日本における歴史GIS事始め
.@yaskondo さんの「日本における歴史GIS事始め」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/40760
2010-08-09 19:06:11昨夏に京都で開かれた国際歴史地理学会(ICHG)のProceedingsを目にする機会があった。ハードカバーの装丁&350ページの厚さに驚き。 http://bit.ly/9Bmygg
2010-08-09 19:18:46「日本における歴史GIS事始め」に関連ツイートを追加しました。お気に入りに追加してくださった方々、ありがとうございます。 http://togetter.com/li/40760
2010-08-09 19:22:05多賀城跡にある760.A.D.頃の石碑に、渤海までの距離がかなり正確に出ている。不思議でしょうがないです。@sada1110 環日本海諸国図というのがありますが,世界観が変わるそうです.昔は道路ではなく海路が遠距離移動の中心でしたから,彼らの空間認識は現代人とは違ったでしょう.
2010-08-09 20:30:27@sada1110 私は予備知識が決定的に不足しているので、よくわかりません。が、当時の人は(たとえば蝦夷の狩猟民族を考えると)ミツバチのような帰巣本能(というか方向感覚)があって、奈良から見て白河関がどの方向でどれくらいの距離か、なんてのも感覚的にわかっていたのかもしれません。
2010-08-09 22:10:21@geo80k 一応自分の専門に関わるので、大人気なく反応してしまうのですが、当時の1里=540m弱なので、「去靺鞨国界三千里」だと直線距離だとしてもあまり正確ではないような気がするのですが…。逆に常陸国からの距離は結構正確だと思います。下野国や京からの距離は誤差が大きいですね。
2010-08-09 23:00:41@Say_no ありがとうございました。540mだったのですか・・・・昔の中国風に400mとして計算したら結構良い値だったので、勝手に「良い計量だ」と思い込んでいました。
2010-08-09 23:06:57@geo80k うーん、確かに400mで計算すればそんなに悪くはないですね。どうなんでしょう…。まぁどう測距しているか不明なのであんまり突っ込んでも仕方ないですね。多分船の移動時間で大体計っているんでしょうしね。
2010-08-09 23:11:58@Say_no 全く No Problem でしょう。>何千年、何万年。 活断層だったらもっと長い場合もありますし、ね。
2010-08-09 23:15:40@geo80k ちなみに540m弱は律令の雑令に根拠があります。「凡度地、五尺為歩、三百歩為里」この場合の尺は別の条文で1大尺なので小尺の1.2倍で、1尺は出土資料から29.6~29.7cmくらいと今のところ考えられています。
2010-08-09 23:17:19@Say_no ありがとうございます。私が 400m と言ったのは、完全に「根拠なし」ですので、お気になさらないでください。
2010-08-09 23:20:28@geo80k これは地質系の方々の専門の世界ですね。専門によってタイムスケールは異なりますもんね。@Y_Suzukiさんのような火山災害史等の方にもきっと独特なタイムスケールがあるんでしょうね。
2010-08-09 23:24:04@geo80k いえ、Wikipedia日本語版の「里」に関する記述だと日本の古代も中国の400mのままのように受け取れるような書き方なので仕方ないですね。僕も裏取りのために今一度ちゃんと手元の事典類を見ました。
2010-08-09 23:26:47@Say_no 重ね重ねありがとうございました。確かに、当時多賀城に行った後、Wikipedia を見たような気がします。(今では閉鎖した当時のウェブサイトに、城攻め訪問記を書いていたので)
2010-08-09 23:29:06