ゴヌルの住民は誰か、どんな言語で話したか

比較言語学者Aleksandr Lubotsky による「ゴヌルの住民は誰か、どんな言語で話したか。」という論文の翻訳について、まとめました。文字史料がない時代の比較言語学による考察です。
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中村幸志 @SecureJapan

1929年生まれのサリアニディの生誕80歳記念論集『文明発見の途上にて』(2010)にはオランダ ライデン大学のインド・ヨーロッパ語族の比較言語学の専門家 Aleksandr Lubotsky による「ゴヌルの住民は誰か、どんな言語で話したか。」という論文が寄稿されている。

2013-04-24 22:10:59
中村幸志 @SecureJapan

『文明発見の途上にて』所収のルボツキー論文を加藤九祚先生が翻訳したもののコピーが手元にある。講演会のハンドアウトとして配布されただけでどこかに発表したものではないようなので、非常に貴重な資料といえる。

2013-04-24 22:18:21
中村幸志 @SecureJapan

(c1)「前2000年紀初め頃、ゴヌルは世界最大の都市のひとつであった。王宮と神殿、それを取り巻く建物を含む内城だけで10ヘクタールを占めた。この都市には独立した神殿(いわゆるtamenos)、面積1.5平方キロの共同墓地necropolis(これには約3000の墓があった)、」

2013-04-24 22:23:06
中村幸志 @SecureJapan

(c2)「水槽、広場、数百の手工業者用住宅などが発見された。付近に石があないので、都市の建物はすべて日干煉瓦でつくられた。これは、粘土にワラを混ぜ、特別の型で成形され、太陽で干したものであった。/ 30年にわたるゴヌルの発掘調査の結果、この都市についての多くの資料が集められた。」

2013-04-24 22:26:06
中村幸志 @SecureJapan

(c3)「われわれはその壮麗な建築、最高水準の手工業(焼物、冶金、宝石加工など)、複雑な神殿儀礼と葬礼、メソポタミアとインドの文明との接触などを知ることができる。われわれはこの見事な文化を知るにつれて、これを創った住民はどこから来たのか、どんな言葉で話したかについて」

2013-04-24 22:29:07
中村幸志 @SecureJapan

(c4)「知りたくなってくる。言語学者はこれに何か寄与できるだろうか。/ 一見、この問題は時期尚早に見える。確かに考古学者たちの努力にもかかわらず、ゴヌルだけでなく、バクトリアとマルギアナの遺跡で文字は全く見つかっていない。ではあるが、今の時点で若干の言語学的結論を」

2013-04-24 22:31:42
中村幸志 @SecureJapan

(c5)「引き出すことは可能であると思う。/ バクトリアとマルギアナの文明を創始した人びとについて、しばしばインド・イラン人またはアーリア人が議論の俎上にのぼっている。例えばサリアニディは、彼らこそがゴヌルの創始者であると確信している。」

2013-04-24 22:33:59
中村幸志 @SecureJapan

(c6)「アーリア人は何者で、彼らはこの文明の創始者だろうか。インドイラン語はインドヨーロッパ(印欧)語族に属し、インド語とイラン語という2つの枝に分かれる。印度分枝の代表は、およそ前1000年頃に創られた『リグヴェーダ』を最古とするヴェーダ語をなすサンスクリットである。」

2013-04-24 22:36:56
中村幸志 @SecureJapan

(c7)「イラン諸語にはまず『アヴェスタ』語(およそ前800-前600年のゾロアスター教徒の聖なる言語)とアケメネス朝の諸王(前6-前5世紀)の碑文に見える古代ペルシア語である。現代のイラン諸語の中ではペルシア語(ファルシー)、タジク語、アフガン語(パシュト)、クルド語、」

2013-04-24 22:40:02
中村幸志 @SecureJapan

(c8)「オセチア語がよく知られている。前1000年紀、イラン諸語はユーラシアのステップ(草原)と中央アジア全土に広まっていた。/ インドイラン語がインド語とイラン語に分かれたのは前2000年頃で、後にインド人となる人びとが同族から分かれ、ヒンドゥクシュ山脈を越えてインドへ」

2013-04-24 22:42:26
中村幸志 @SecureJapan

(c9)「入ったときであった。それまでインドイラン人は中央アジアに住んでいた。以上のようにして、われわれはインドイラン人またはアーリア人(彼らは自らをアーリア人と称した)は、前2300年頃ゴヌル付近に住んでいたと考える。」

2013-04-24 22:46:21
中村幸志 @SecureJapan

(c10)「しかし私は、アーリア人がゴヌルの創建とは無関係であったと考える。言語学者たちは集積された語彙ファンドに基づいてその住民の生活と文化についてかなり詳しく記述することができるからである。」

2013-04-24 22:48:47
中村幸志 @SecureJapan

(c11)「この方法はいとも簡単で、もし言語に「靴を履かせる」という動詞とか「はだしの」という形容詞があれば、この言語の住民に履物(靴)があったと結論できる。同じことが再構成の言語にも当てはまる。ロシア語の obut'(靴を履かせる)、古スラヴ語の obuti、」

2013-04-24 22:53:01
中村幸志 @SecureJapan

(c12)「ポーランド語の obuc' に基づいて原スラヴ語の *obuti(単語の前の星印は再構成語を示す)に到り、スラヴ人は靴を履いたとの結論に達する。われわれはそれがどんな材料でつくられたかは知らない(皮製であったか樹皮であったか、これについては考古学者が助けてくれる)、」

2013-04-24 22:55:35
中村幸志 @SecureJapan

(c13)「しかし共通スラヴ人の時期にスラヴ人が靴を履いたことは充分に可能性がある。/ われわれがこの方法をインド-イラン人の語彙ファンドに適用すると、アーリア人は遊牧民-牧畜民であったとの議論の余地のない結論に達する。彼らには、馬、馬装具、馬車、」

2013-04-24 22:58:03
中村幸志 @SecureJapan

(c14)「さらにはさまざまな家畜名に関する数十の単語があったが、農耕に関する用語はごく限られている。そのほか、彼らの言語には建築関係は事実上なく、宮殿や神殿などの語は全く見られない。このことから得られる結論は、アーリア人はゴヌルのような都市をつくる状態にはなかったということ」

2013-04-24 23:00:45
中村幸志 @SecureJapan

(c15)「である。さらに、彼ら遊牧民にとって、そのような都市は不必要であった。/ したがって多くの学者はインド-イラン人の生活様式はバクトリアとマルギアナの北方と東方に住むアンドロノヴォ文化的共同体に相当すると考えている。」

2013-04-24 23:04:39
中村幸志 @SecureJapan

(c16)「アンドロノヴォ人はステップに住み、馬と有角家畜を飼育し、車を利用し、農耕は彼らの生活の中でわりあい小さな役割しか果たさなかった。しかしここで指摘すべきは、アンドロノヴォ人がバクトリアとマルギアナの農耕民と密接な関係を保っていたことである。」

2013-04-24 23:08:26
中村幸志 @SecureJapan

(c17)「考古学者は、前2000年紀初め、農耕民の集落址がアンドロノヴォ人の遺跡に取り巻かれていたことを述べている(例えば Heibert、Moor、2004)。もしアンドロノヴォ人が実際にアーリア人であったなら、この接触は原インドイラン人の言語の中に借用語として」

2013-04-24 23:10:47
中村幸志 @SecureJapan

(c18)「残っているはずである。われわれはこの痕跡を明らかにすべく、借用語を求めてインドイラン人の語彙ファンドを分析しなければならない。借用語はしばしば言語の中で独特な形をとっている。」

2013-04-24 23:12:17
中村幸志 @SecureJapan

(c19)「例えばロシア語の中に F の文字(fabrika 工場、konfeta (菓子)または語尾が -tsiya で終わる語があれば(revolyutsiya 革命、tsivilizatsiya 文明)、これは確信をもって借用語だということができる。」

2013-04-24 23:17:45
中村幸志 @SecureJapan

(c20)「以上のようにして、われわれは次の条件を満たすインドイラン語を選び出した。 1.インド語にもイラン語にもあって、したがって共通インドイラン時代にあったことが証明された語。 2.インドイラン的語源でない、つまり他のインドヨーロッパ語に類似語のない語。」

2013-04-24 23:19:55
中村幸志 @SecureJapan

(c21)「3.一般とは異なる外観を持つ語。  このような単語が数十個あり、われわれの推理が正しければ、これこそがアーリア人によるバクトリア-マルギアナ語からの借用語だと言える。こうしてわれわれは部分的ながらゴヌルで話された言葉を知ることができる。」

2013-04-24 23:22:03
中村幸志 @SecureJapan

(c22)「アーリア人はゴヌル人からどんな言葉を借用したか。それはまず建築関係の語彙であった。すなわち *jharmya 常設の家(つまりユルタ、すなわち天幕でない住居)、*ištya 煉瓦、粘土、*sikatâ 砂、砂利、*mayükha 接合部を連結する木製だぼ、」

2013-04-24 23:28:59
中村幸志 @SecureJapan

(c23)「英語で dowel。ユルタに住んだ遊牧民はゴヌルその他の都市から学ぶことは多かったに違いない。牧畜民であるアーリア人が、彼らの品物を売るために都市を訪れ、たいへん驚いたことは想像にあまりある。」

2013-04-24 23:30:59