#勝義方便メモ No.7

本考察では、菩提心と空性との関係、空性と慈悲・利他行との関係、勝義諦と世俗諦の二諦などの理解を目的として行う予定です。 1 http://togetter.com/li/200586 2 http://togetter.com/li/219557 3 http://togetter.com/li/266384 4 http://togetter.com/li/320014 続きを読む
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川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

26)あとは、「勝義菩提心の発心」の基準が、ではいかなるものであるのかが、重要となって参ります。空性の理解度合いに基づく菩提心のレベルにおいて、どの段階で「勝義菩提心」になるかということであります。これは顕密両方において十分に吟味して検討する必要があると考えます。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:15:32
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

27)「菩提心」は、簡単には悟りを求める心ですが、それは自利のためというものだけではなくて、利他というためでもなければならないものであります。輪廻の苦にある一切衆生に対して大慈悲の心を起こして、何としても救いたいとして発心しなければならないものであります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:20:33
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

28)そのためにも最終的に「一切智者」とならなければ、到底一切衆生を救うための「善巧方便」を行うことはできずであり、「一切智者」となるためには「所知障」を断滅させての「空性了解」が必要で、「所知障」を断滅させるためには、「方便行」が必要となるのであります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:31:43
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

29)この場合の「方便行」は一切智者による「善巧方便行」とは明らかに異なるものであると思われます。そのため、方向は確かに一切衆生を救わんがためとしては行うものの、問題はその方便に限界があることは否めず、ならばその効果についても自ずと限界があることとなります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:47:54
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

30)つまり、その「方便行」に「所知障の断滅」効果がどれほどあるのかが、実際問題問われてくるところとなります。また、先の方向の図式を訂正するとすれば、「勝義菩提心の発心→世俗方便→所知障断滅→勝義空性了解→勝義方便(善巧方便)」としなければならないことになります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:52:40
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

31)「勝義菩提心の発心→世俗方便→所知障断滅→勝義空性了解→勝義方便(善巧方便)」として、「世俗方便」における善業集積によって、悪業の習気を対治していくにしても、実際に善業となる場合もあれば、全く効果のない場合、失敗する場合もあり得ると考えることができます。 #勝義方便メモ

2013-01-22 15:57:34
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

32)但し、既に「煩悩障」は断滅していることが、一つ「勝義菩提心」の要件として考えられることから、その方便行によって簡単に悪業を成すことはあり得な いでしょう。もちろん悪業の習気次第では、その方便行が煩悩によるものとなって悪業になることもあり得ることはあり得ます。 #勝義方便メモ

2013-01-22 16:04:16
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

33)そう考えますと、悪業の習気がまだ残っている段階では、まだまだ気を付けて方便行に精進しなければならないため、空性の修習と併せて、全く油断はできない状態であり、善巧方便を完全に行えるわけではありませんから、やはりこの場合は「世俗方便」というのが妥当でしょう。 #勝義方便メモ

2013-01-22 16:07:48
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

34)改めてまとめますと、「世俗菩提心の発心→世俗空性修習・方便行→煩悩障断滅→勝義菩提心の発心→勝義空性修習・世俗方便行→所知障断滅・勝義空性了解→勝義方便(善巧方便)」という流れで、ほぼ妥当ではないかと思われますが、もう少し検討して参りたいと存じます。 #勝義方便メモ

2013-01-22 16:17:06
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

35)先の図式における「世俗空性修習・方便行」における「方便行」の扱いですが、これは、いわゆる「衆生を所縁とする慈悲」に基づいての方便行と解するのが妥当になるかと思われます。そうすると「勝義空性修習・世俗方便行」は「法を所縁とする慈悲」と解せることとなります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 16:30:48
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

36)そして、「勝義方便(善巧方便)」が「無所縁の慈悲」に基づいたものであると言えることとなりますと、こちらの拙論『空と縁起』~勝義菩提心と勝義方便~→ http://t.co/xXe6DBOf はやはり修正しなければならないことになって参ります。 #勝義方便メモ

2013-01-22 16:49:24
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

37)また、「勝義空性修習・世俗方便行」における「世俗方便」という呼称に違和感があるとすれば、あえて「勝義指向方便行」としても良いかとは思います。更に「世俗空性修習・方便行」の方を「世俗方便行」としてみるとよりわかりやすくかるのではないかとも考えています。 #勝義方便メモ

2013-01-22 21:40:37
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

38)一応、まとめますと「世俗菩提心の発心→世俗空性修習・世俗方便行→煩悩障断滅→勝義菩提心の発心→勝義空性修習・勝義指向方便行→所知障断滅・勝義空性了解→勝義方便(善巧方便)」。これで一連の流れとしてはある程度拙生的に納得いくところとなりました。が・・・ #勝義方便メモ

2013-01-22 21:45:36
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

39)「勝義菩提心の発心→勝義空性修習・勝義指向方便行→所知障断滅・勝義空性了解」。この間における「勝義空性修習・勝義指向方便行」において所知障断滅までは油断・懈怠してしまうと、いつでも悪業の習気次第によっては、修行が後退してしまう恐れが残っていることとなります。 #勝義方便メモ

2013-01-23 08:15:52
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

40)あとは「勝義菩提心の発心」の前には、必ず「煩悩障断滅」がなければならないのかどうかということについても考えなければなりません。正直、煩悩障断滅が無ければ、勝義空性修習・勝義指向方便行、所知障断滅・勝義空性了解も成り立たないように思う次第ではあります。 #勝義方便メモ

2013-01-23 08:36:36
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

41)なぜならば、「煩悩障断滅」がなければ、到底、勝義空性修習・勝義指向方便行による悪業の習気の対治には取り組めないからであります。煩悩障のまだ残る中での空性修習・方便行では、まずは煩悩を無くすこと、悪業をこれ以上積まないことに取り組む必要があることとなります。 #勝義方便メモ

2013-01-23 08:43:58
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

42)なんか「きてる!」らしい・・どうやら予想外だったようだ。(笑) RT @togetter_jp: .@hide1125さんの「#勝義方便メモ No.7」がきてる!まさかここまで伸びるとはねっ! http://t.co/HFmph5gX #勝義方便メモ

2013-01-24 10:37:21
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

43)次に、本題の二諦の課題に移りたいと思います。「勝義離戯論」と「縁起」における二諦解釈についてとなります。「世俗菩提心の発心→世俗空性修習・世俗方便行→煩悩障断滅→勝義菩提心の発心→勝義空性修習・勝義指向方便行→所知障断滅・勝義空性了解→勝義(善巧)方便行」。 #勝義方便メモ

2013-01-25 09:10:15
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

44)「勝義離戯論」と「縁起」における二諦解釈が最近の拙課題として大きくあります。つまり、「縁起」とは、あくまでも「世俗」の域を抜け出でないものであるのか、「勝義を志向する」ためのものとしてどのように有効に捉えられるべきであるのか、ということであります。 #勝義方便メモ

2013-01-25 10:08:43
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

45)存在様態に関しての「縁起」を考える際には、必ずその存在対象を個物あるいはモノ・コトとして(概念上・名称上)固定化して捉えなければならないことが大きな課題としてあります。第一、二、三層の縁起ともにこれは終始つきまとってしまうことになると考えております。 #勝義方便メモ

2013-01-27 16:11:16
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

46)モノ・コトの(概念上・名称上)固定化は、空性・無自性の示すところを危うくさせてしまうところがあります。そのため、確かに縁起は、空・無自性の論証因でありますが、その縁起の内容におけるモノ・コトの(概念上・名称上)固定化には十分に気を付ける必要があると考えます。 #勝義方便メモ

2013-01-27 16:15:29
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

47)縁起の第三層といえども、存在(モノ・コト)は、概念化作用、思惟分別作用によって、ただ名称を与えられたものにすぎないことに依るものだと説明する以上、概念化、思惟分別に依っている限り、当然に世俗の域は出ないものであるのは疑いのないところであります。 #勝義方便メモ

2013-01-27 21:44:08
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

48)縁起の第三層は、ツォンカパ大師が「言説有」として説明なされる存在の世俗措定の射程圏であるとも存じますが、世俗の範囲はやはり超えずであり、縁起は世俗(諦)であるというのは、中観派における基本的な流れで、勝義になり得ないのはどこまでも仕方のないものでもあります。 #勝義方便メモ

2013-01-27 22:03:01
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

49)「縁起」は確かに「空」の論証因となりますが、論証因である「縁起」が「世俗」の域にある限り、帰結となる「空」ももちろん「世俗」の域を免れないものとして捉えられることになると考えるのが概ね妥当でありますでしょう。「縁起」=「空」ということにおいてもであります。 #勝義方便メモ

2013-01-28 11:48:14
川口英俊@往生院六萬寺@副住職@仏教 @hide1125

50)「縁起の意味」=「空の意味」、「縁起」→◎←「空」、「◎」は、第一、二、三層の縁起として成立しているものとして、第三層でも、概念化・思惟分別化の作用により、仮設してただ名付けられただけの世俗上の存在として一応は固定化して捉えないと説明することができない。 #勝義方便メモ

2013-01-28 12:05:02
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