
2012-08-25 12:21:19戦史研究を重視していたドイツ参謀本部ですら、実証的に戦史研究を踏まえた戦略立案が難しいということはその通り。しかし、「日本戦史」はそのはるか手前の、戦史研究とすら呼べないレベル。
2012-08-25 12:21:29『日本戦史』を戦史の基礎文献たらしめたのは、歴史研究者にも責任がある。『大日本戦史』は『日本戦史』の記述を引き継いでいる部分があるからだ。これには戦争のプロである軍人が、戦史を間違えたりしないだろうという素朴な思い込みが背景にあるとみられる。それが戦後にまで引き継がれてしまった。
2012-08-25 12:23:18@Miles_Gregarius @sweets_street まあレーベルもあれですしだいぶ浅いですがw 陸自の戦術の考えに基づいて整理、記述されているので、どういう戦いがあったか、と、その戦いを他の本とどう違うようにとらえ纏めているか、両方楽しめると思います。
2012-08-25 12:27:16@sweets_street 歴史は勝者が作るといわれるように勝者の都合のいいように書きかえられる、敗者が書いた歴史書とは大きく食い違う、ましてその時代に生きてもいない後世の人間が考える歴史感がある、すべては想像の世界に過ぎない、黒白がはっきりしないのが歴史ともいえる。
2012-08-25 12:29:55@kurmacf おっしゃるとおり。でもU喜多氏研究では、筋のよい家伝史料をもとに作成され、成立年も早く、一次史料と同等に扱えるということで、バンバン使っている人がいますね。
2012-08-25 12:41:14一般書を書いていて、一番困るのは、「それぞれの兵力はどれくらいあったのですか?」というご質問。わからないよ。もうひとつは、「どんな陣形で戦ったのですか?」というご質問。わからないよ。勝ったか負けたかくらいしかわからないんだよ。というと、非常にがっかりされる・・・。きもちはかわる。
2012-08-25 12:46:52兵力や陣形の問題だけでなく、二次史料の扱いは難しい。先日、「一次史料の乏しい研究対象にあっては、二次史料を積極的に活用すべし」という一文を目にした。要は二次史料を史料批判して、使える部分と使えない部分を腑分けして、使える部分を積極的に用いるとのこと。そんなことできるのか?→
2012-08-25 12:59:19→そもそも一次史料に書いていることならば、いちいち二次史料を引き合いに出す必要はない。問題は、二次史料にしか書いていないことを、どう評価するかということになろう。これを見極めるのは、非常に困難である。いえるのは、自分の論文の中で、都合のよい二次史料の記述に出くわすと→
2012-08-25 13:02:34→「そうあってほしい」という強い願望から、使いたくなってくることである。そうなると、「この史料は後世の編纂物で、一部荒唐無稽な記述もみられるが、信頼すべき記述もある」というような珍妙な理論によって安易に利用される。要するに、ご都合主義ということになろう。→
2012-08-25 13:05:54→例えば、賞味期限が切れた鶏肉があるとしよう。これを先の二次史料の理論で言えば、「腐っているところを取り除き、腐っていないところはおいしく調理していただきましょう」ということになる。実際には、それは難しい。「腐っているんだから、止めたほうがいいんじゃない」とならないか。→
2012-08-25 13:08:44→二次史料と腐った鶏肉を同一視してはいけないが、特定の二次史料を一方的なご都合主義で信頼できる史料と決めつけ、一次史料と同様にバンバン論文で用いるのは、安易というそしりを免れ得ない。そういう意味で、かなり流れがヘンになっているように思う。
2012-08-25 13:13:06@yu_ksh 私のツイの趣旨は、あくまでも「軍事学の一環としての戦史研究はどうあるべきか、その観点から見て『日本戦史』がいかにダメか」という話です。歴史研究としての軍事史・戦争史には、また別の観点が必要です。
2012-08-25 13:18:45なるほど。ご指摘ありがとうございます。 RT @issengorin @yu_ksh 私のツイの趣旨は、あくまでも「軍事学の一環としての戦史研究はどうあるべきか、その観点から見て『日本戦史』がいかにダメか」という話です。歴史研究としての軍事史・戦争史には、また別の観点が必要です。
2012-08-25 13:21:11じゃあ、その二次史料が信頼に値しないのかわかるのか、という質問が出よう。基本的に一字史料の記述と矛盾している点が多ければ、信頼度は下がる(年月日が間違っているとか)。また、常識的に考えて、荒唐無稽な記述が多すぎると、同じことが言える。→
2012-08-25 13:22:50→では、その他の部分が使えるのか、ということになろう。おそらく二次史料は何らかの史資料のほか、口伝などに基づいて書かれている。他に傍証となる史料が残ってない限り、その記述を正しいか否か判断する材料がない。自信がないので、普通の研究者は安易に用いない。せいぜい参考程度である。→
2012-08-25 13:25:54→二次史料の場合は、一口にいって史料批判は困難である。特定の史実について正否を問うことは可能かもしれないが、当該二次史料が一次史料と同等に扱えるか判断するのは、相当な困難が伴う。だから、私は「戸川家譜」も「浦上宇喜多両家記」などを使わない。
2012-08-25 13:28:16@wdaimon これを書いた人や書かせた人は、とりあげた人物や出来事を、こんな風に正当化や神格化したい、または貶めたい…という風には使えますか?
2012-08-25 13:33:54やはり日本史は史料の厚みが違うなと一連の渡邊さんのツイを見て思う。この原則で行けば二十四史はみんな二次史料なんだから元以前の中国史はえらいことになる。いや、実録だって…
2012-08-25 13:33:57@sweets_street ただ、朝鮮の役に関する戦史的研究が、旧軍の『日本戦史』以上に詳細なものが(少なくとも日本には)存在しないのが悩みどころです。
2012-08-25 13:34:38私の分野だと、「『尚書』とか『逸周書』は一次史料に入るんですか?」と、「バナナはおやつに入るんですか?」みたいな問答をしなきゃならないわけだが… >一次史料RT
2012-08-25 13:34:47@FrauMiki 二次史料そのものに価値がないのではなく、何らかの作成目的があったと思うので、いわゆる文化史的な観点からの研究は当然可能です。文学の方が、軍記物語研究をしているのが好例です。そこで、史実云々を問題にすると、かえっておかしくなると思いますね。
2012-08-25 13:39:49