ハイデガーの和訳文のお勉強メモ

仏教徒には経典にみえるらしい現代の聖典ハイデガー。それはコギトの被制作性=存在忘却をめぐるからだろう。私は英訳でしかハイデガーに触れていなかったが、複数の和訳に見られる動揺から、日本にのみ孕まれた屈折について考えさせられてしまう。斎藤元基博論を読みながら、3つの和訳でハイデガーを比較対照しながら、コギト批判をめぐるハイデガーの寄与にいたる転回と、メルロ=ポンティーのコギト論や脱構築との深度を測定中。
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

それが解釈学でしょうね。斎藤のフロネーシスでもある第五章では文中でも「途上」性が際立ちますね。次章はニーチェhttp://t.co/6PbiyK79bN ですが、ここでも主著自体の未完成=非本来性を解釈学上の地平に据えようとしているようですね。@estei_st

2014-03-16 22:12:03
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

まあ、言葉の停滞という問題は、神学になるか、神学を度外視しすぎるかのどちらかでしかないが、斎藤氏の動性(言葉の運動性)は、ハイデガーの存在静態まで言い当てるほどで、その次の章のニーチェでは、一般的な見方を打開して、いよいよ現存在の解釈学から、存在の解釈学を言い当てるらしいよ。

2014-03-16 20:43:30
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

要は、その人間過信の方を払拭できないから、絶望したり、グローバリズムでどんどん衰弱したりという、ジャパンプロブレムになってきているだけで、それは取るに足らない問題にしか見えない。@J_J_Kant

2014-03-16 18:53:10
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

どうも、日本人に信心があるとすると、人間の能力こそ「無限」だといった過信に過ぎない気がするのだが、現実にはそうではない。しかし、そこで絶望すること自体がナンセンスという問題のような気がしないでもない。@J_J_Kant

2014-03-16 18:51:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

もっとも、ハイパーリンクというよりは、動性は、ハイデガーにとっては講義を含めた単旋律=リニアな時間なのでしょう。斎藤はそれをより時間化する語り方で、形式的とか超越論的とか実存論的とかいう術語を確定してくれていますね。@estei_st

2014-03-16 07:26:11
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

人に還元する哲学者は下らないという話、死の先駆を時のなかの死とする吉本が都合よく引用されていたので、ちょっと思い出したのだが、もっと野暮ったい文体の会田ですら、鶴見をこう捉える。あほらしいけどね。 http://t.co/Rcob4fCxCb

2014-03-15 23:30:08
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

もっと簡単にいえば、転回は、私達は神の被造物なのか、それとも神は私達の共同存在の産物なのか、という問いでしかない。しかも問題なのは、そんなことを問うても仕方がない、ということの方にある。それしか問われておらず、しかもそれを問う事自体がナンセンスだ、という問い。@estei_st

2014-03-15 23:11:06
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

転回しようとすればするほど、戻されてしまうという話なわけです。それはそもそも孕まれていたことだろう、ということですね。転回とは天動説になることですが、被制作性から自然的動者になることです。しかし、そうした存在論的差異の二重性は、転回しても戻されてしまう。@estei_st

2014-03-15 23:08:46
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

どうでしょうね。人に還元はできない。哲学者が言えているかは問えない。超越論的に孕まれていたのかしか明らかにできない、ということのようですが、斎藤氏はハイデガーが如何に言えていないかを、的確に整理しているというのは事実ですね。@estei_st 斎藤さんの著作の良質な解説

2014-03-15 22:47:40
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

日本人は信心しているだけなのに、それを実証と言いたがりますね。単に言い方の好悪の問題で、特殊な方言のようなものですが、信心を疑ってはいないのでしょう。だから実証がなかなかできなくなる。@estei_st 科学的な実証というものはどの層に含まれるか。もしかすると、西洋と日本とでは

2014-03-15 22:43:13
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

あえて比較すると、超越論哲学の挙句、結局、哲学者を哲学するhttps://t.co/fUI8s48Dv8 という日本の哲学部の伝統に対して、アメリカの超越論が緩い哲学研究は、哲学者を対象とするより、アプリオリ問題を対象に思考しているところが違和感がない、ということなのかしらね。

2014-03-15 11:44:50
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

アメリカの哲学部は、超越論でガチガチの日本と違って、こういう話ができるのかもね。たとえばカント~ハイデガーで、アリストテレス神学を自然学にエポケーするから、デカルトが特異点のようになるけど、アメリカそういうのなさそう。そこは面白い。https://t.co/MY7S4O1ayd

2014-03-15 11:33:34
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

とはいえ、この存在者の動性は隠蔽しておかないと不都合なことがある。斎藤氏のハイデガー批判も、ハイデガーがそれに至るために、対話・エロス・倫理を純化させ、独我論のようになったと指摘している。それをどう回収するのか、じっくり読んでワクワク感を持続中です。@estei_st

2014-03-15 06:22:33
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

私が漠然と、ただし明確に一点だけ関心があるのは(それ以外どうでもいい)、ハイデガーがアリストテレスから抽出する自然動態存在者を看過すると、近代の重力の発見がギリシャ自然学を魔術と意味化して、予備校文章術の山本義隆氏に異端神学を語らせてしまう、ということだけです。@estei_st

2014-03-15 06:10:25
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

(続)よくハイデガーを読んだことのない人に向かって、斎藤氏が批判するように近年の読みの中心だった実践哲学として啓蒙すると、受け取りが真逆になるというパラドクスのようなものを散見する気がするのだが、おそらく、そういう誤解の余地のない方法を提示しているようにみえる。@estei_st

2014-03-15 05:43:25
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ハイデガーにとって第一哲学は、被制作性から自然の動態を取り戻すことのようですが、しかしその営みは、私達が宗教と呼んでいることと、さして変わらない。その点で、他の宗教的方法がある、という事自体が危ないですね。しかし、@J_J_Kant さんは前者でしょう。@estei_st

2014-03-14 23:50:03
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そのアリストテレスでは不十分というのがハイデガーの見解のようですね。ただし斎藤氏はそれだけでも不十分と論じていて、私もそれには同意している最中ですw@estei_st ええと、分かりません(笑)。アリストテレスは、可能態(デュナミス)に対する現実態(エネルゲイヤ)の優位でしたか。

2014-03-14 23:46:53
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

全くそのとおりですね。ここで死というのも、第一哲学を二重化させる被制作性の神学から、存在の動態をとりだす解釈学的転回にとって、そうした事実性に対する可能性が超越論的転回として要請される、ということにすぎないのでしょう。@estei_st ねに事実性に対する可能性の優位

2014-03-14 23:32:37
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

読書タイム。斎藤博論第5章第4節は、存在と時間の超越論性。第一哲学と神学の二重性、神学を神学にしてしまう「不動の動者」を「動くもの」としての「自然」に直感させる超越論的転回は、解釈学的遡行による善のイデアの洞窟の比喩のエロス的拡張としての愛だ、となっていた。

2014-03-14 11:23:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

というより、当初から指摘しているように、その期待というのが、テクネーだけで創造主の役割を演じられるという、フランケンシュタインか何かのようなマッドな願望を共有していることがそもそも「不自然」。その程度のことは、誰でも当初から「直感」するはずだとおもうのだが、日本人はイカれてるよ。

2014-03-14 11:16:49
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

つまり、ハイデガーが重視する世間話をプラトンが契機としていたように、匿名になると世間話が全開になるんです。しかし、それを世間話のまま受け取ると、初期の2ちゃんねるにはなかった、世間話の衰退としてのヘイトスピーチになる。政治も世間話を契機に弁論を生成できない。@ujikenorio

2014-03-14 05:16:38
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

暇だから、ハイデガーでドイツ語の勉強したくなってきてるんだが、それで思い出したのだが、インコたんがドイツ語でハイデガー読んでいて、あずまんあほ、デリダアホ、柄谷アホとかいっているのを思い出した。私も考えを改めそうだw(^-^)/ @LitoSnowfield

2014-03-13 03:27:16
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

まあ、その存在の二重性(簡単に言うと被制作的存在と、動態としての存在)がアリストテレス以降、ずーーーと伝承されてるだけなんですけどね。他に問題があるわけではない。ルターが聖書翻訳でドイツ語を作った時、その二重性で時制を考案してそうね。和訳できなそう。@LitoSnowfield

2014-03-13 03:08:39
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ちなみに、ハイデガー訳出では、フロネーシス(実践)は[配慮]なのだが、ハイデガーが参照するアリストテレスの「ニコマコス倫理学」の手許にある和訳では、フロネーシスは[思慮]と和訳生成されていて、ほんとに困るww (^-^)/ @LitoSnowfield

2014-03-13 02:58:05
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ていうことで、「実践哲学の復権が称揚する実践的配慮の理論知よりも、ヌース的エロスが、アリストテレスの被制作的存在論を動態にする、自然的存在者の運動に対象の比重を移した時、哲学的実存となる」で第5章第2節おわりw @estei_st http://t.co/1fcBhjbopd

2014-03-12 16:53:51
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