- L_O_Nihilum
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@ant_onion そこ考え始めると人格自体の批判になるから、完全にもうATフィールド。 批評という「悪」(?)じゃないけど、究極の集団的思想テロというか、日本の思想構造の闇が見える気がします。
2014-07-24 23:19:47@ant_onion そう東先生は対談でいつも言ってますね。消費は一種の疎外だけど、それがそのまま見せる情報の自由価値化であり、一種の社会構築の思想展開であると。 まあゲンロンがアーキテクチャアーキテクチャ言うとこの着想源ですわね。
2014-07-24 23:20:57@ant_onion ATフィールドをやぶれるロンギヌスの槍が必要なんだけど、それはどんな理論なのか、今だ答えが出せてないんですよ…享受論はそのためのプロジェクトと言えば、そうじゃないわけでもないんですが。
2014-07-24 23:22:21@ant_onion そこで、自由って出てくると議論がややこしくなるんですが…ここで問題になるのは、その自由を実感してるのは誰なの?という点なんですよね。多分消費者としてシステムの一環にされてることを自覚した人たちはそうは思ってないですし、だから批判するわけだし。
2014-07-24 23:28:34@ant_onion まず戦略として、あのデータベース構図に主体のみならず創作・提供・享受の、つまりコンテンツを取り巻く人の層が覆い隠されオートマタに同一化されていながら、商業ビジ本としての有用性を暗にアピってる点を取り上げる。
2014-07-24 23:29:33@ant_onion その共通構造を、アーキテクチャ論、とされる批評の多くの中に構造論的に見出す。これは批評の持つ上から目線的な性格を浮き彫りにするという意図を暗に持つ。
2014-07-24 23:30:19@L_O_Nihilum というかウェーバー的な意味の価値自由って要するに価値喪失と等価だったような…。拘束されないという意味では自由なんだけど…。
2014-07-24 23:30:30@ant_onion 結局のところ、これが最も有効なのは提供者にあたるものだ、と言う事を示し、「提供者中心主義(プロダクショナリズム)」と批判する。
2014-07-24 23:31:02@ant_onion というかそもそも「価値」と言う問題を取り上げちゃうことが、日本の文化の特有性というか、文化享受の性格描写にあってないと思うんです。「価値」は共有・客観性、集団性が暗に入ってる単語。そのせいで、社会的な文脈にどうしても対象を投げ出してしまう問題がある。
2014-07-24 23:32:04@ant_onion 共犯関係、と言うと基本批評は享受者であるはずの人までも「消費者」として、共犯者に上げ、その批判を取り下げてくるでしょう。しかしここでは、寧ろ批評同士の、商業立場という上から目線人の無意識的共犯性ですから、隠そうとしてきたら逆に魂胆が読みだせます。
2014-07-24 23:33:14@ant_onion そのまえに、まず哲学をしたいんです。そもそも、創作を取り巻く人にはどんな人がいるか。作る人、それを発表する人、受け取る人と大別できますね。作品論作者論読者論の前に、まずそこに人が確実にかかわってる点を明らかにする。
2014-07-24 23:34:25@ant_onion これが僕が昔から言ってた「創作・提供・享受」者ですね。これまでの消費論とは提供者の理論であったので、こうわければ、創作の理論、享受者の理論、という場所を区分けできます。勿論、それらが混ざった場合の事例にも、これらの言葉は有用です。
2014-07-24 23:35:14@ant_onion そこで、「価値」以前の、個々人固有の内的な、「価値」化される前の価値原型として、「甲斐」と言う概念を考え中です。これはまさに享受者のための議論になると思います。この甲斐とは、「遊び甲斐」「生き甲斐」の甲斐です。当人にしかわからない世界のものです。
2014-07-24 23:36:22@ant_onion まあ、この辺の発想はすでに大学2年くらいの頃には直観で思いついてたものなんですけどね。それだからこそ、今こうして論文にする難しさを練習してます。
2014-07-24 23:42:20@L_O_Nihilum 創作・提供し同時に享受するというのはまさに理想的な状態の同人世界ですね。諸科学もその初期にはそうだったのですが。
2014-07-24 23:44:37@ant_onion この地点で、既存のオタク論、社会工業論の発想とは大きく袂をわかちます。主体云々と言うもんだいではなく、3者で考えている。必ず、其れに携わる人の役割の変転で捉えている。それこそ、唯識のようにです。
2014-07-24 23:44:42@L_O_Nihilum なるほど…。本人にしか分からない、という所で一般化するには難しさがありますが面白そうですね。
2014-07-24 23:45:57@ant_onion てか普通、創造的行為ってそういうもんだと思うんです。作り、発表し、それを聞き取り、またその聞き取った人が実践(=創作)し、伝え、などなど。ずっとそれが変転していきます。創作者享受者提供者はどれも主体ではなく、どれも客体ではない。この辺も仏教的着想ですね。
2014-07-24 23:47:08@ant_onion 一般化できないのは甲斐の内容で、甲斐の構造は一般化できますよね。そうすると、価値が価値と言う言葉で発話される直前の、つまりいわばジェイムスでいう「純粋経験」のようなものが取り出せますよね。これは美学でいう美的価値よりもさらに「奥」の思想になるかなと。
2014-07-24 23:48:18