【シューニャリアーナ対話編】享受する世界と消費社会
- L_O_Nihilum
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享受論は消費論の他者故に脱構築的である。ってことは、消費論から享受論的側面を導き出すことが直接可能ってことだ
2012-08-18 18:24:21だがこれは、オタク批評家と今一般に言われている意味でのそれとちょいと違っている。それに、1999と言えば、まだゼロ年代とは呼ばれていない頃。(というか畢竟ゼロ年代のゼロとは’00のことだろう)
2012-08-18 18:29:14もっと言っちゃえば、「動物化するポストモダン」みたいな「消費構造論化可能性が提示される」ことが無かった時代である。
2012-08-18 18:29:40所謂東浩紀以前の消費論、即ちまだまだ享受込みの「消費」論だ。ここから、私たち側(享受論)となる起点の部分を取り出すことは意義のあることだろう。
2012-08-18 18:33:47資料が古いなどと言わないことだ。重要なのは御宅の享受論が一切描かれなかったことだ。つまり、一から、というか初心に立ち返って「萌え」などを見直さなければならないのだ。
2012-08-18 18:35:04「脱構築的に」とかいいつつ、「享受論を語ることが可能である」と命題をやっぱし生み出しちゃう俺。というか、命題生成を止めさせることは不可能、そのことをデリダもさんざん言ってるわけだけど。
2012-08-18 19:03:23ふう。そして、「消費」的状況においての「享受」はどの辺で起ってんだろうな。まず享受とは…てなまえに、さっきブータンという国の幸福観の変化、ってな話題を耳にしたのだけれどね。
2012-08-18 19:08:28享受論と幸福論、という差異の話になるかもしれない。
享受するという事、その内容が世代間でズレつつあるブータン。宗教的かつ質素な生活で「GDF」(国内総幸福)なんて概念を使っちゃうほどになんというか、豊かさ<幸福という考えで行き継いできたこの国だけれども、
そこにも消費社会的発展の兆しが出て来て、若者と先代との価値観に差が出てきた、という話が報じられていたんです。昨日のNHKのニュースででした。
つまり、「消費」というタームが「受け取ること」よりも後に出てきたという(ようは暇倫的な)裏付けでもあるというわけです。
では、「消費」がある世界における、享受はどこから始まっているのか?消費がある世界とない世界だと享受にも変化があるのか。こうした差を考察するのも面白いでしょう。
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とはいえ、そんなことよりも。僕らの議論はここからスタートします。
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直感的に言って、僕の「ユーティリティ」は時間的、ようめさんの「ユーティリティ」は空間的なものっていう対立がある気がする
2012-08-18 19:21:27@Source_of_0 それを商業的な工業モデルとして形式づけちゃったのがあのにっくき「データベース動物モデル」だな。
2012-08-18 19:22:13@Source_of_0 まず、売れるために機械的に物語が生産できるようになったって言う提示をしたことだな。あとは、そのデータベースっていうのがパターン的だって言ったことだろう。然もそっから、ウチら享受者が、そのパターン基準で作品を評価しているとまで決めつけやがった。
2012-08-18 19:24:53たとえば猫耳とかメイド服とかツンデレとかループものとかそういう。
あと、「○○系キャラ」という枠づけもこれと似たものです。
@L_O_Nihilum ほう。売れることを目的とした物語の機械的生産?で、生産に使われるデーターベースがパターン的で?物語を所望する側の評価がパターン基準であると決めつけている、と?でもそれは「売れる」という目的のために編み出された一種の見方なんじゃないか?
2012-08-18 20:02:45@L_O_Nihilum 確か空竜の先輩が大学で研究していた中にゲームデザインパターンってのがあった。あれもゲームの要素をパターンとして見ることで、ゲームデザインの支援を行なうというものだったように記憶してる。海外ではそういう方向の研究はかなり受け入れられてるし発展してるらしい。
2012-08-18 20:05:04@L_O_Nihilum ただ、アート的要素は少ないように思うな。人の感情、訴えたいこと、前例あるなしに関わらず面白いと感じたもの、などなど…そういうものを求めたくなるのはわかる。が、それだけではやっていけないのも社会だろうな。難しいところだ。
2012-08-18 20:07:08@Source_of_0 例えばプログラムという点で見るのであれば、それはまさにその通りだろう。ゲームの各システム、それによる結果って言うのを、プログラムというパターンに組成しなきゃいけない。そうした意味では、データベースは有用だろう。(1)
2012-08-18 20:10:19@Source_of_0 これは一応プログラム以外にも物語創作とか非デジタルの世界でもある程度言えていること。どっから物語が始まり、どこにどんなふうに結末するか、そうした「物語の工学」っていうのはちゃんとあったりする。それは音楽でも絵画でもテクニックという意味では同じだ (2)
2012-08-18 20:11:22@Source_of_0 ただ、其処で一つ問題が起こるのは、「そこだけが享受者の見ているものか」っていう点だね。享受者はそんなこと以前にその作品に出会ったこと自体に面白みを感じたり、内容や思想に感激したりする。作者独特の「味」みたいなものも感じるだろう。 (3)
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