じゃがいもとかじゃがいもとかじゃがいもとか

20世紀ぐらいまでの食べ物の作り方 http://togetter.com/li/394794 こちらのまとめを作った時にまおゆうの話をちょくちょくみかけたので、 まおゆうにもでてくるジャガイモが史実ではどういうものだったか あとで追加訂正などするかも
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arabiannightbreed @a_nightbreed

@futaba_afb 時代は下りますが、マリー・アントワネットがジャガイモ普及の為に、ジャガイモの花を髪にかざして舞踏会に出たなんて話もありますよね。園芸家としても知られた人なので、何らかの見識があったのでしょう

2013-01-14 12:50:03
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

スペインがじゃがいもの普及に果たした役割は、その利用法と言うよりはじゃがいもをヨーロッパに伝える中継地点となったこと考えるのが自然ですね

2013-01-14 12:51:50
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

なので、この頃はじゃがいもの普及はゆっくりとしたもので17世紀になるとフランスでじゃがいもの記述がちょくちょく出てくるようになります。

2013-01-14 12:54:41
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

以下の文はラウファー博士の【ジャガイモ伝播考】からの孫引きになってしまうのですがだいたいこんな感じで思われていたようです。

2013-01-14 12:56:31
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

「我々の国では、ポテトの塊茎は、トリュフと同様に、おき火に入れて焼き、皮をむいてコショウをつけて食べることもあれば、また、焼いて皮を向いてから薄切りにしたのを、濃厚なペパー・ソースで煮込んで、体力をつけるのに食べることもある。

2013-01-14 12:58:12
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

その他、虚弱体質に持って来いだというわけで、健康食品として推奨するものもいる。それらは、クリや人参に劣らず、滋養に富むが、鼓腸性で腹にガスがたまる。私の聞いたところでは、ブルゴーニュの人々は、現在この塊茎の利用をやめてしまった。

2013-01-14 13:00:37
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

そのわけは、これを食べるとらい病になると信じ込んでいるからである。」

2013-01-14 13:01:01
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

というもので、怪しい健康食品みたいな扱いだったようで、、、このようなじゃがいもへの偏見はフランスだけではなく

2013-01-14 13:01:57
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ドイツでも珍奇な植物として薬草園で育てられていたり、イギリスでは「じゃがいもは危険な植物の中の植物」として聖人も罪人も等しく避けるべきものと弾劾され、ジャガイモには催眠性があるとか言われたりスコットランドでは聖書に出てこないからダメなんて言うのもあったそうです。

2013-01-14 13:05:58
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

というわけで、じゃがいもはヨーロッパに上陸して200年前後低い扱いを受け続けて例外的にアイルランドを除いて18世紀になるまで、最底辺の食材と思われていたようです。

2013-01-14 13:13:11
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

後にじゃがいも飢饉につながるほどアイルランドがじゃがいもに早くから依存するようになったのは、ジャガイモ以前アイルランドでは冷涼な気候から育てられる作物が少なく、度々食料不足に見舞われていたため、冷涼な土地で収量の多いじゃがいもはアイルランドに適した作物であったことと

2013-01-14 13:17:11
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

イギリスの植民地のような扱いを受けていたアイルランドはイギリス人地主による小作農が多く、小麦などの他の作物には地代が徴収されたため、地代を徴収されないじゃがいもが珍重され、さらに耕作コストの著しく安いじゃがいもに食を依存することに(穴掘って種芋を埋めるだけでも良かったので)

2013-01-14 13:20:18
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

だいたい他のヨーロッパに比べて100年ぐらい速くじゃがいもが定着したみたいです(アイルランド)それでも時間は数十年単位で結構かかってますが

2013-01-14 13:21:28
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

大陸の方で積極的にじゃがいもを導入しようとしたのは、30年戦争で荒廃したドイツに飢饉の対策としてプロイセンのフリードリヒ大王が農民に強制的に植えさせたのが最初らしく、その後の7年戦争と1770年の飢饉によってじゃがいもへの偏見はなくなっていく事になります。

2013-01-14 13:32:17
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

フランスでじゃがいもを普及させることになるパルマンティエも7年戦争でドイツの捕虜となった時に食べたジャガイモがきっかけて、ルイ十六世の庇護のもとにジャガイモの普及をはかり度々襲った飢饉とともにジャガイモの栽培面積は1892年には1789年の300倍以上に増加することになります。

2013-01-14 13:36:45
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

イギリスでもアイルランドは1710年~1821年までに166%もの人口増加が認められ、一方のイギリス本国は100%ほどだったので、ジャガイモがそれまでの作物と違いより多くの人間を養えるのかが数字にも現れているのですが、アイルランドはこのあと受難の日々を迎えることになります。

2013-01-14 13:58:18
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

1845年8月16日「園芸クロニクル」がイギリス南部のワイト島で新しい疫病が発生したと報じ、翌週には植物学者のリンドレイもジャガイモ畑に重大な疫病が発生したと報じ、その疫病はまず葉に斑点が広がり、やがて黒色になる。そのあと壊疽は茎やイモにもひろがり悪臭を発するようになる。

2013-01-14 14:01:16
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

これが有名なじゃがいも飢饉の始まりで、この年はまだ比較的軽微とはいえそれでもじゃがいもの生産が半分になるほどで、当時の金額にしてアイルランドで350万ポンド、イギリスでは500万ポンドもの損失になりました。

2013-01-14 14:04:08
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

だいたいこの頃年間10ポンドも払えば一番下のクラスのメイドさんは雇えたのでイギリス本国だけでメイドさん50万人雇えるぐらいの金額が1年でふっとんだ計算になりますね(どんな計算なんでしょう

2013-01-14 14:05:49
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

政府は緊急にトウモロコシを10万ポンド分輸入しますが、じゃがいもに依存していたアイルランドではトウモロコシを粉にする粉挽き機も持っていないため満足に食べることができず、翌年には9割のじゃがいもが被害を受け、その年大雪をに見まわれ翌年も凶作でおおくのアイルランド人が餓死するか

2013-01-14 14:10:01
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ジャガイモ飢饉の死者は少なくとも100万人を超えそれよりも遥かに多くの人間がイギリス、イギリス植民地、アメリカに渡ることになり、アイルランドの人口減少はとまらず1911年には1845年の半分くらいの440万人に激減

2013-01-14 14:17:51
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

アイルランド系の人口は全世界で7000万人いると言われる一方で現在アイルランドの人口は350万人程度といまだにその影響を引きずっているようにも見えます。

2013-01-14 14:19:07
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ジャガイモ飢饉がここまで深刻化したのは、先ほど述べたようにアイルランドは半ば植民地状態だったのと、地理的な要因でモノカルチャー化が進んでおり、さらに高収量を得るため単一種のみ植え付けており病害が深刻化した、また当時イギリスの制作の主流であった自由放任主義が

2013-01-14 14:25:38
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

政府の介入や支援策を打ち出すのを鈍らせた人災の側面も強い飢饉でした。

2013-01-14 14:26:31
ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB

ジャガイモ飢饉がもたらせた影響はとても強く多数のアイルランド系移民を生み出すきっかけとなり、有名所ではケネディ大統領の祖父はジャガイモ飢饉からアメリカに逃れた移民であり、ロンドンではユダヤ系商人を駆逐しロンドンのスラム化を深刻化させることになっていきます。

2013-01-14 14:29:11