関孝和について

http://togetter.com/li/521570 についての典拠や異聞などを挙げてみました。 参考 三上義夫『文化史上よりみたる日本の数学』 平山諦『関孝和』『和算の歴史』『和算史上の人々』『和算の誕生』 続きを読む
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

関孝和の直筆と信じられている算法許状は、その大きさ14.2*240センチである。巻頭から巻末まで虫食いが多く、他の許状を参照しないと全文がわからない。

2013-06-23 13:19:22
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

下平和夫は『関孝和』でこう述べている。「関孝和が弟子の宮地新五郎に授けた免許状が存在する。…免許状は師が直接に書いて授けるのがきまりであるから、代筆ということは考えにくい。したがって、この免許状に書かれた字は関の直筆と考えてよいであろう」。しごくまっとうな見解である。

2013-06-23 13:25:53
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

関孝和の許状、この破れた箇所に何が書かれていたか?こういうのは許状に詳しい方には何でも無いのでしょうが、僕は素人なので他の例を参照にしてみる。 http://t.co/NKdiNMtVab

2013-06-25 23:04:03
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

これは、天然理心流開祖近藤内蔵之介長裕が繁八宛に与えた目録。 http://t.co/fJRwHo3CHA

2013-06-25 23:06:37
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

こちらは初代内蔵之介門下の戸田角内が平七郎左衛宛に与えた柔術目録。 http://t.co/rcuJ0FpeCi

2013-06-25 23:08:54
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

花押や印は発行者のものだというのがわかる。印の横にあるとすれば、それは発行者のサインなのでしょうね。

2013-06-25 23:10:54

【『括要算法』の改版について】

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

『活要算法』跋文「孝和先生没して後、遺文残稿論述する所の算法なお多し。予かつて彙て一書と成さんと欲す。然れども老衰疎懶にして、因循として年を経る。頃間、門人大高由昌予が志を承けて、括要算法を著す。これを閲するときは、すなわち孝和先生の説に原いて、一理貫通の玅を発す」とある。

2013-06-26 20:22:11
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

平山和夫『和算の歴史(上)』に「残っている単独の稿本とくらべほとんど変化がなく、またこの稿本を誤写したと考えられる箇所もあり、大高由昌は単に関孝和の稿本浄書したに過ぎないのでないか」とあり、 (つづく

2013-06-26 20:29:22
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

『括要算法』は、関孝和の自著では無く、遺文や残稿を整理し関流算法を系統的に纏めた本である。跋文の「孝和先生の説に原いて、一理貫通の玅を発す」という言葉にもよくあらわれている。なので、これまでの諸先生方が『括要算法』を関孝和のまとめた一冊の本だと思っていたとは僕には思えない。

2013-06-26 20:31:41
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

それでは、江戸時代時の人が『括要算法』を誰の著作と思っていたか?関孝和没後五十年の宝暦七年『算学雑談集』に「括要算法、荒木彦四郎出す…荒木が事を尋る処、彼れは、算術何んにも不知者の処、関新助の後室へたより、括要を借り出し、板行に致し、自分の名を揚げたがる不埒者」とある。

2013-06-26 20:44:58
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

下平先生は「括要は算法は荒木村英と大高由昌の間で名づけられた名前である。「括要を借り出し」というのはおかしな言い方である」としてはいるが、文頭に「括要算法、荒木彦四郎より出す」とあるところからみると、当時の世の中では『括要算法』は荒木の著であるという認識だったのでしょう。

2013-06-26 20:50:18
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

この世の中の『括要算法』は荒木の著という認識に怒ったのが松永良弼である。彼は『括要算法』に朱入訂正した『求積』で、「孝和先生の説にもとづく」を朱で消し「ことごとく先生の遺録を序す」と訂正、さらに「中根元珪曰く、自ら作る所の如き甚だおごれり改むべし」と朱を入れている。

2013-06-26 20:55:33
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

中根元珪は、関孝和の一番弟子建部賢弘の弟子である。

2013-06-26 20:56:30
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

↓なので、ここの解釈は、少なくとも三上義夫先生、平山諦先生、下平和夫先生らの解釈では逆。初版が荒木・大高らの著書に見えてしまうので、建部賢弘周辺の関流算術の実力者達が異議を申し立て、関先生の遺稿類を纏めたものであるということを世に明らかにさせる為の再版であったとする考え。

2013-06-26 21:18:28
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【関孝和13】改竄は編著者名の操作。初版では関の弟子の荒木村英・大高由昌の2人が編集したと解釈できるが、再版は関の「遺編」を荒木が「検閲」し大高が「校訂」したように、数文字書き加えられている。赤線枠内の文字に注目。左が初版、右が再版  http://t.co/q5dHhpoxbN

2013-06-20 20:55:34
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

平山諦先生は『和算の誕生』でこう述べられている「荒木は括要算法に多数の誤記誤刻を残した。…荒木は孝和の弟子と称し、300年に亘り、関流宗統初伝として世人を欺いてた…その根源は括要算法の出版にあった。」(つづく

2013-06-26 21:29:07
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

括要算法には著者名の少し違うものが2種類ある。…右側が先に出版され、左側はあとで直して出版されたものと私は推定…門弟とあった所は遺編と書換えられ、荒木、大高にはそれぞれ検閲と校訂の2字が入っている。 http://t.co/AyhjMZyvCF

2013-06-26 21:33:43
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

門弟を遺編と直したのは、その出版事情を知っていた人の良心的行為からではあるまいか?門弟本出版後、数年内に遺編本に直された。出版部数は少ないと見えて、人の注意も惹かないままに今日に至った」とあり、(つづく

2013-06-26 21:37:24
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

平山諦先生は、再版である遺編本『括要算法』は目立たなかった為に、荒木が関孝和の高弟であると世人に300年間誤解されてきたという認識であったようです(荒木が関孝和の高弟では無かったとする考証は別途)。

2013-06-26 21:38:59