「和様の書のなりたちと展開」まとめ

荻窪・6次元で2013年8月16日(金)19:30に開催された、東京国立博物館研究員の田良島哲さんのトークイベント「和様の書のなりたちと展開」のまとめです。
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狩野宏樹 @KAN0U

奈良時代の写経は功徳を積むための国家事業として欠かれた字なので、緊張感に満ちた見事な字であるが、誰が書いたかは問題にならなかった。雇われ人が字を書いた時代。平安になると、貴族の中で字のうまいと評判の人が業務外の余技として字を書いた(後世には、家の仕事として字を書くようになった)。

2013-08-18 10:15:40
狩野宏樹 @KAN0U

小野道風・藤原佐理・藤原行成の3人を三蹟と呼ぶ呼び名は江戸時代になってからだが、彼等は鎌倉時代には名声を博していた。例えば、11世紀藤原明衡の「新猿楽記」の登場人物の一人・太郎主が能書という設定で、その描写を読むと判る。(参考: http://t.co/Rx32zKAWwH )

2013-08-18 10:25:31
狩野宏樹 @KAN0U

能書は色々なスタイルで書ける必要があった。彼等は政府の命令(例えば道風の円珍謚号勅書)やお寺の依頼(行成の筆と推測される「龍華樹院」額や道風の道澄寺の鐘銘、願文(法会・儀式の主旨を述べた文書))、調度手本(行成の白氏詩巻)、冊子(元永本古今和歌集)、経巻の外題等を頼まれて書いた。

2013-08-18 10:40:57
狩野宏樹 @KAN0U

能書は忙しかったので経文そのものはよほどの義理がなければ書かなかったらしい。行成が書いたのは、宮中で法華経を講じるために天皇(1・8巻)、中書大王(=具平親王、2・5巻)、自分(3・6巻)、左府(=道長、4・7巻)で書いたような場合 http://t.co/Zvl0ZaLwY8

2013-08-18 11:04:05
狩野宏樹 @KAN0U

鐘の銘なんかは(彫った物で本人の筆跡そのものではないといえ)楷書で、あまり和様らしい感じがしなかった。和様らしい和様というとやはり行書だと思う。和様の行書を書く伝統が絶えてしまったのは実に惜しい(明治以降、唐様の雑ざらない純粋な和様を指向した人は、田中親美くらいではなかろうか)。

2013-08-18 11:32:34
はろるど @harold_1234

至極簡単にですが、6次元イベント「和様の書のなりたちと展開」をまとめておきました→http://t.co/353iCmuK2d

2013-08-22 13:33:05