#勝義方便メモ No.5考察

#勝義方便メモ No.5考察 これまでのNo.1~4の内容を踏まえてのまとめ的な考察 これまでの考察→ No.1 http://t.co/0mRcfe6x No.2 http://t.co/H0PxWmEg No.3 http://t.co/BzhW4vHQ No.4 http://t.co/GAVJk9rG
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川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

48)とにかく、なぜ煩悩障だけの排撃ではいけないのかですが、拙私論ながら、「例えば、癌になってしまったとしましょう。治療を受けることで、やがてその原因となっている癌の腫瘍を手術で取り去ったとしましょう。この場合の腫瘍が、「無明」・「種子」であります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:26:58
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

49)確かに手術によってその癌の原因である腫瘍は取り除くことができたとしても、その癌腫瘍によってそれまでその周りの臓器に与えてしまっていた影響、つまり「習気」と言うことですが、それもしっかりと検査して、転移の疑いを解消することが望まれるわけであります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:33:06
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

50)もしも、その「習気」を取り除くための手術後の治療を怠ってしまえば、また、癌が再発してしまう恐れがあるということであります。それは、油断すれば、その「習気」によって新たなる癌、つまり、「無明」・「種子」を再発させかねないということでもあります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:37:34
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

51)完全な健康体、つまり、一切智者、如来・仏陀となるまでは、例え煩悩障を排撃できたとしても、いつでも癌の再発の潜在力、つまり「習気」が残ってしまっている限り、また癌が再発してしまう、無明・業を生み出してしまう可能性は否定できないということであります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:43:34
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

52)もちろん、まずは煩悩障を排撃すること、この排撃が無ければ所知障の排撃へとは移れないのは当然として、煩悩障を排撃できれば、即座に「所知障」の排撃へと着手して、なんとしても再び煩悩障が再発しないように「習気」を取り除いていかなければならないわけであります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:47:01
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

53)情けないことながら、凡夫である私はもちろん、ほとんどの者たちも今世において煩悩障の排撃すらもままならないのが現実であります・・。煩悩障を排撃できたところからの慈悲・利他・善徳行によって、ようやくに所知障の排撃へ向けたスタートラインに立てることとなります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 11:55:55
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

54)このように考えますと一切智を得て、如来・仏陀となるまでに三大阿僧祇劫というとてつもない長い期間の修行を有するという説も十分に分かるような気が致します・・。さて、ここで今一度、空性の現量了解の以前と以後における方便行の相違について考えてみたいと思います。 #勝義方便メモ

2012-09-07 12:05:09
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

55)これまでの考察におきましては、空性現量了解以前までを世俗菩提心・世俗方便として、煩悩障の排撃の効果を認め、空性現量了解以後が、勝義菩提心・勝義方便として、所知障の排撃の効果があると述べさせて頂きました。しかし、このことは再考が必要であると反省致しております。 #勝義方便メモ

2012-09-07 12:12:32
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

56)空性現量了解以後においてからしか所知障の排撃に取り組めないとなりますと、空性現量了解=所知障の排撃=一切智の完了であり、空性現量了解すれば、その後、特に方便行をせずとも既に所知障が空性現量了解により排撃できているため、方便行の意味が無くなってしまいます。 #勝義方便メモ

2012-09-07 12:19:51
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

57)もちろん、菩提心がありますから、方便行の意味がなくなることはありませんが、問題は、空性現量了解が無くても、所知障の排撃に取り組める方便行が可能かということであります。つまり、煩悩障を排撃した後に取り組む方便行が所知障排撃に効果が及ぶのかどうかであります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 12:27:19
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

58)煩悩障を排撃した後に取り組む方便行が所知障排撃に効果が及ぶとしますと、空性現量了解へと至れるのは、所知障の完全排撃と同時となります。所知障の排撃は段階的に徐々に徐々に進み、空性現量了解は所知障の完全排撃直後における了解となると考えることができます。 #勝義方便メモ

2012-09-07 12:36:26
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

59)とにかく、空性現量了解→勝義菩提心・勝義方便→所知障の排撃という取り組みの順序では、おかしなこととなってしまうため、一応、ここで訂正させて頂こうと考えております。そうしますと、やはり、煩悩障排撃後の方便行が、所知障排撃の役割を担うこととなって参ります。 #勝義方便メモ

2012-09-07 13:36:55
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

60)また、そうしますと煩悩障排撃後の発菩提心が勝義菩提心、勝義菩提心後の慈悲・利他・善徳行が勝義方便と考えることもできますが、「勝義」と名称を付けるには、空性現量了解以後においてが適切かもしれませんが、「勝義を志向するところの」と捉えれば構わないかとも思います。 #勝義方便メモ

2012-09-07 13:43:27
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

61)さて、ここで中原一博氏( @tonbani )ブログにて、ダラムサラでのダライ・ラマ法王猊下によりますシャーンティデーヴァ・「入菩提行論」ティーチング内容が公開されております。 http://t.co/47Eg07kt この内容も参照して参りたいと思います。 #勝義方便メモ

2012-09-08 07:22:02
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

62)(承前参照)『心の本性が光明ということの意味は、心の本性が自性空であるということだ。心が自体として成立しない空であるが故に、心は変わる事ができる。心が空でなく、自体として成立しているならば、例えば、煩悩が自体として成立している(空でない)ならば、(・・続く) #勝義方便メモ

2012-09-08 07:28:27
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

63)(承前参照)・・これを変える、治癒することなどできないということになる。煩悩は条件により生まれたものだ。良き心、悪しき心というものは条件により生まれたものだ。条件により生まれたものであるから、良き条件に出会えば、(・・続く) #勝義方便メモ

2012-09-08 07:29:55
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

64)(承前参照)・・悪い条件が(相対的に)減ることにより、心が良き方向に変化する。このように心の本性は光明であるから、心に法が生まれる可能性があると言えるのだ。』。心の空性のことを光明、または仏性・如来蔵と捉えるのがチベット仏教の仏性・如来蔵思想と言えます。 #勝義方便メモ

2012-09-08 07:33:45
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

65)仏性・如来蔵思想と言えば、始覚か本覚かと議論されることが多いですが、チベット仏教の場合では、この議論からいきますと始覚と解することもできなくはありませんが、最も重視されるのは「心の空性」であり、「空性」であるがゆえの「悟りへの可能性の示唆」であります。 #勝義方便メモ

2012-09-08 07:40:43
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

66)本覚思想が様々な面で弊害をもたらしてしまうことについては、これまでの過去の考察にて十分に検証して参りましたので、改めて行うことは致しません。要は、「悟りへの可能性」をいかにして機縁により調えていけるのかどうかということが大切なこととなって参ります。 #勝義方便メモ

2012-09-08 07:49:51
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

67)(承前参照)『・・法が実現できるという保証は、仏性という心の空性が(元に)あるからだ。故に、心から汚れをなくす事が可能であり、良き特性を獲得する事が可能なのだ。徐々に心の薫習も取り除く事ができ、全ての薫習も取り除かれた時を「菩提」と呼ぶ。(・・続く) #勝義方便メモ

2012-09-08 07:52:47
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

68)(承前参照)・・このような菩提を得るならば、どのような良いことがあるかといえば、その時、自分を完全に利する「福徳」と、他に対する「加持」という二つの利が自在に実現される。』として、「心の空性」を根拠として悟りへの可能性を示されるわけであります。 #勝義方便メモ

2012-09-08 08:02:10
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

69)そして猊下は、龍樹大師の中論偈の引用を基にして解説をなされます。「業と煩悩が止滅するときに、解脱がある。業と煩悩は誤った概念的思考(実体視執着)から生じる。概念的思考は、戯論(概念的虚構世界の実体視的展開)から生じる。戯論は空性において止滅する」。 #勝義方便メモ

2012-09-08 08:25:13
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

70)(承前参照)『・・悟りというものは心の空性の内に考えなければならないもの。これがどのように実現されるのかと言えば。悟りの障害となる、煩悩と煩悩の根本原因である無明、その主要なものは「実体視という無明」であるので、これを無くすために(・・続く) #勝義方便メモ

2012-09-08 08:33:11
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

71)(承前参照)・・「空性を理解する智慧」により自らの「実体を掴む心」を消し去ることにより実現されるのだ。』 として、猊下は、智慧の滋養により、実体視する心をいかにして対治していかなければならないかについて述べられるわけであります。猊下に合掌礼拝でございます。 #勝義方便メモ

2012-09-08 08:38:05
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

72)さて、一応、今回の考察はここまでとして、このメモの内容を基として、拙寺でのこの秋彼岸配布資料を作成して参りたいと存じます。『空と縁起と』 http://t.co/wHL7TR0 第二弾目となります。またご批正のほどを賜れますよう、宜しくお願い申し上げます。 #勝義方便メモ

2012-09-08 09:39:56