- sakana6634
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先日「韓国服飾文化の源流」という本で、あちらにも美豆良があったという記述を見て以来、他をあたってみてたのですが、残念ながらこれは美豆良というより総角や双髻というべきものだと思います。写真は徳興里古墳壁画「古代壁画が語る日朝交流」より http://t.co/JPZXwkGUqU
2013-11-08 21:47:44何が違うかというと、細かい話なのですが、総角というのは中国古代から幼少や元服前の少年少女の髪風で、頭頂部左右に二つの髻をつくる、いわゆるおだんご頭。双髻はこれに類しもうすこし装飾的な若い女性の結髪。下級女官などがこの髪型で絵が描かれることが多い。阿鴻さんは丁度そんな感じですね~
2013-11-08 21:55:22で、日本の埴輪に見られる美豆良は、成人男性の髪風です。同じような髪型だろ?て思われるかも知れませんが、髪型も身分表示のひとつ。成人か未成人かが一目で分かる重要なポイントなんです。 なお総角は結い上げるものだけど、美豆良は耳の上あたりから垂れ下げることを本旨としています。
2013-11-08 22:00:15総角は韓国語で『チョンガー』。独身男性を差す語。日本でも使われてたみたいですが、死語? これも、総角=幼少期、子供、未成人、未婚、という風俗から来る用法と思われます。
2013-11-08 22:04:28日本では『総角』は『あげまき』と訓まれますが、これも必ず童子・童形の髪型(またはそこから派生した結び目の名前)を差します。初出は日本書紀からで、髪型の描写より『幼少期』の代名詞的な用法です。書紀には「角子(あげまき)」との表記もあります。(厩戸皇子についての注記)
2013-11-08 22:11:13RT〉そうなんですね。おや、日本の埴輪のみづらは成人男性だよな、どうも大陸とは違うかな?と思っていたところでした。みづらと双髻は、きちんと区別して認識しないといけないですね。
2013-11-08 22:31:28日本の美豆良のルーツが朝鮮半島(あるいはそこを経由した文化)なら分かり易いなあという安直な考えだったんですけど、そうでもないみたいで。もうひとつ疑問なのは、埴輪の美豆良は耳飾を覆ってしまうこと。勿体ない気がするのですが、何かそこに齟齬があるような気がしないでもなく。
2013-11-08 22:33:26李朝の総角は、一本のお下げに。髪を結い上げなくなったのは、元の影響だとい聞いた。もう言葉だけになったみたい。あ、確か李朝の初期に、髪を結い上げるのを禁止していたような気もする。それからかな。最近の韓国時代劇では、未婚の青年が加冠を済ませて総角ではなくなっているが、あれはアリかな。
2013-11-08 22:39:06まあ、実際に耳の上で結うと、髪の張りによって元結は頬からすこし浮くと思うので、耳飾がすっかり隠れてしまうこともなかったのかもしれないけど。
2013-11-08 22:40:31@otankousagi ああ、時代物で若者の総角って、あんまり見た記憶がないなあと思ったら、名のみになってたんですね。それでも現代まで言葉がのこっているのも面白いですが。
2013-11-08 22:44:27『総角』中国の文献での使用は、 詩経国風/斉/甫田「婉兮孌兮、總角丱兮」 礼記内則「男女未冠笄者…總角」が古く、 三国志/呉書/周瑜伝「周公瑾英儁異才、與孤有總角之好、骨肉之分。」 晋書/子劭伝「劭字敬祖、少與武帝同年、有總角之好。」 『総角の好(よしみ)』は竹馬の友みたいなもの
2013-11-08 22:49:37@sakana6634 手持ちの『目でみる李朝時代』の写真にこんなのがあります。両班ではないですが、釣りをする少年の後姿です。とても長いお下げですよ〜。 http://t.co/J96HXaosgb
2013-11-08 23:11:49ほんとだ、かなり長いですね。結構大きい子なのかな? 下げみづらの若君も、ほどくと長いもので膝くらいまであったらしいですよ。 @otankousagi
2013-11-08 23:22:22@sakana6634 ほおっ、結構長いですね。あの人形の髪が、お尻のちょっと下までの長さです。みづらは意外と長さが要りますね。そうだ、確かドラマ版『黄真伊』では、チャン・グンソク演じるジニの恋人は、両班の息子でしたが、未婚のまま死んだので、総角のままだったはず。
2013-11-09 00:04:44@otankousagi ああっ、ファン・ジニ、飛び飛びには見ていたのですが、おいしいとこを飛ばしたみたいですね(T▽T) 紅楼夢の賈宝玉の少年の時とか、京劇の那吒も丫角ですよね。うしろ髪を流すのも可愛いですねえ…。
2013-11-09 00:29:14@sakana6634 子供のはホント可愛い。先にあげた丫頭の髪型の図に「鬟髻」と解説がありました。鬟は漢和辞典には「みづら」と解説が。耳元で輪っかにして束ねた髪型を単純にそう称するだけなら「みづら」でしょうが、それに付随する意味合いとか習俗とかは、別個に捉えないといけないですね
2013-11-09 08:03:37@sakana6634 続き。漢和辞典の言う「わげ。髪を束ねて輪にしたもの」ていうのも、具体的にどんなのまでを輪というのか微妙な気もします。
2013-11-09 08:14:27@otankousagi 鬟の字は、中国では女性の装飾的な髪型に使う物なんですよね。旁から持ってきたのかも知れません。用例は平安時代に入ってからなので、もうみづらが輪状のものしか無くなっていたのかも知れませんが。その前は『髻』でみづらと訓ませていました。(続)
2013-11-09 09:56:54@otankousagi 「わげ」は輪というより、曲げと理解した方が解りやすいですよね。唐代の女性のように高く輪をつくるより、髷を扇形に広げていく方が多いように思いますし。
2013-11-09 10:00:35(出版情報RTより)
中国古代の楽制と国家 日本雅楽の源流
(渡辺信一郎著/文理閣)
『中国古代専制国家の政治秩序は、法制と礼楽制度によって維持される。古典的国制の根幹をなした礼楽制度のうち、楽制の歴史的展開に焦点をあて、漢代から唐代初期に至るまでの中国古代国家の帝国的特質を解明。隋の楽制改革の歴史的意義、さらにその日本雅楽への影響を明らかにする。』
http://www.bunrikaku.com/book1/book1-718.html
RT>お恥ずかしながら卒論のテーマがこのあたりでした。卒論なんかな…恥ずかしくて読み返せもしないけど…この本はぜひ読みたいな。
2013-11-08 21:15:18