ハビトゥス(habitus)について──トマスにおける

社会学において術語として使われることも(たまに)ある言葉 habitus について、@adamtakahashi さんが(少しだけ)語ります。 ※参考:三上 茂(1974)「トマス・アクィナスのハビトゥス論と教育」   『アカデミア』人文・社会科学編 第96号   http://www.d-b.ne.jp/mikami/habitus.htm
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Adam Takahashi @adamtakahashi

アガンベン大先生は、potential な状態と actual な状態の間にある「為すことも、為さないこともできる」という「ハビトゥスにおいて」ある「知性」(例:建築を知識として知っていながらも、現時点では建築していない人)を、「思考の潜勢力(potenza)」と肯定的に捉え

2010-10-20 19:25:23
Adam Takahashi @adamtakahashi

て、「純粋な認識可能性、純粋な受容可能性」とまで(幾分大胆に・・・)形容するのかもしれません。ただ、ここで問題なのは、「為すことも、為さないこともできる」というのは、哲学史的には(といっていいのかな?)「善を知りつつも、善をなさない」ということがありえるのか、ありえるとしたら

2010-10-20 19:31:22
Adam Takahashi @adamtakahashi

どのようにしてか、という哲学史家の琴線に触れる(魑魅魍魎とした)部分を,完全に捨象することにもなるのではないかと思うのです。ならないだろうか。

2010-10-20 19:32:28
Adam Takahashi @adamtakahashi

「善を知りつつも、善をなさないということが可能か」という古典的な問題についての論議は、サンデル大先生にお願いするとして、コスモロジカルな観点で重要なのは、トマスにしろ、ライプニッツにしろ、彼等の秩序観で重要なのは、この世界は最善である、なぜならば「神は善を知っているがゆえに、善を

2010-10-20 19:36:51
Adam Takahashi @adamtakahashi

なすからだ」ということなわけで・・・。

2010-10-20 19:37:32