@mesmer1709 「理由は(傾かせるが)強いない」から,必然ではないと考えているのでしょうか...... まだ納得はしていません.
2010-08-24 19:42:30@Yonus_Mendox うーん・まとめを読んでなんかもやもやしてなんない。で『自由について』の仏訳を飯を喰らったあと読んでみようと思う。神の自由についてじゃあないかもしんないけど・・・
2010-08-24 19:45:59@mesmer1709 『弁神論』の付録みたいな”Causa dei”っていうテキストありますよね。「神の大義」と訳すようですが。あれってどう思われますか。私には大変面白いものなのですけど。
2010-08-24 19:56:38@mesmer1709 正義とか大義とかいう意味らしいです。するとあまりライプニッツ研究者にも重視されていないんでしょうか。ものすごくシスティマティックに書かれているテキストです。
2010-08-24 20:04:51先日borujiakeさんとの会話で話題に上った『中世末期の神秘思想 (中世思想原典集成) 』には、クザーヌスの『観想の極致について』De apice theoriaeというテキストが収められていて、そこで神は「可能性そのもの」と呼ばれています。
2010-08-24 20:10:49@Yonus_Mendox @assazi La cause de Dieuって仏訳のタイトル。そういえば弁神論のこの箇所が話題になったことがない・・・
2010-08-24 20:10:57@mesmer1709 神が必然に従って世界を創造したのではなく,自由意志に従って創造した,と言うための理由を探究している限りでは,妥当な問いだと思います.
2010-08-24 20:19:54@Yonus_Mendox 無数の可能世界から、一つの現実化する世界を「選択した」というところに、自由の根拠(?)があるのでは……
2010-08-24 20:23:57@cosmogarden アルノーの批判に拠れば,「最善の世界を神が選択する」ことも必然だとすれば,神の自由は担保されていないかもしれないのです.
2010-08-24 20:25:03そもそもラ氏にとって、神が自由か不自由かというよりも、自由をどう最大限に確保するのか、ということの方が問題である気がする。
2010-08-24 20:25:54@cosmogarden 勿論,可能世界と「傾かせるが強いない理由」とをあわせてはじめて自由が担保される(はず)のですが......
2010-08-24 20:26:08@Yonus_Mendox 神が最善を選択するのは、自らの完全性を示すためではないでしょうか? ある意味、神も最善律にはしたが、その上での自由な行為としての「選択」ということでは?
2010-08-24 20:28:00@Yonus_Mendox 傾かせる、といった時、おそらく傾向の方向性は決まっていないというか、無数にあるのでは、と思います。基準があるにせよ、あくまでも「選択」であるならば、必然とは言えないのではないでしょうか……
2010-08-24 20:33:59@cosmogarden (1)最善の世界でないと完全性は示せない.(2)最善ではない世界を選ぶことは,可能性としては考えられる.──目的(1)を達するためには,(2)が必然になってしまいます.原因(1)から導かれる必然的結果として,最善の世界が選ばれると主張できないでしょうか.
2010-08-24 20:35:39@cosmogarden 選択は選択でも,神であることから帰結する必然的選択ではないか──とアルノーはライプニッツに問うのです.
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