これまでの自由主義の話をしよう(笑)

Nurekaeru氏による,米国の自由主義思想についてのわかりやすい解説。
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Nurekaeru @Nurekaeru

* …で、そろそろほとぼりも冷めた頃でしょうから、そろそろコッソリと連続ツイートでもしようかなと。まあ、ボロが出ない程度に、教科書的無難さを目指す方向で。

2010-11-19 07:42:27
Nurekaeru @Nurekaeru

C まずは改めて基本構図のおさらい。 既存の社会構造、歴史的には封建(身分制)社会の維持を図る立場が保守派。「維持」が本質なので自主的に変革の担い手になる事は少ない。(構造変化が社会的に受容されてしまえば、その変化し「てしまった」社会を維持する立場に転じると言う意味では柔軟)

2010-11-19 07:42:41
Nurekaeru @Nurekaeru

P1 これに相対するのが大きく分けた時の革新派。まず広い意味での自由主義派が身分制社会に対するアンチテーゼとして生まれ、全ての人々の自由(と平等)を実現することを志向した。

2010-11-19 07:43:02
Nurekaeru @Nurekaeru

P2 そして身分制を壊した時点で、「あとは各々好きにやればいいじゃないか(自由放任)」というのがオールドリベラル。

2010-11-19 07:43:22
Nurekaeru @Nurekaeru

P3 しかしながらここで止まっては身分制が経済的格差に取って替わられたに過ぎないのじゃないか、全ての人が出来うる限りの自由を得る条件を整えるためには、政府による介入が必要である、と考えるのがニューリベラル。

2010-11-19 07:43:34
Nurekaeru @Nurekaeru

PS この「経済的格差」を「階級」と読み替えて、より積極的にその解消を目指し、経済活動の領域に対してもより大規模な介入を目指すようになれば社会(民主)主義(ニューリベラルと重なる部分も大きいので、両者の思想は文脈に応じて読み替えが可能なことが多い)。

2010-11-19 07:43:51
Nurekaeru @Nurekaeru

R これに以前斥けられた社会構造の復元を目指す「復古派」と、究極の革新派として私有財産制そのものの否定に踏み込む形で階級を強制解体する「共産主義派」(この部分はツッコミ禁止です)を加えれば、概ね近現代の政治勢力は網羅したことになります。

2010-11-19 07:44:07
Nurekaeru @Nurekaeru

 この連続ツイートは上記Pのカテゴリーに属する革新主義(=未来主義=理想主義)思想の一典型である自由主義思想が、国ごとにどのような特質を持っているかについて歴史的、政治的経緯に照らしてお話しする、という企画です。あまり成功していない気がしますが。

2010-11-19 07:44:36
Nurekaeru @Nurekaeru

1  という長い前フリを経て本編です。 この国では「封建的、父権的国家体制」内部での主導権争いの結果、薩長派が政権を掌握するところから近代が始まりました。

2010-11-19 07:44:52
Nurekaeru @Nurekaeru

2 経済構造の変化が政治構造の変化を後押しする形ではなく、外交環境の変化が政治構造の変革を保守派(の一部)に強いた構図になります。いわゆる「外発的開化」って奴ですね。

2010-11-19 07:45:06
Nurekaeru @Nurekaeru

3 ここを起点に、日本資本主義は未成熟な状態から国家と二人三脚を組んで成長していきます。従って資本家層は最初から自由主義者として「放任」を求める立場に立つのではなく、保守派であり国家の庇護を受ける立場に立つものとして育まれていくわけです。

2010-11-19 07:45:18
Nurekaeru @Nurekaeru

4 そんなわけで、初期の日本自由主義は、既存有産階級のうち数少ない非受益者である地方の地主層(地方の富を都市に移転するのが日本政府の基本政策なので)を基盤に、弱々しくその産声を上げたのでした。

2010-11-19 07:45:31
Nurekaeru @Nurekaeru

5 この初期条件におけるパワーバランスの偏りから、日本の政治には「権力の中心にあって気が進まぬままに小出しの自由主義的改革を行う強大な保守派」と「権力の周縁にいて常に大幅な妥協を強いられ、そのたび輝きを失ってゆく弱小自由主義派」という要素が常につきまとう事になります。

2010-11-19 07:45:48
Nurekaeru @Nurekaeru

6 19世紀末、「気が進まぬ改革」の集大成として帝国憲法が作られ、曲がりなりにも立憲体制が完成すると、自由主義派は紆余曲折を経て一度は結集し、日本初の政党内閣を作るに至ります。が、いわゆる「藩閥」として知られる保守派の激しい巻き返しもあってアッサリ分裂します。

2010-11-19 07:46:05
Nurekaeru @Nurekaeru

7 以後、日本の政党政治は基本的には2大政党制へと進んでいくのですが、なにしろ自由主義勢力は既に保守派とズブズブだったので、両政党のどちらがより自由主義的とも言い難い、なんとも曖昧な形での線引きとなったのでした。

2010-11-19 07:46:34
Nurekaeru @Nurekaeru

* ほぼ同時期に、日清戦争の勝利と相俟って欧米との不平等条約が解消されます。保守派に「嫌々ながらの改革」を強いる最大の動機がここで消滅したことは言及しておく価値があるかもしれません。

2010-11-19 07:46:47
Nurekaeru @Nurekaeru

8 その後、世代交代によって必然的に衰退してゆく「藩閥」とのつばぜり合いとしての護憲運動の時代を通じて、政党は力を付けていきます。自由主義の思想も遅ればせながら次第に力を得ていくようになります。

2010-11-19 07:46:59
Nurekaeru @Nurekaeru

9 その結果花開いたのがいわゆる大正デモクラシーです。ただし、その自由主義は概ねオールドリベラルであり、丁度勃興しつつあった都市中間層にとって受け入れやすいものでしたが、同時に累増した労働者階級にとってはその思想は不十分なものでした。

2010-11-19 07:47:18
Nurekaeru @Nurekaeru

10 2大政党は共に資本の自由な振る舞いを「放任」するという点で自由主義、日本資本主義の伸張のためには国家の統制を大幅に容認するという点で保守派であって、結果すべての個人の「自由」を追求するという意味での自由主義を擁護する政治勢力がなかなか力を得にくかったんですね。

2010-11-19 07:47:31
Nurekaeru @Nurekaeru

11 こうなると同じく「自由主義」への幻滅という過程を持つ欧州と同様に社会民主主義政党の出番、ということになります。ただ日本の場合は、工業化の過程が遅れた事と、保守派の力が強すぎた事と相俟って、左派勢力に対する弾圧も強かった。なにせ社会主義政党のスタート地点に「大逆事件」ですから

2010-11-19 07:48:53
Nurekaeru @Nurekaeru

12 このあたりは経緯は異なるものの米国と似通ったところがあります。戦前の日米両国は、「ニューリベラル」的政策の採用の遅れと反比例する形で、世界的に見ても激しい労働争議の歴史を経験しています。

2010-11-19 07:49:07
Nurekaeru @Nurekaeru

13 違いは日本の方が「保守派」がより強固な存在であり、二大政党の側に「ニューリベラル」的政策を受け入れる事のできる余地が小さかった事。

2010-11-19 07:49:20
Nurekaeru @Nurekaeru

14 そのため20世紀に入って他の先進国が徐々に所得格差を縮めて行ったのに対し、この国では日中戦争に突入して富裕層からの戦費負担を求めざるを得なくなる1930年代末まで、高額所得者に富の多くが集中する傾向が変わりませんでした

2010-11-19 07:49:31
Nurekaeru @Nurekaeru

15 世界は20世紀に入っていたのに日本だけ19世紀のままだった、と言うと大袈裟でしょうか。これはこの時代の外交政策なんかについても言えますが、

2010-11-19 07:49:53
Nurekaeru @Nurekaeru

16 1930年代日本は、米国を上回る格差国家であり、戦前の天皇家は世界最大の富豪であった事実は案外知られていませんが、それはこうした天皇家に代表される、「保守派」が、自由主義的要素を最小限しか受け入れることなく保守的なままその地位を保った結果であるとも言えます。

2010-11-19 07:50:08