江戸の防災力
歴史を振り返って、ある時代の制度とかを羨ましく思って現代に復活させようとするときは、かならず一度「それで何人の人口をまかなえるの?」と問うてみるのが大事ですな。その人口を達成するために、他人ではなく自分を世界から除去しようという者はいるかね?
2013-09-06 10:31:05とうか、トンチキなことの言いだしっぺ、元禄地震の被害を江戸の被害数(これも調査不十分な統計+家事の二次災害が含まれていない)だけみて、小田原や関東の他地域の被害を見事に無視@mayousa_desuga 江戸時代というと江戸しか顧みられない
2013-09-06 12:00:39条坊制の対災害(火災)利点の一つとして、大路・小路という広い道によって延焼を食い止めることができた。消防組織が未熟だから、そんな対策しか打てないという話でもある。
2013-09-06 11:54:32衛生と都市といえば、中世末期にトイレ→肥料という利用法が確立されたのは大きい。江戸は平安京に比べて格段に都市社会としてすぐれていた。
2013-09-06 12:17:50中世末期からなんですか?意外です。もっと前からだと思っていました RT @skskmkh 衛生と都市といえば、中世末期にトイレ→肥料という利用法が確立されたのは大きい。江戸は平安京に比べて格段に都市社会としてすぐれていた。
2013-09-06 12:20:37@sweets_street 応仁の乱より前くらいだと、平安京ではまだ共同トイレ作ってないんですよ。水路・溝があるからそこに流してしまう。ある時期から家の裏に共同トイレを作って、溜めて農民に売るようになる。平安時代から、人糞肥料の知識が無かったわけではないんですけどね。
2013-09-06 12:33:06平安京で疫病が慢性化していた理由がよく理解出来ました。あれだけの大都市で糞便垂れ流しなら、伝染病の巣窟になるのも当然ですね RT @skskmkh 応仁の乱より前くらいだと、平安京ではまだ共同トイレ作ってないんですよ。水路・溝があるからそこに流してしまう。ある時期から家の裏に(略
2013-09-06 12:37:40@sweets_street 疫病対策には施薬院や東西の悲田院というものもあったのですが、これどうやら「実際に疫病が起こった」時に活動するくらいみたいなんですね。当然のように根本的な対策にはならないというわけで。
2013-09-06 12:43:58@sweets_street @skskmkh 中世の京の空き地には汚物がところ狭しと棄てられ・もしくは高下駄のようなものを使って住民が空き地に入り直接排泄していた、みたいな記述を読んだ覚えがあります。江戸は肥として活用するシステムができたおかげでそういう惨状免れたんですねえ。
2013-09-06 12:43:53@vidrofox @sweets_street 餓鬼草紙ですね。一般民衆は空き地で排泄して、それを犬が食う。貴族とか上層の人、家持ちは水路に流す。
2013-09-06 12:45:05@skskmkh @sweets_street なるほど。犬も群れをなして駆け回るほど多かったそうですね。行き倒れの死体食べてただけじゃなかったんだ…そりゃ疫病も流行る。
2013-09-06 12:47:15死体と糞便を媒介に病原菌が都中に拡散されるんですね RT @vidrofox @skskmkh なるほど。犬も群れをなして駆け回るほど多かったそうですね。行き倒れの死体食べてただけじゃなかったんだ…そりゃ疫病も流行る。
2013-09-06 12:48:58人糞尿は稲作には向かないので(強すぎる)、野菜を購入するという文化と貨幣経済の発展も大きいのだと思います。 @sweets_street @vidrofox @skskmkh
2013-09-06 12:48:34ああ、なるほど。それは盲点でした RT @syakekan 人糞尿は稲作には向かないので(強すぎる)、野菜を購入するという文化と貨幣経済の発展も大きいのだと思います。 @vidrofox @skskmkh
2013-09-06 12:49:28@syakekan @sweets_street @vidrofox 蔬菜用ですね。早い時期の肥料利用はもちろん、菜園利用に限られています。おっしゃる通りだと思います。
2013-09-06 12:51:51@ut_ken @kedama1311 一度だけ返信しますが、私は防災関係者でもあります。デタラメとは随分失礼ですね。元禄地震の被害の多くは、神奈川。江戸は、「川向こう(墨田区)」に家を建てないなど、様々な形で知恵が街づくりに活かされていたのです。寺田寅彦の著作等にも詳しいです。
2013-09-06 12:42:12事実デタラメとしか言いようがないので。なお元禄地震について僕が参照した主な資料は『 江戸の自然災害 (同成社江戸時代史叢書) 野中 和夫』『防災誌「元禄地震」(千葉県の広報PDF資料)』その他にもこの前元禄地震遺憾縷々文章を書いたので多数 @asaikuniomi
2013-09-06 16:59:35すでに指摘していることですが「二次災害の大火事の死者を無視」「小田原を初めとする江戸以外の被害を無視」というので元禄地震について論理が支離滅裂です@asaikuniomi
2013-09-06 17:02:35だいたい「江戸時代はよかった」というのに、なんで(都市としての)江戸だけ引き合いに出すのですか?神奈川の被害が大きかったというのはあなたも認めていますね。「川向こうに家を建てない」というのも別に防災完備でなく”それぐらいしか対策の立てようがなかったから”@asaikuniomi
2013-09-06 17:05:49江戸市内に限定しても元禄地震以外にも地震・火事・疫病・飢饉などの災害は多数あり、それを無視して「江戸は防災が行き届いて安全でした」というのも論理が破綻しています。地震だけでもどうして安政震災は無視するのですか?@asaikuniomi
2013-09-06 17:06:58これで「防災関係者」を名乗るなら、防災関係者としての能力がとんでもなく欠如しているだけでしかないです。たとえば酷く無能な教師だって「教師です」と名乗ること自体は嘘ではないですけど、教師としての見識は全くあてにならない @asaikuniomi
2013-09-06 17:09:19