F/T12イェリネク三作連続上演 『レヒニッツ(皆殺しの天使)』演出:ヨッシ・ヴィーラー
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今日見たF/Tの『レヒニッツ』は、言語の壁がなかったら、もっと気持ち悪いんだろうな、と、そしてその気持ち悪さが大事なんだろうな、と思った。字幕がまるで読書だったので役者を見るのが容易ではなかったが、そういう顔をしていた。かなりヤバイ舞台だと思う。戯曲買ったのでイェリネク読もう。
2012-11-10 23:07:55『レヒニッツ』ポストトーク、一番よくしゃべったのはドラマトゥルクでも芸術監督でもなく、俳優たちでしたね。あれがヨッシ・ヴィーラーの政治性だと思います。もちろん、最良の意味において。ハンス=ティース・レーマンは、去年の秋、日本で以下のように発言しました…
2012-11-10 21:33:50レヒニッツ終わり。ドイツ人は愉快な人が多くて面白かった。なんか暗いイメージがあったけどそんなことないのね。次は台湾人!親日国家だけど実際はいかに!
2012-11-10 21:33:39さて。山口帰ります。『レヒニッツ』大変参りました。これを受けて作品をやるということ、きょーれつに身がしまります。てかこんな作品があるとも知らず、観客論がどうの当事者性がどうの言ってた自分にちょっと引きます。けれども、「すべてを知らなくてもいい。」
2012-11-10 21:26:36こういう仕方で反省するなら(ある人々には本当にこうしかないのだろうと思うが)これくらいはやってもらわないと!と思った。LFKs程度のものをいくら持ち上げても、せいぜい割と大人数が慰撫されただけだろう。......ヨッシ・ヴィーラー演出《レヒニッツ (皆殺しの天使)》を観た。
2012-11-10 21:11:25昨日観たレヒニッツのせいか、昨晩は寝る前に頭痛がして、気持ちの悪い夢を見た。内容はあまりよく覚えてないが、一昨日のイントレランスをきっかけに読み始めた「ネットと愛国」もそれに関係してるような気がする。
2012-11-10 20:59:16「レヒニッツ」そして「黙殺」まるで重い鉛を飲み込んだよう。禁忌に触れるような深く重い事実は無きことのように重い扉で閉ざされ、黒々とした闇に葬り去られる。関わった全ての人が重い扉の向こうへ逝くまで。
2012-11-10 20:36:06レヒニッツ→モブ→バラバラな生体→ジエン社→Co-LabというF/T漬けの一日。いや、最後は予定外でしたが、ジエン社を出たら隣で呼び込みしてまして。
2012-11-10 20:28:43レヒニッツを反芻中。当事者でも観察者でも透明な心で事態に接することが人間には至難ということか。歴史的な事件に対しても、日常のささやかな出来事に対しても嘘の心で自分をもごまかして世界と接している。ポストトークでは、自分の言葉を見直すことが心の嘘を見直すことに繋がる可能性を感じた。
2012-11-10 20:27:04『レヒニッツ(皆殺しの天使)』、プレトーク/アフタートークがしっかりしてたのはさすがドイツという感じ。まあプレトークは基本的にはパンフレットとかに書いてある内容だったけど。
2012-11-10 20:24:09村川氏は『言葉』の中でイェリネク『レヒニッツ』の上演を引用したことについて「いまここの“現在”を取り入れたかった」と説明していたが果たしてそれだけだろうか。言葉を失う出来事に対面した言葉として『レヒニッツ』と『言葉』は重なる。
2012-11-10 20:23:53ちなみに『レヒニッツ(皆殺しの天使)』はさすがにすげえよくできてるなと思ったけど、字幕で観るのはちょっと無理があるんじゃないの?って感じでそんなに楽しめず。
2012-11-10 20:01:24『レヒニッツ』は海外の演劇を字幕で観るのはどういう感じだろうか(初めてでした)という興味で行った。で、イェリネクの言葉の強度と重層性、それをどう発話するかに惹き付けられて地点『光のない。』がいよいよ楽しみ。
2012-11-10 19:39:59映画『黙殺』と、昨夜のレヒニッツを見たことで、イェリニクがどういう切り口で語ろうと試みるのか、少しだけ分かった気がする。題材が違うとはいえ、イェリニクに取り組む三浦基さん、高山さん、そして重力/Noteさんがどんな演劇を作っているのか、ますます楽しみになった。
2012-11-10 19:22:53『レヒニッツ』の食べるシーンは映画『黙殺』での「ユダヤ人の埋まっている場所の穀物は育ちがいい」とつながっている。
2012-11-10 19:21:15@nomuramss レヒニッツ?だとしたら、その言でいうと私は美学も政治なのだと観て面白かった感じかな~実際どう考えてるかは知りませんが。
2012-11-10 19:14:50今日の午前には、黙殺というドキュメンタリー映画を見た。イェリネクがレヒニッツを書くきっかけになったという。とてもいい映画だった。「事実を語ることが、いつもいいとは限らない」と言う人がいた。あれだけ墓穴を探している傍でそう思うのか。ここに、「私達」の負の力が働いているのかも。
2012-11-10 19:11:03@navyblue85 いや、最初の打ち合わせで、劇場が提案したブニュエルの「皆殺しの天使」の改作ではなくレヒニッツ村の事件をやりたいと言われて方向性が決まったら、後は打ち合わせなしでイェリネクがいきなり100ページの完成稿を送って来たというので、彼女はつうだなと(笑)
2012-11-10 19:09:28