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* さて、今朝は時間があるので久々に長文ツイートを。 といってもそれほど新味のない、以前にも語ったような気がする内容ですが。
2010-11-01 09:55:260 超大雑把に言って、 「(ネオリベラル=)オールドリベラル=自由放任主義」 「(ニューリベラル=)ニューディール=修正資本主義=社会民主主義」 以下の話は、上記の構図を頭に置いてお読み下さい。
2010-11-01 09:56:581 人間の、とりわけ経済活動の「放任」を勝ち取ることと、ひろく人間の「自由」を最大限認めようとすること。いわゆるリベラルは19世紀において封建的・父権的国家体制(この擁護者が本来の意味での保守派)による抑圧からこの2つの価値を護るために機能してきました。
2010-11-01 09:57:182 当初においては、自由主義はまさしく進歩主義と同義でした。しばしばマルクス主義的と批判されるいわゆる進歩史観は、元々は英国自由党の別称から「ホイッグ史観」として誕生したくらいで。しかしこの「放任」と「自由」の蜜月は永続的なものではありませんでした。
2010-11-01 09:57:413 欧州では「自由主義者」のうち経済活動の放任を希求していた勢力が次第に既存体制の擁護者となって「保守化」していくにつれて自由主義への幻滅が生まれ、この長く続いた幻滅の過程こそが、残された人間的自由を希求する勢力を社会民主主義へと糾合させる原動力になって行きます。
2010-11-01 09:58:444 一方米国においては元来の保守派のバックボーンたる「封建的国家体制」そのものが存在しませんでした。「国家体制の擁護者」と自由主義者の一体化は、米国では初めから所与のものであり、所与のものなので幻滅も起こらず、結果社会主義政党の勃興も起こらなかったわけです。
2010-11-01 09:59:025 そんなわけで南北戦争後の米国では「自由主義」の金看板を「リンカーンの党」たる共和党が概ね独占する傍ら、彼ら自身が建国神話に連なる系譜としての「保守」の地位をも獲得していくことになります。
2010-11-01 09:59:236 米国の「保守派」というのは、こうして当初から自由主義と一体化した存在として生まれたという点で特異であり、このあたりが米国に真の保守派は存在しないと言われる所以でもあります。
2010-11-01 09:59:377* ちなみにその頃の民主党は、移民国家たる米国の諸エスニックマイノリティー集団+「敗残者」としての南部勢力の連合体であって、概ねマイナーな存在に甘んじて来ました。
2010-11-01 09:59:508 その後、欧州の「リベラル」はそれぞれの国情に応じた様々な形で、それでも次第に「放任」派と「自由」派の股裂き状態が深刻化して行き、概ね第一次大戦後のいわゆる戦間期に保守派と社民派に吸収される形でその命脈が絶たれます。
2010-11-01 10:00:099 それどころか二度の世界大戦の戦場となった結果としていわゆる「保守派」も自由放任の教義をほぼ全面的に捨て去りましたから、欧州では社会民主主義が中道とされるに至りました。
2010-11-01 10:00:1910 翻って米国では、自由(放任)主義と強固に結びついた保守派の勢力が大変強固なものとなった結果、19世紀末ごろから次第にいびつな国となっていくのですが、先程申し上げた歴史的事情から社会主義が十分な勢力を糾合することが出来ず、既存体制に対する反対運動は迷走を続けます。
2010-11-01 10:01:1911 19世紀末の人民民主主義(ポピュリズム)、20世紀初頭の革新主義運動などはこの時代を象徴するムーブメントですが、T・ルーズベルト~ウィルソンの時代に一定の成果を上げたものの全体として不十分な結果に終わり、その結果漸く社会主義的勢力がその力を増していきます。
2010-11-01 10:01:3912 しかし、時既に遅し。社会主義が米国内で確固たる地位を築く前にロシア革命が起こります。恐慌に駆られた既成勢力は社会主義に対する大規模な弾圧を行うに至り(第一次赤狩り)、これで米国内で社会民主主義が平和理に権力を掌握する道が絶たれました。
2010-11-01 10:01:5413 その後、「放任」と「自由」のバランスが完全に崩れたまま、米国はローリング・トゥエンティーに突入し、ジェットコースターのような上昇と下降を経験して後、1933年初頭には国家体制のほぼ完全なる破綻を見ることになります。
2010-11-01 10:02:1414 この時、ぱっとしないマイノリティーの互助会政党に堕していた民主党で主導権を握り、政権の地位を得たのがF・ルーズベルトです。彼はその地位に就くと「修正資本主義」という、社会民主主義とよく似た政策スタンスを持つ概念を捻り出し、国と党をその方向へと転換させることに成功しました。
2010-11-01 10:02:3415 こうして、結果として欧州の文脈では「リベラル=自由放任=オールド・リベラル」として打ち捨てられ、米国の文脈では「リベラル=ニューディール=ニューリベラル」として再生するという差異が生まれるに至りました。
2010-11-01 10:02:4916 欧州と米国の差異はもう一つあります。欧州においてはほぼ死に絶えた自由放任の教義は、米国においてはもう一方の自由主義政党たる共和党の、「保守派」呼ばれる勢力によって護持されたのです。
2010-11-01 10:03:1217 共和党はニューディール期に遅まきながらリベラルにまつわる「自由」と「放任」の股裂きを経験した結果、「自由」を重んじるアイゼンハワー派が暫時主導権を握りました。なので結果的に1930年代から60年代にかけて、米国の主導権は「ニューリベラル」派にしっかりと握られていました
2010-11-01 10:03:5018 この間放任を重んじる「保守派」は、例えば第二次「赤狩り」の煽動者、ジョー・マッカーシーに代表されるような人々のフラストレーションの捌け口として機能するに留まり、表だってその教義を実践する力を得ることはありませんでした。しかし、決して死に絶えることはありませんでした。
2010-11-01 10:04:1619 そして1960年代、修正資本主義派がいくつかの大きな失策をやらかして、ルーズベルトの築き上げた「ニューディール連合」を解体させた時、転機が訪れました。
2010-11-01 10:04:4120 これによって特に南部白人勢力を取り込んだ共和党は、約40年ぶりに国内政局の主導権を奪還します。そしてその後党内の主導権を「保守派」が握るに至って、国の政策を再び「お金持ちに好き放題やらせる路線」に戻したのです。 その後の経緯はご案内の通りです。
2010-11-01 10:04:5422 話はここから日本に目を転じる予定ですが、あまりに長くなりすぎたので今日のところは割愛。のこりはまた明日(か明後日)。 以上TLふさぎの駄文失礼。ちゃお!
2010-11-01 10:06:09* (これまでのあらすじ的なもの) えー、11月1日につぶやいた自由主義の話の続きを今頃になってやります。そもそもが尺の関係で全体の1/3ほどを占めていた「日本編」を後回しにして本編の方を公開した経緯があったのですが…。
2010-11-19 07:42:08* そしたら予想外に好評で、でもそうなるとこの残りの、如何にも適当な付けたり的日本編をどうしよう、となって困り果てていた次第でして。でもまあ、あんまりいつまでも店ざらしにしておくのもきまりが悪いので、超大幅に書き加えて公開しちゃう方向に相成りました。
2010-11-19 07:42:15