江戸時代の武士の面目について

無礼討ちの話が結構受けてたようなので、その流れで 「江戸時代の武士の面目」についての話を軽くまとめてみました。 割とざっくりなので後で追記するかも(※追記しました)ですが、よろしければー。 ついでに赤穂事件と伊賀上野の仇討の話も入れております。
199
神無月久音 @k_hisane

まあ、「代々続いた家や所領を己の代で損なう方が遥かに面目が立たぬ」「今、御受けしている御役目を果たせずに軽挙に走っては、それこそ面目が立たぬ」という論理展開もあるので、この辺は若干幅がありますけど。

2013-03-28 20:04:02
神無月久音 @k_hisane

ともあれ、世間に武士として扱われ、また自らもそう自認する人間であれば、まず第一に来るのは面目です。それをベースに「武士として」の思想や行動、生活環境を整えるわけですから。二本差しだから武士なのではなく、武士だから二本差しにするのです。

2013-03-28 20:05:45
神無月久音 @k_hisane

そして、この「面目」の厄介な点は、この面目が立つ・立たないの判断が「事実がどうであろうが、俺がそう思ったからそうなのだ」という、極めて主観的なものだということでアリマス。

2013-03-28 20:06:24
神無月久音 @k_hisane

つまり、武士A「お主、今、俺を笑ったな?」武士B「いや、そんなことはない。誤解だ」武士A「いや、笑ったに違いあるまい。お主をこのまま見過ごせば拙者の面目に関わる。是非とも詫びてもらおう」という塩梅なわけで砂。

2013-03-28 20:06:52
神無月久音 @k_hisane

殆どヤクザの因縁付けのようなレベルですが、実際、この程度のことが発端で話がこじれた挙句、両人とも主家を退転後、決闘して相討ち、というまさにシグルイばりの残酷無残状態になった話も実際にあったりします。

2013-03-28 20:07:40
神無月久音 @k_hisane

「武士はヤクザのようなもの」なんて話もありますが、実際には逆で武士をかなりマイルドにしたのがヤクザ、というのが実態に合ってるかと。

2013-03-28 20:09:19
神無月久音 @k_hisane

話を戻すと、事実としてどうだったかとか、相手はそんなことないと言ってるとかは関係なくて、「武士が自身の主観において『これを見逃せば己の面目が立たぬ』と判断すれば、それは彼にとって面目が立たないこと」なのでアリマス。

2013-03-28 20:10:12
神無月久音 @k_hisane

そしてこの話の更にエグいところは、この「面目が立つ/立たない」の基準が、往々にして「このことを周り(世間)に知られた時、周りが己をどう見るか」という「主観によって推測された客観」だったりすることで砂。

2013-03-28 20:10:59
神無月久音 @k_hisane

懐かしいネタで言えば、「一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし…」というのと同じで砂。事実がどうかではなく、周囲の評価を軸に、それを自尊心が許容できるかどうか、という話でアリマス。これはちょうど実例が一つあるので、ご紹介をば。 http://t.co/LAmYmv203J

2013-03-28 20:13:35
拡大
神無月久音 @k_hisane

『ある日、同輩が集まって飲んでた時、一人が便所に立った後、残りの面子が喧嘩して一人が死亡。そこに戻ってきた武士が、その状況を把握した途端、喧嘩相手を殺した奴をその場で殺害(殺した奴との遺恨などはなし)(続く⇒)

2013-03-28 20:15:05
神無月久音 @k_hisane

(続き⇒)で、理由を問われて曰く、「もし、あの場で何もしなければ、世間は私に対し、「あいつは喧嘩が起きそうだったから便所に逃げたのだ」と言うだろう。そのような恥辱は耐えられないので、このように振る舞ったのだ」と答えたという』

2013-03-28 20:15:50
神無月久音 @k_hisane

現代人の視点から見ると、ほとんど被害妄想同然に思えるかもしれませんが、それくらい武士にとって世間からの蔑視(によって面目を失うこと)は耐えがたいことだったというお話でアリマス。

2013-03-28 20:17:35
神無月久音 @k_hisane

もう安西先生っ面で「(室町時代から)まるで成長してない…」とか言いたくなる趣で砂。室町時代と比べればマシとはいえ、一旦タガが外れたら、江戸時代でもやっぱり武士はこの有様であると。 http://t.co/LXKTjoP6F6

2013-03-28 20:18:28
拡大
神無月久音 @k_hisane

こう書くと、室町時代も面目最重視で世紀末世界がヒャッハーだったのに、なんで江戸時代は違うの?という疑問が出るかもですが、ここが室町時代と江戸時代の最大の相違点であるわけで、即ち「法」の力が違うからなのですな。

2013-03-28 20:19:23
神無月久音 @k_hisane

これについてちょいと長めの例を挙げますと、まず、江戸時代初期、主君への殉死が流行した時期があったので砂。主の死に際し、忠義の証として「我もお供せん」と続々と家臣が殉死することがあって、結構問題になってたのでアリマス。

2013-03-28 20:20:26
神無月久音 @k_hisane

いくら忠義の発露(まあそれだけでもないのですが)とはいえ、主君が死ぬたびにバタバタ家臣が死ぬのは流石にどうか、というところですし、結構格の高い家臣が死んだり、殉死した主を追って陪臣まで殉死したりで、場合によっては後の藩政に影響が出かねないくらいの有様だったり。

2013-03-28 20:21:21
神無月久音 @k_hisane

また、主に自分亡き後も家を支えるよう「お前は死ぬな」と頼まれた重臣に対し、「あいつは殿に重用されていたのに殉死しない。実は忠義心などなかったのではないか」などと家中で陰口が回って、これまた面目を巡った悶着が起きたりもします。

2013-03-28 20:21:56
神無月久音 @k_hisane

細川家で起きた阿部騒動を元にした森鴎外の「阿部一族」(http://t.co/rIUEfchnT4)なんかは、その一例で砂。リンク先で史実との相違点も載ってる通り、脚色はされてますが、当時の殉死を巡る空気がある程度は伝わるかと。

2013-03-28 20:22:21
神無月久音 @k_hisane

話が延びましたが、とにかく色々問題があったので、幕府も殉死禁止令を出します。それまでも何度か通達は出てたのですが、相変わらず殉死が続いたので、とうとう公式な禁令として出たのでアリマス。「お前ら殉死したら許さんぞ」と。

2013-03-28 20:23:11
神無月久音 @k_hisane

勿論、そもそも死ぬ気満々の人間がそんな禁令を気にする筈もなく、予想通りこの禁令の出た後、殉死者が出たのですが、ここで幕府は、法度に背いたとして、殉死者が出た藩を石高削減の上改易し、殉死者の嫡男を打ち首にします。【追腹一件】http://t.co/ANjklBlEeh

2013-03-28 20:24:42
神無月久音 @k_hisane

これによって、「殉死は御家を潰しかねない行為である」という意識を植え付けることに成功し、殉死は激減します。忠義を証立てるための殉死で、その忠義の対象となる主家を潰したら、それこそ面目が立たない訳で、なんのための殉死かわかりませんしね。

2013-03-28 20:25:58
神無月久音 @k_hisane

つまり、「いいぜ…お前らが自分の面目を立てるために法に背くなら、その面目ごとぶっ飛ばす!(なので法度守れお前ら)」という訳で砂。 http://t.co/Nq3FIoipvm

2013-03-28 20:27:02
拡大
神無月久音 @k_hisane

これくらいやることで、ようやく江戸幕府は法に目を向けさせたわけで砂。無論、そういう法度を敷いたことによる反発を、抑え込めるだけの力があるからこその話ですけど。

2013-03-28 20:28:32
神無月久音 @k_hisane

この辺り、じゃあなんで室町時代はああだったのか、というのはまた別の話なので置くとして、とにかく江戸時代の武士は「法を意識しつつ、面目も守らないといけない」羽目になったわけでアリマス。

2013-03-28 20:29:25
神無月久音 @k_hisane

だからこそ、江戸時代の武士たちは、極力法度を守りつつ、その範疇内で、如何にして面目を立てつつ過ごすか、という方法論を模索することになります。法と面目の狭間で釣り合いを取ったところにあるもの、それが「江戸時代の武士の面目」というわけで砂。

2013-03-28 20:30:01